mmfjtoのブログ  ~なぜなら ぼくは、どうしようもないくらい汚れ腐ってますから~ -37ページ目

むさぼること  いかること  存在こそを懲らしめてやりたいと意図しその存在自体を消し去りたいと除

むさぼること  いかること  存在こそを懲らしめてやりたいと意図しその存在自体を消し去りたいと除

 

自己も相手も

理解したいと

希望しない事から

自らに

導く迷妄な事

 

 

ゆえに

苦を体験する惑の道しるべ

 

 

肉体的な苦痛体験よりも

深部にある

存在自体の苦

 

火で焼け焦がれるようにあるその燃焼の正に獄中のような拷問の体験をしているような

IMAGE

 

 

 

 

 

 

南山堂安居子

卑下する事でもない意固地になる事でも無い嫉妬する事でもない、平安を保持している事の重要は宝かも

平安とはそもそも

何か

 

たいらけくあることで

やすらき

あることだとかいうけども

そもそも

 

やわらかないとを

保持している事は

 

 

やすらけくあることを

共にあること

 

外部

内部

 

なにからなにまで

乱れてしまっているとしても

同時に

そこの中心には

 

安寧

安樂

そのものと

共にあることを

自覚

覚えている事

 

なにものにも

操作されない

それは

やわらかなそれだから

 

珠玉の最小の最小の

 

一つの粒のようなもの

 

 

 

それを

いのち

といっても

いいでしょう

 

 

ある者は

そのいのち自身を

強烈に

にくしみ

排除し

侵害しまくることを

決意してある

 

 

 

それは

なぜなのでしょうかね

 

 

非常に

オソロシイ状態を

その者は

自己の内部に

意図して

形成しているから

作為として

 

 

 

 

 

なぜでしょう

 

馬鹿にされているから

でしょうか

 

卑下されて

見下されているから

でしょうか

 

 

排除されて

隅っこに

押しやられてしまっているから

 

 

誰も

認めてくれないから

才能を

 

 

とか

 

 

いろいろな

満足できない願望を私的に実現できていないから

なのでしょうか

 

競争ゲームに敗れてばかりいるから

 

みんなから

素晴らしいね

と賛同を得る事が叶う事が無いからでしょうか

 

人気を得る

IDOL

ENTERTAINMENTを

提示する事が出来ないから

 

人々の求める

ICON

になることが無いから

 

 

そくなりだから

 

 

 

など

 

 

存在自体は

誰かに操作されるものではない

 

自由そのものと

いつも

共にあって

 

そこには

個人としての存在自体が

無限に存在する事

 

 

 

それは

どの人も

同じ事だ

 

どんなに強大な偉い立場である者でも

 

どんなに惨めな経験をつみかさねて

排斥されているとしても

 

人の世の事ではあるから

それこそ

はかなくて

虚しい事に

加担し

アディクトする事が

どれほどの

DEMERITを

構築するか

 

計算する事

 

御徳

 

 

 

 

何と

何を比較するのか

指標は何を採用するか

 

いくつもの指標があること

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

南山堂安居子

マッハ マハ― MAGA MEGA 魔訶 まあフアー MAPHUEA MAIYA MAJYA 

こわい顔している大黒天さんは

一体

どこから

日本にやってきたのか

 

 

はるばる

インド亜大陸からの訪問神であるか

 

寶を無限無量に船に積み込んできはった方の一方

 

一つの柱の方

 

なな福神

 

しち

 

弁財天さんは

女神さまで

なんでも現世の利益を成願

 

それぞれに

受け止める事

 

慈悲を垂れる

観音様のような青い衣を纏いました方

高い山からの白い滝の水の滝つぼが瑠璃色に光その女神と云う事と

合一されている次第でもあるけども

 

そもそも

一人

一人の悩み事を

傾聴し

その者に適合している方法で

いろいろ工面してくる

梵天に執り成す方々という設定ではあること

 

 

日の昇方に

むかいまして

人々を苦難から救済しましょうと

合意して

はるばる

日本という八洲に海を渡し津

 

 

 

 

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 

 

 

 

 

青い海から

やってきた

日本まいました

稀有な宝を無限無量に齎した皆さま

 

 

 

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 

 

 

 

 

その大きな袋の中には

宝物がどっさり

 

善い子には

良い贈り物を

悪い子には

灰を

とかいうのかもしれない

 

 

 

 

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

強い力を保持していて

大きな存在

 

 

偉大な

いたけることが常だ

 

MEGA

MAGA

魔訶

 

 

 

 

 

とってもすごい

 

とか

 

 

 

 

 

 

広大無辺であるとか

 

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 

 

 

 

以下はWikipediaから参照。

 

 

『大黒天(だいこくてん、梵: Mahākāla[1]、[マハーカーラ]、音写:摩訶迦羅など)とは、ヒンドゥー教のシヴァ神の異名であり、これが仏教に取り入れられたもの[1]。七福神の一柱[1]。

