むさぼること いかること 存在こそを懲らしめてやりたいと意図しその存在自体を消し去りたいと除
むさぼること いかること 存在こそを懲らしめてやりたいと意図しその存在自体を消し去りたいと除
自己も相手も
理解したいと
希望しない事から
自らに
導く迷妄な事
ゆえに
苦を体験する惑の道しるべ
肉体的な苦痛体験よりも
深部にある
存在自体の苦
火で焼け焦がれるようにあるその燃焼の正に獄中のような拷問の体験をしているような
IMAGE
南山堂安居子
卑下する事でもない意固地になる事でも無い嫉妬する事でもない、平安を保持している事の重要は宝かも
平安とはそもそも
何か
たいらけくあることで
やすらき
あることだとかいうけども
そもそも
やわらかないとを
保持している事は
やすらけくあることを
共にあること
外部
内部
なにからなにまで
乱れてしまっているとしても
同時に
そこの中心には
安寧
安樂
そのものと
共にあることを
自覚
覚えている事
なにものにも
操作されない
それは
やわらかなそれだから
珠玉の最小の最小の
一つの粒のようなもの
それを
いのち
といっても
いいでしょう
ある者は
そのいのち自身を
強烈に
にくしみ
排除し
侵害しまくることを
決意してある
それは
なぜなのでしょうかね
非常に
オソロシイ状態を
その者は
自己の内部に
意図して
形成しているから
作為として
なぜでしょう
馬鹿にされているから
でしょうか
卑下されて
見下されているから
でしょうか
排除されて
隅っこに
押しやられてしまっているから
誰も
認めてくれないから
才能を
とか
いろいろな
満足できない願望を私的に実現できていないから
なのでしょうか
競争ゲームに敗れてばかりいるから
みんなから
素晴らしいね
と賛同を得る事が叶う事が無いからでしょうか
人気を得る
IDOL
を
ENTERTAINMENTを
提示する事が出来ないから
人々の求める
ICON
になることが無いから
そくなりだから
など
存在自体は
誰かに操作されるものではない
事
自由そのものと
いつも
共にあって
そこには
個人としての存在自体が
無限に存在する事
それは
どの人も
同じ事だ
どんなに強大な偉い立場である者でも
どんなに惨めな経験をつみかさねて
排斥されているとしても
人の世の事ではあるから
それこそ
はかなくて
虚しい事に
加担し
アディクトする事が
どれほどの
DEMERITを
構築するか
計算する事
御徳
何と
何を比較するのか
指標は何を採用するか
いくつもの指標があること
南山堂安居子
マッハ マハ― MAGA MEGA 魔訶 まあフアー MAPHUEA MAIYA MAJYA
こわい顔している大黒天さんは
一体
どこから
日本にやってきたのか
はるばる
インド亜大陸からの訪問神であるか
寶を無限無量に船に積み込んできはった方の一方
一つの柱の方
なな福神
しち
弁財天さんは
女神さまで
なんでも現世の利益を成願
それぞれに
受け止める事
慈悲を垂れる
観音様のような青い衣を纏いました方
高い山からの白い滝の水の滝つぼが瑠璃色に光その女神と云う事と
合一されている次第でもあるけども
そもそも
一人
一人の悩み事を
傾聴し
その者に適合している方法で
いろいろ工面してくる
梵天に執り成す方々という設定ではあること
日の昇方に
むかいまして
人々を苦難から救済しましょうと
合意して
はるばる
日本という八洲に海を渡し津
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青い海から
やってきた
日本まいました
稀有な宝を無限無量に齎した皆さま
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その大きな袋の中には
宝物がどっさり
善い子には
良い贈り物を
悪い子には
灰を
とかいうのかもしれない
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強い力を保持していて
大きな存在
偉大な
いたけることが常だ
MEGA
MAGA
魔訶
とってもすごい
とか
広大無辺であるとか
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以下はWikipediaから参照。
『大黒天(だいこくてん、梵: Mahākāla[1]、[マハーカーラ]、音写:摩訶迦羅など)とは、ヒンドゥー教のシヴァ神の異名であり、これが仏教に取り入れられたもの[1]。七福神の一柱[1]。
