mmfjtoのブログ  ~なぜなら ぼくは、どうしようもないくらい汚れ腐ってますから~ -36ページ目

マクロ ミクロ  メゾ  仲介  

頭脳神経細胞システムの構造 仕組み 実態を把握する目的

 

人を知る事

 

学ぶこと

 

いろいろな式 ruleがあるが

それは

一体

何のために必要なものだろうか?

 

 

いろいろな生命体そのものは

自動化した装置としてその肉体はあるが・・・

 

 

すこし

休みたいなと

思う時でも

休めない時とか

自動化しているそのバイオシステムは

どういう変化が状態としてあるのでしょうね・・・

 

 

人の意志

 

思想

 

おもうこと

 

想像すること

 

IMAGEと

実体

 

 

IDEA

現実

 

 

 

仲介するのは

文字

数字

 

絵画的写像

 

MODELの図形とか

 

 

 

一人

一人のその実態に

ちかついて

いきるための必要な事について

 

いま

それを

HELPする品物とは

何か

 

一人一人固有のNEEDSがあること

 

 

同時に

人々が

関係を構築して

社会システムを維持する役目もある

同時に

その社会システムを改善していく

協働者でもあること

 

コワーキングする事で

常に

フィードバックし

SYSTEMエラーを

再構築する事で

 

いまよりも少しでもより善い事を

品物として

生産できる事を狙いとする

 

いまよりも

少しでもより善い事とは

一体

何か?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

情報

数理

ゲノム

倫理

 

 

以下は

 

AI研究の先駆者が「人類の家畜化」を懸念 教育の重要性を強調 京都賞受者講演会(産経新聞) - Yahoo!ニュース

 

 

『ギリガン氏は、心理学の理論に人々の関係性を重視した「ケアの倫理」と呼ばれる新たな学問分野を切り開いた。「飛び込んで聴く」と題した講演では、多様な問題の当事者から直接話を聞いてきた研究生活を回顧。普遍的な倫理を原則にするのではなく、当事者の関係性という視点から、一人ひとりにとって最も望ましい解決を模索する必要性を訴えかけた。』

 

以上は産経新聞サイトから参照。

「安那般那念経」(Ānāpānasati sutta)スートラとはストラとは、帯のような長い巻物

 

安寧の境地って何か体験してみないと理解する事は

無理だと云う事

 

どうしたら

安寧を体験できるのでしょうかね?

 

呼吸を

自分で

実際に

意識して

実際に

実行して

一つ

一つ

 

その行為を

とても

とても

丁寧に実践して

自分自身で

実際に

自分を観ること

その行為

 

ACT

 

ART

 

 

何か

薬を服薬して

気持ちの不安を消す事もあるでしょうけども

 

同時に

自分自らのその事を

いまあるもの

として

自己で誠実に

受け止める

行為という

実践は

 

実にそのまんま

誰にでも

出来る事だと云う事

 

 

いろいろな気持ちの騒がしい事があるとしても

 

一時

 

自己を自分で

意識する

いま

ここに

ある

いている

 

いるんだ

その認知形成は

 

同時に

自分という存在自体は

他の処には存在しない

 

いま

ここに

いきてあるんだ

 

息を吐く事

 

空気を吸う事

 

 

自己の外部にある空気

それを

自己の内部に取り込む事

 

そうして

いま

いきていること

 

心臓の鼓動

脈打つ血管

いま

あることの

実際に

ある

果実

 

成果

 

 

 

それは

何かに変える事など出来ない

身代わりになるものは

無い

貴重

UNIQUEであるとするそのものであること

共に

いのちが

いま

自らの肉体に

同時に存在してあるんだと

いう事実を

詳しく

知ろうとする努力

行為

投資

 

 

 

電車の中でも

歩行していても

 

仕事している時でも

 

眠る時でも

 

いつでも

 

自分という存在自体と

同時に他者という存在自体の

それぞれの

各位の

貴重であることの

無限を

詳しく察する事

 

