パリ近郊には著名な画家
ゆかりの地が点在します。
印象派の巨匠モネが晩年を過ごし、
名作を残したジヴェルニー、
ルノアールのお気に入りの
避暑地シャトゥー(こちら )、
アルフレッド・シスレーが晩年を
過ごした町モレ・シュル・ロワン
(こちら )など、いずれの画家も
その地を題材に、多くの作品を
残しています。
パリから北西へ約30kmの
オーヴェール・シュル・オワーズ
もそのひとつで、ゴッホが最期の
71日間を過ごした場所として
知られています。
精神病を患っていたゴッホが知人
の画家カミーユ・ピサロを介し、
精神科医のポール・ガシェを頼り、
この町に移り住んだのは1890年
5月20日のことでした。
カフェ兼ワイン販売店の
「ラヴー亭」3階の屋根裏部屋に
下宿していました。
7月27日に屋外で自殺を図り、
2日後に37歳の若さで、息を
引き取ったのもこの部屋でした。
ゴッホも描いたラヴー亭の
目の前にある町役場。
この地で過ごした約2ヵ月の間に、
1日1枚以上のペース、なんと
70以上もの作品を描きました。
ゴッホが描いたことで有名となった、
12世紀から13世紀にかけて
建てられたオーヴェルの教会。
描かれた場所には、このように
パネルが立っています。
オリジナルはオルセー美術館に
所蔵されています。
教会内部はこじんまり、
かつ質素です。
アムステルダムのゴッホ美術館
所蔵『カラスのいる麦畑』が
描かれた場所です。
遺族が公式に認めたタイトルは
『黒い鳥のいる麦畑』で、
黒い鳥がカラスかどうかの
根拠はないと言われています。
麦畑の近くには、ゴッホと
兄を支え続けた弟のテオが
眠る墓地があります。
弟のテオはゴッホの死から
半年後に、兄の後を追うように、
オランダで病死しました。
一度はオランダの市営墓地に埋葬
されましたが、1914年4月、
テオの妻によって、ゴッホの墓の
隣りに、テオの遺骨が移され、
兄弟並んで、眠っています。
ふたりの墓を覆う蔦は、ガシェ
医師の庭から移植されたものです。
こちらがそのガシェ医師の家です。
アマチュアの画家であり、
印象派絵画の愛好家でもあった
ガシェ医師は、ピサロ、セザンヌ、
ルノワール、ギヨマンなどの画家
と交友がありました。
ガシェ医師の家からの眺め。
ここから駅に戻る途中に、
17世紀にイタリア人銀行家リオニ
によって建てられたオーヴェル城
があります。
多くの印象派画家が活動の拠点
とした土地柄にふさわしく、
城内は印象派絵画記念館と
なっています。
また、手入れの行き届いた
庭園も素晴らしいです。
穏やかで、ゆったりとした
時間が流れるオーヴェル・
シュル・オワーズの町。
セザンヌも2年間、この町で
描きました。
ゴッホやセザンヌのファン
ならずとも彼らの足跡を
たどりながら、絵画と実際の
風景を見比べる旅も楽しいですよ。
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