
生命の木
砂つぶのたった一個
この小さな小さな存在に マリアは 素粒子の一つ そこに トリウニ 、 TRIUNI
父 子 聖霊 は ある
というのは
たしかに サタンたちが 何を 意図しても その威力には 勝るは無い
辛子の種子より小さな種子一つ粒から
巨大な大樹
果実の沢山成る
鳥たちは 宿る
これ
生命の木
南山堂
マリアとはどんな存在であるのか
社会学で「構造」を見つめ、
社会福祉学で「関係」を築き、
そして、マリア様のまなざしの中で、
「いのち」を抱きしめてこられた。
この世の人為物に魅力を感じない
ほんとうの価値を知って
数字や制度では測れない
一人の人の沈黙、涙、祈り、そして希望。
NEEDSそのもの
マリアとは
救い主では無い
誰よりも
何よりも
最小
あらゆる被造物の中で
理知ではそうなる
塵の素粒子の一つ粒
父と子と聖霊の三一は
さんいつ
は
マリアを
台座にして
ある
汚れないから
はじめからおわりまで
おわりもないし
はじまりもない
故に
ありてあるは
父
子
聖霊
人間的イメージでは
あまりにも
偉大なるものが
救い主のイメージを飾るが
善徳のかけるものばかりだから
いのちそのものを
受け止める器は
まさに
マリア自身という事を
世に顕示したのは
父
子
聖霊
と
なる次第
人人に
知らせる為の
道具が
マリア自身であるから
最も身近にいた者は
ヨゼフだ
家具を作る職人
イスラエルの王の家系であったヨゼフ
ユダ族
イスラエルは
神さまから
いわれた
これほどに
意固地な民族は
わたしは
知らない
と
かつて
そう
言われた
モイゼの時にも
サウルを
人人から
選んだときも
あなた方の王は
このわたしではないか
と
宣べたが
人人は
人の王を
欲しがる
故に
人の王により
国は
滅ぶ
と
予告された
父の子を
王とは
しなかった人人がいた
大祭司らは
レビ
アロンの末裔の人人
三権分立を
経過し
祭司は
たんなる
儀礼にして
表目的に
祭りを
催す
イベントにして
Core
成果は
空の実
を
毎年
奉献するのでは
どうなるだろうか
ほんの
小さな
その
それ
を
知ることは
価値ある内容
何よりも
メリットは
あるであろうから
最善の品物を
奉献というならば
何でしょう?
身代わりに
2本の角ある羊
長子である子羊
を
屠り
捧げて
下賜品として
あらゆる人に
さいて
分け与える
施し
小さな切れ端
三日の
暗黒を
生き抜く為の
予め
付与された
糧
果実
胎内に
結実した
果実
フルクトスベントリウス
南山堂
呑み込まれる 呑み込む 暗喩 大きな口の中に吸い込まれる
バラバラである存在は
統合化したり
分断したり
相互作用
状態は
常に
変化する
いま
いま
いま
変わらない品物は
何か
必ず
人自身には
死滅は
迎え
肉体は
滅び
存在そのものは
変わらない
何を
永遠に
嗜みたいか
平和
平安
真に
望む品物は
何であるか
いま
それを
全て
知ることは
賢明
いきてあるは
いのち
と
ともに
あるから
であり
人間は
どんな
に
力のあるとしても
やはり
不完全そのものだ
国は国を飲み込んだり
呑み込まれたり
様々
でした
生きること
智慧
は
何でしょう
宗教は
媒体に
なり
地上の
リーダーたちは
何を
人人に
与えてきたか
何
が
ねらい
だろうか?