mmfjtoのブログ  ~なぜなら ぼくは、どうしようもないくらい汚れ腐ってますから~ -107ページ目

ある人が「私は神を視た、神から命令された事がある」などと言われても信じる事はあり得ない。

ある人が「私は神を視た、神から命令された事がある」などと言われても信じる事はあり得ない

 

単純に

その人の存在自体を尊重

あると云う事を

誠実に受け止める事だけです

実践する事は

 

 

ソーシャルワークの方法論では

善悪で審判はしません。

 

 

また

誰かの主張した事実を

私的行為としても

公の行為としても

信じ込む事はまず無いのです

 

 

受け止める事

事実を

あいての人が

そういった

という事実を

誠実に

受け止める

器に

それだけ

 

受け入れる事もしません

 

自分自身と混ぜこぜにする事もしない

 

同じだとか決してあり得ないのですから

 

自分は自分

他人は他人

存在自体全く

別の存在であるから

 

生命と共にある者として

御互いに

存在自体を

限りなく尊重する態度とその具体の行為を実務することこそ

重要な事

 

 

 

 

もしも神だとか

仏だとかの主張としてその相手の言があっても

 

それはその私的な事なので

 

決して

公な事としての

言とは成る事はまずないのです

 

 

普遍価値とは一体何か

 

 

カトリカ

 

Catholic

ローマにあるヨナの子のシモンの処刑後の事

 

Nazarethのイエシュアから呼ばれたとは

わたしのあとからついてきなさい

という

order

であった

 

 

 

 

 

人々の積み重ねた

DEMERITの

償いを

彼は

仔羊として

父に奉献された事

 

カルワリオ

とは

ゲッセマネとか

 

苦難とは

 

 

大祭司の祈る向きます相手は

一体だれなのか

 

なぜ

天主である父に

その一人子

わざわざ

人々の中に降り立ち

顕示したのか

全てを

あけらかにした

 

赤心とかいいますこと

聖心とか

 

サクレドハート

 

サクリファイド

とは

 

奉納

 

多くの人々の身代わり

つぐなう行為

 

そして

その前に

これは私の体として

 

パン

を差し出して

顕示して

 

呼び集めた人々に

まくらうこと

 

くらわせた

 

強制ではない

 

顕示した

 

食べる事

 

 

真っ暗な腹の底に

招く事

 

 

サウロという男の事

彼は

光そのものである

Nazarethのイエシュアに出会ってから

やっと

彼を理解しようとする

 

 

それまでは

Nazarethのイエシュアを

どこまでも排斥していた

Benjaminの末裔の一人

 

 

 

しかも

ローマ帝国の市民権を保持していて

 

エルサレムの偉い名門の教師の門弟

ガマリエルさんの

 

 

 

商売人で

金持の青年であった

 

 

さて

戒律は完全に守っている

 

 

 

足らないものはなにか

なんて

挑発する青年かな

 

 

 

先生とかいいながら

 

 

全部の財産を

金銭にして

経済的な貧しい人々に

全部それを

別け与えて

から

わたしの後についてきなさい

と云う事

 

ホントに

そうなったという

実証でした

 

記録記事を

よみますと

 

 

 

 

 

イスラエルの

12の部族の人々には

他の世界中の大勢の人々の

一人

一人の

身代わりになって

天主に執り成しをして

祈る事を

すゝめにきたのであったが

 

それは

嫌だと

いうので

 

天主は

あなたがたほどに意固地な民は知らないと

云われましたと

記録にある次第だ

 

 

 

大祭司自体から

そうであったのだから

アロンの末裔とは

レビの人々

 

レビは

神に自身を奉献する存在であるが

 

 

 

祭司の集団だから

 

 

 

 

結果

 

まつりことの中核となるからこそ

政治と密接に結びつく次第だ

王とは

一体誰か

 

 

 

ユダヤ人の王

Nazarethのイエシュア

 

大祭司らは

ユダヤ人の王と自称した

 

そう記載してくれと依頼したと記事がある

 

最期

処刑の場面

 

ローマ帝國の強大な軍事力で

地中海各地の民族の地域を

呑み込むのですから

 

殊に

イスラエルは

シリアの南地方であるし

 

さらに

ペルシアに進行するには

イスラエルとは

重要な拠点である

兵站

 

 

 

エルサレムの城塞とか

マサダの城塞など

 

 

ユダヤの人々は

非常に

非常に

ローマ帝国の存在を毛ぎらう

 

ローマ人たちを

駐屯する軍人など

 

時に

暗殺もしていたのですしね

 

反抗

反撃

 

自国から

いつか

追い出したいと

強く希望する

 

 

そういう権力を示す

絶大な大物を

求めていたヒーローを

 

 

ところが

 

Nazarethのイエシュアは

 

敵である者こそ

天主の仁慈を贈る事と

命令する事で

 

多くの人々から反対される

 

お前は

非国民だとか

 

愛国者からは特に

反対される次第だし

 

 

 

国内で

 

貧苦である者を

見捨てて居る司祭たち

 

法律の先生たち

 

 

 

 

金にならないから

 

汚れるから

 

 

病苦や貧苦の人々とは

天主から

見捨てられてしまった存在なのだから

勝手に

人の律法で審判していた

 

 

 

 

天主とは

あらゆる人々の

存在自体を

産み出したそのもの

 

としての

仁慈

 

そのもの

 

生命そのもの

 

そのもの

 

云う事

 

 

父から派遣されて天から地に

Mariaの胎内に降りて

出産して

誕生して

として

育まれ

養われて

 