 

 

 

その行為は

実に

merit

メルシー

どの人にも

贈る事でもある

当然

自分でも

その

 

メルシー

MERCEDESを

受け止める事でもある

 

 

あーー

いかったな

という

喜び

や悦び

 

そのしつまるってある

喜悦そのもの

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以下は

Wikipediaから参照。

 

 


安那般那念 - Wikipedia
「安那般那念経」(Ānāpānasati sutta)では、呼吸を使った瞑想法について次のように具体的に記述されている。以下は安那般那念経(パーリ語の英訳版)からの引用である。

Breathing in long, he discerns, 'I am breathing in long'; or breathing out long, he discerns, 'I am breathing out long.' Or breathing in short, he discerns, 'I am breathing in short'; or breathing out short, he discerns, 'I am breathing out short.' He trains himself, 'I will breathe in sensitive to the entire body.' He trains himself, 'I will breathe out sensitive to the entire body.' He trains himself, 'I will breathe in calming bodily fabrication.' He trains himself, 'I will breathe out calming bodily fabrication.'[2][3]
長く息を吸っているときには「私は長く息を吸っている」とはっきり知り(pajānāti)、長く息を吐いているときには「私は長く息を吐いている」とはっきり知る。短く息を吸っているときには「私は短く息を吸っている」とはっきり知り、短く息を吐いているときには「私は短く息を吐いている」とはっきり知る。「私は全身の感覚を把握しながら(paṭisaṃvedī)息を吸おう」と訓練する(sikkhati)。「私は全身の感覚を把握しながら息を吐こう」と訓練する。「私は身行(=吸う息)[4]を静めて息を吸おう」と訓練する。「私は身行(=吐く息)[4]を静めて息を吐こう」と訓練する。
これがどのように修行をするのかについて書かれた一節である。このような修行に関して次のように述べられている。

This is how mindfulness of in-&-out breathing is developed & pursued so as to be of great fruit, of great benefit.[2][5]
これが呼吸による気づきであり、このように熱心に行い、自身を訓練することは大きな果報となり、大きな利益となる。

他者が痛いと体験していまあることを自分は実際に体験する事は出来ない自力ではとても無理だ。

他者が痛いと体験していまあることを自分は実際に体験する事は出来ない自力ではとても無理だ。

 

話を傾聴して

そのまま

事実を

受け止める事は

出来る

 

痛みというのは

見えない事だ

 

指標では

 

苦痛のスケールがある

程度

 

これ以上ないという痛み

 

全く痛みは無いとするときと

 

その範囲で

示す

 

どの程度の痛みなのか

 

それでも

無論

難しい事だ

 

その人が認知している痛みとは決して消える事が無い痛みの可能性もあるから

 

 

 

何か気分で紛らせる事で

痛みを除去できたら良いでしょうけども

そうもいかない

正に

釘で肉体を突き刺されてしまった痛みもある

 

メタファーではあるけども

 

実際に

そうだという人もある

 

 

 

痛み

PAIN

 

 

神経細胞が機能しないと痛みを認知しない場合もあるので

 

 

 

 

 

それもまた

別の痛みかもしれませんし

 

危険を予知できない事でもある

 

 

熱い水でも

その熱いという感じたて自分で覚える事が出来ない肉体の機能に支障がある方もあるのですしね

 

 

 

 

侵害されていつも痛みを抱えて

痛みと共に生きる事をしている方もあるし

 

 

親愛なる方の死で

その心にいつも痛みを

抱えている方もいますし

 

 

 

いたみ

 

いたむこと

 

 

切なし

 

切りない事である

 

いつまでも

生きている事で

その痛みを

抱えている事で

苦を

一つ

一つ

積み重ねている事

 

 

 

その苦とは

meritの事ではあるまいか

というのは

 

痛みを知っている者は

あるか

 

共に

痛む事をして

実に

共に痛みを

体験してくれて

一緒に

ともにあゆむ者はあるのか

 