ヒンドゥー教のシヴァ神の化身であるマハーカーラは、インド密教に取り入れられた。「マハー」とは「大(もしくは偉大なる)」、「カーラ」とは「時」あるいは「黒(暗黒、闇黒)」を意味するので偉大なる「暗黒(闇黒)」の神「大黒天」と名づく。その名の通り、青黒い身体に憤怒相をした護法善神である。
インド密教・チベット仏教
チベット密教における憤怒相の大黒天(マハーカーラ)
シヴァ神のマハーカーラがそのまま密教に取り入れられたため、初期の大黒天はシヴァと同様に四本の手に三叉戟、棒、輪、索をそれぞれ持った像として描かれた。さらには、ブラフマーとヴィシュヌをも吸収していき、ヒンドゥー教の三神一体(ブラフマー・ヴィシュヌ・シヴァ)に対応した三面六臂の憤怒相の大黒天(マハーカーラ)も登場した。
後期密教を継承したチベット仏教では、大黒天(マハーカーラ)の像容は多彩であり、一面二臂・一面四臂・一面六臂・三面二臂・三面四臂・三面六臂などがある。(シヴァに由来しながらも)シヴァとその妻パールヴァティー、もしくはガネーシャを踏みつけてヒンドゥー教を降伏させて仏教を勝利させる護法尊としての姿が主流となった。チベット・モンゴル・ネパールでは貿易商から財の神としての信仰を集め、チベットでは福の神としての民間信仰も生まれた。
日本の仏教・密教
歴史
日本には密教の伝来とともに伝わり、天部と言われる仏教の守護神たちの一人で、軍神・戦闘神、富貴爵禄の神とされたが、特に中国においてマハーカーラの3つの性格のうち、財福を強調して祀られたものが、日本に伝えられた。密教を通じて伝来したことから初期には主に真言宗や天台宗で信仰された。インドでも厨房・食堂の神ともされていたが、日本においては最澄が毘沙門天・弁才天と合体した三面大黒を比叡山延暦寺の台所の守護神として祀ったのが始まりという。のちに大国主神と習合した。室町時代になると日蓮宗においても盛んに信仰された。「大黒さん」として親しまれている。』
以上はWikipediaから参照。
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人々のそれぞれの
行為
ふるまい
を
観る
ということは
民俗学とか
文化人類学とか
人文地理学など
の
分野でもあるし
社会学の中にもあるし
人々が一体
心的行為として
その頭脳神経細胞システムの自動化機能を保持して
何をImageしているんか
という
リフレクションの結果を
事実として
誠実に
受け止める事
それを
どんな動機から
人々が
構築してきはりましたのかえ
と
詳しく参与観察して
生活する事の
いとなみを
それぞれから
思考すること
環境の内実によって
物事は
中身をまたは
外見を
変化しますけども
その本質の事は
何かと
査定
ASSESSMENTする作業も必要ではあるから
なぜなら
「人」といういきているもの
を
理解するための
方法の一つ
でもあるから
なぜ
「人」を理解する必要があるのだろうか
なぜ
人とは存在して
いまにいたるのか
などの
興味深いテーマがあるのですから
そこを
自分自身も当然
内包し
含めて
検討してみることは
ワーキングそのものだから
人は
ワーキングする生きる者であるので
それを
実際に実践して
みること
何を
えるか
果実は
何でしょうかね
Almightyという存在というのを
想定して
実際に
そのような存在が
ホントにあるんか
と
検分してもいいでしょうし
scienceですからね
何かを対象にして
それを
信じ込むなんでいうことを実務する事では無いのです
自己のIMAGEを偶像化して
そうなんだと
どこまでも
実際に
自分の空想
妄想を
信じてしまっているとするのは
とてもDEMERITではあることだ
なぜならばそれこそ
空虚だということ
人自身とはそもそも
不完全なのに
なぜ
自分自身のIMAGEを対象にして
信じこむことを
実務できるのでしょうか
ということ
そうにちがいないと
なぜ
思い込むのでしょう?
そこは
頭脳神経細胞システムの投影している仕組みと
その自分自身という意識が成立している状態で
いろいろな事を
記憶情報も参考にして
何か結論を
はじきだす
作業をしているのですけども
その結果を
自分で
受け止める事とは
どういう事か
何もちょさないで
そのまま
ありのままの対象を
その物を
事として
受け止める行為の実践を
徹底して
実務する事
そのmeritは
一体
何か?
惑わしとか
誘惑とか
たしなみたいそれを
鮮明にする事だと云う事は
言えるだろうから
その私的な行為として
どうしても
たしなめていたい対象が
何か
と
自分で
自覚する作業だと云う事
これは
賢明であるとはいえる
それぞれ
個人
個人には
完全に自由があるという
大前提のテーマ
であること
南山堂安居子