同じNazarethのJosephは養父としてあり

家具の職人を見習い

生きて

 

父を先に見送り

 

やすらけくあることを祈願する

 

 

 

30歳から33歳の間

 

イスラエルの人々に

天主の意向を

報せた

 

神の子

人の子

 

唯一神が人になった存在としての

Nazarethのイエシュアだと云う事を

自分から顕示した

 

それを

みたもの

きいたもの

 

 

ヨハネなど

 

イエシュアから

コーリング

 

わたしの後からついてきさない

 

 

人をすなとる者

 

 

漁師だった

 

ヨナの子のシモン

 

その弟のヨハネも

 

大ヤコブもアンドレアも

 

 

ガリラヤの湖で

漁師をしていた人々

 

 

Nazarethのイエシュアに洗礼を授けた者は

母であるMaria親類のエリザベス

ザカリアは父

祭司である方

 

高齢で子はなかなか授かる事の無かった夫婦だ

 

 

Mariaの両親の

IYAAKIMEU

IYAOHAANNE

ヨアキム

アンナ

 

 

ヨアケン

ヨアキム

 

イヨアンナ

 

呼び方の音は

人の話す発音によって変化してしまう

 

 

 

 

 

Nazarethのイエシュアよりも

半年先に

誕生した者

 

ヨハネ

 

IYA

PHUEA

ANNE

 

 

Nazarethのイエシュアの靴の紐を解く事さえも叶う者ではないといい

 

見よ神の仔羊を

 

Nazarethのイエシュアを

正に

神の子として

多くの人々の

報せた者

 

 

アンドレアと

ヨハネは

早速

 

Nazarethのイエシュアの元に

かけつけた

 

 

いろいろ

話を傾聴した

 

若者

最年少だった

 

 

何を知らせに来てくれたの人なのか

 

 

スーパーヒーローを求めて止まない人々

 

 

なぜか

 

強大なローマ帝国に侵害されていたのですから

そうだった

 

自国の弱体を知っているからこそ

英雄をとても求めるのです

 

 

各民族から

見下されてしまうから

それほど強権では無いからです

 

イスラエルの民族は

それらは

エジプトでも隷属した生活からの

自由を得る過程でも理解できるし

 

大きな國の軍隊とか

他の部族とのやり取りなどでも

そうだったのです

 

自分たちのいる場所の確保を

どうしても

確実する事が出来る事がままならない

 

あのソロモン王の時に

最大の栄華であった言われているが

その時は

ソロモン王自身

多くの神々を

一度に祭り

 

それは

金品など

品物での交易で

多くの民族の女性たちを妃として迎えたから

その妃のまつる神をも受け入れてしまった結果であった

 

幼い子をモレクに奉献してしまう事もあった

 

それは

やめなさいと

なんども

指摘されていたが

天主から

でも

その意向を無視し

拒否してしまう

 

つまり

おさな子の犠牲を止める事をしなかった

その風習を頑なに継続してしまうのでした

 

天主の意向は

子を

大切にして

仁慈をもって

育むようにと云う事だった

 

 

身代わりに

羊を

という要望は既に

アブラハムでも

顕示されているのでしたがね

 

 

初子の男子を犠牲にしてモレクに奉献するとその家は繁栄するという

信念

宗教

 

それは完全に否定したのですから

天主自体の厳命であった

 

 

故に

身代わりに

我が子を

人々に

実際に

派遣したのだった

 

と云う事だ

 

神から贈られた仔羊

 

 

 

奉献する最善の御品物のそれそのものが

Nazarethのイエシュア

 

 

自分の行為で

意図に善の欠如のための

DEMERIT

 

徳無

徳を積み重ねるための

 

不完全である人間のその痛みこそ

 

知る事であった

 

あの者たちは

自分が

何をしているか

分からないのですから

 

父よ

ゆるしてください

とは

 

 

そう云う事

 

目は

ひらいていたとしても

観る者を観ていない

 

 

と云う事

 

 

 

 

 

南山堂

全ての物事を知るといはく事は しめつも知ること

死を

体験していないのに

完全に

物事を

知り得た

なんては

いふ

無理


意を吐くは出来ません



故に


知識

とは

積み重ねの行為足る

結果


故に


それを

まくらいましたから


やはり

死ぬる

当然でありました



後悔は

先に

たつは

無い



あまりにも

知ることを、


餓鬼の如くであれば

なをさら



では

いのちは

いかにか

観る事


体験した

それは


いかがであるか



選択しなさい

命令

orderなら


どうす


かな




南山堂何如安居子

いのちそのものをないがしろにしてるのはたあれ?

カルトさ


、神よ

神よ

とは

ことはきながら


人にある

いのちを

意図して

侵害するからな



なんとも

あわれ

極まりない



いかにも

犠牲とか

いふ

建前は


まさに

パフォーマンス



アッシジの

フランシスコは


Nazarethのイエシュアを

自分から

理解したい

知りたい

願いますから


傷を

体験した


それは


差配は


Nazarethのイエシュア自身から


贈り物であったから


何か

立派で

偉い


修道のグループを

意図しからではないし



故に

カルトの

組み合わせの

仲間たちは


よろしくないのだよ

理解できていた

次第


政治的に

利用されたりしたし



権威とは

何か

詳しく

識別する

試しは

重要だ



いかにも

おれさまは

選ばれた司祭神父だ

なんて



自惚れは


あかん




という事実は


みえみえ




南山堂何如安居子



俺こそ

最重要人物なんだから

みな

この俺様を

支え

奉仕し

つくせ


なんて


いいように

命令するし



あきれてしまう


まじ