ヒンドゥー教のシヴァ神の化身であるマハーカーラは、インド密教に取り入れられた。「マハー」とは「大(もしくは偉大なる)」、「カーラ」とは「時」あるいは「黒(暗黒、闇黒)」を意味するので偉大なる「暗黒(闇黒)」の神「大黒天」と名づく。その名の通り、青黒い身体に憤怒相をした護法善神である。

 

 

 

大黒天 - Wikipedia

 

 


インド密教・チベット仏教

チベット密教における憤怒相の大黒天(マハーカーラ)
シヴァ神のマハーカーラがそのまま密教に取り入れられたため、初期の大黒天はシヴァと同様に四本の手に三叉戟、棒、輪、索をそれぞれ持った像として描かれた。さらには、ブラフマーとヴィシュヌをも吸収していき、ヒンドゥー教の三神一体(ブラフマー・ヴィシュヌ・シヴァ)に対応した三面六臂の憤怒相の大黒天(マハーカーラ)も登場した。

後期密教を継承したチベット仏教では、大黒天(マハーカーラ)の像容は多彩であり、一面二臂・一面四臂・一面六臂・三面二臂・三面四臂・三面六臂などがある。(シヴァに由来しながらも)シヴァとその妻パールヴァティー、もしくはガネーシャを踏みつけてヒンドゥー教を降伏させて仏教を勝利させる護法尊としての姿が主流となった。チベット・モンゴル・ネパールでは貿易商から財の神としての信仰を集め、チベットでは福の神としての民間信仰も生まれた。

日本の仏教・密教
歴史
日本には密教の伝来とともに伝わり、天部と言われる仏教の守護神たちの一人で、軍神・戦闘神、富貴爵禄の神とされたが、特に中国においてマハーカーラの3つの性格のうち、財福を強調して祀られたものが、日本に伝えられた。密教を通じて伝来したことから初期には主に真言宗や天台宗で信仰された。インドでも厨房・食堂の神ともされていたが、日本においては最澄が毘沙門天・弁才天と合体した三面大黒を比叡山延暦寺の台所の守護神として祀ったのが始まりという。のちに大国主神と習合した。室町時代になると日蓮宗においても盛んに信仰された。「大黒さん」として親しまれている。』

 

以上はWikipediaから参照。

 

 

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 

 

 

 

 

人々のそれぞれの

行為

ふるまい

観る

 

ということは

 

民俗学とか

文化人類学とか

人文地理学など

分野でもあるし

 

社会学の中にもあるし

 

 

人々が一体

心的行為として

その頭脳神経細胞システムの自動化機能を保持して

何をImageしているんか

 

という

リフレクションの結果を

事実として

誠実に

受け止める事

 

それを

どんな動機から

人々が

構築してきはりましたのかえ

詳しく参与観察して

 

生活する事の

いとなみを

それぞれから

思考すること

 

 

環境の内実によって

物事は

中身をまたは

外見を

変化しますけども

 

その本質の事は

 

何かと

査定

ASSESSMENTする作業も必要ではあるから

 

なぜなら

 

「人」といういきているもの

理解するための

方法の一つ

でもあるから

 

 

なぜ

「人」を理解する必要があるのだろうか

 

 

なぜ

人とは存在して

いまにいたるのか

 

などの

興味深いテーマがあるのですから

 

そこを

自分自身も当然

内包し

含めて

検討してみることは

ワーキングそのものだから

 

 

 

人は

ワーキングする生きる者であるので

 

 

それを

実際に実践して

みること

 

何を

えるか

 

果実は

何でしょうかね

 

 

Almightyという存在というのを

想定して

実際に

そのような存在が

ホントにあるんか

検分してもいいでしょうし

 

scienceですからね

 

何かを対象にして

それを

信じ込むなんでいうことを実務する事では無いのです

 

自己のIMAGEを偶像化して

そうなんだと

どこまでも

実際に

自分の空想

妄想を

信じてしまっているとするのは

とてもDEMERITではあることだ

 

なぜならばそれこそ

空虚だということ

 

人自身とはそもそも

 

不完全なのに

 

なぜ

自分自身のIMAGEを対象にして

信じこむことを

実務できるのでしょうか

 

 

ということ

 

そうにちがいないと

なぜ

思い込むのでしょう?

 

 

 

そこは

頭脳神経細胞システムの投影している仕組みと

その自分自身という意識が成立している状態で

 

いろいろな事を

記憶情報も参考にして

何か結論を

はじきだす

作業をしているのですけども

 

その結果を

自分で

受け止める事とは

どういう事か

 

 

何もちょさないで

そのまま

ありのままの対象を

その物を

事として

受け止める行為の実践を

徹底して

実務する事

 

そのmeritは

一体

何か?

 

 

 

 

惑わしとか

誘惑とか

 

たしなみたいそれを

鮮明にする事だと云う事は

言えるだろうから

その私的な行為として

どうしても

たしなめていたい対象が

何か

自分で

自覚する作業だと云う事

 

 

これは

賢明であるとはいえる

 

 

 

それぞれ

個人

個人には

完全に自由があるという

大前提のテーマ

であること

 

 

 

 

 

 

南山堂安居子