周囲を探して観る事

 

心配する事では無い事

 

 

不安に駆られて

そうして

何かを喪失する痛みと云う事ではなく

予期不安

 

また

苦痛を体験しないとならないんかなと

いう

将来への嫌な気持ちを

携えている事もあるものだ

 

 

 

苦痛を体験したことで

 

何に

注目したら

meritはあるだろうか

 

 

 

天にまします父は

見捨てて居るだろうか

という問いかけは

キリストイエシュアと共にある人は

 

どうでしょうか

 

しつかにして

彼の枯木に手足を

釘に刺されて

いま

あること

 

生木を枯木に釘付けにして

接ぎ木の状態を

 

観る事は

 

どんなmeritがあるのでしょう

 

 

 

自力で

全て

忍耐する事では無い事

 

 

助力があるんだと

自覚できているという

人の目には見えない

智恵

上智こそ

そこには光としてある

 

これも

暗喩ではあり

 

Catholicは

普遍という意味ですので

 

何をあまねくあまりなしと

普通価値と出来るんか

 

 

です

 

そんな事

ある事は無いだろうと

いう者も大勢しますし

 

何が神だ

神はいるなら

人に

苦痛も

不幸も無いじゃないか

 

いま

ある不幸や苦痛は

全知

全能

全善である神など居ないという確実な証拠じゃないか

 

主張する者も世の中には複数人います

 

どこまでも自力で忍耐することこそ

有能な証拠なのだと

自力でなんでも出来るんだと

信じ込む事を強化する者もある

 

 

どんな事が

最善なのでしょうかね

 

柔軟な発想とか

答えは一つではないかもしれない

 

 

共感する事でもないかもしれない

 

 

 

委託するとはどういうことでしょうかね

 

 

 

完全に善い者があるなら

必ずそのものは

その苦痛を

知っていると云う事だ

 

 

個人

個人にある個別の苦痛体験を

全て理解し

一緒に

体験してくれていると云う事だ

 

 

そんな事は

人智では

決して

実現できないことで

 

 

ゆえに

人の中には

完全に善いものなど居ないと云う事でもある

 

では

完全に善い者とは

一体

誰の事か

とか

何の事か

 

ということ

 

無理やり

何かを信じ込む必要など無い

 

信じれば

救われるとかいう方便は

おかしい

 

 

 

共にいきますか

 

 

信頼を互いに

構築していきませんか

 

と云う事が

TRUST

 

一つ

一つの

疑問を

問う事を

疑う事はわるいことだとか

断罪しないでね

 

事実を事実として

誠実に

受け止めて

調べてみる事

 

 

物理的にある痛みは

頭脳神経細胞システムの仕組みの何かの支障を抱えているための

痛みを常に感じている現象がある場合もあるから

 

それは

もしかしたら

人自身よりも何倍も小さな存在である

VIRUSによる作用の結果かもしれないし

 

 

それは

何か人体の臓器の機能との相互作用の仕組み自体に

不都合が発生しているかもしれないし

 

いろいろな

支障を想定は可能であるし

 

 

それらを検証する作業に投資することも賢明でもある

 

 

物理の現象を

精査して

実際に

検証する事は

それらの仕組みを

知ることの方法の一つでもある

 

対処療法というのもあるし

根治療法というのもあるけども

 

全部

医療の対象にはならない事でもある

 

痛みというのは

 

 

 

 

医学的な投薬で治療できる可能性も探求すことは賢明だが

 

同時に

そうではない

 

人としての対話として

どう

その痛みを

受け止めるか

という

方法にも

ずっと

いまよりも

投資する事が

必要ではあるのです

 

いきるということは

 

医療SYSTEMだけの問題では無いからです

 

 

一人

一人に

どの人にも

その複数の痛みを

抱える可能性があるので

あるからこそ

 

 

痛み

について

人のそのNEEDSと共に

研究する事は

重要なテーマの一つだと云う事

 

 

 

 

 

 

 

南山堂安居子