この記事はネタバレを含み、しかも若干ネガティブな内容です。ご了承の上、読んでいただければと思います。
今日は1日暇だったので、ダメ元でTwitterでチケット探してみたところまさかの譲ってもらえることに。
そんなわけで観てきました、3回目。
感想をざっくりと
今回は舞台というものをすごく考えさせられました。
舞台は、当然ながら目の前に観客がいて、言葉を発すればその瞬間に観客に届く。
それは、映像や写真、文字では伝わらないものを直に伝えられるという部分では素晴らしいこと。
でも、もし一瞬でも気を抜いて、思っている演技と違うものを見せてしまったとき、しまったと思ってもそれはすでに観客に届いていて、取り戻そうと思っても戻れない。
その一瞬の表現の違いが観客がその舞台でなにを感じたかに大きく影響する。してしまう。
毎回感じるものが違うというのも、生ものである舞台のひとつの魅力、味であるとも言えます。
でもそれは下手すれば舞台の主題、一番大事なメッセージさえ伝わらない、間違って伝わってしまう可能性すらあるわけで
ほんとに一瞬の声の出し方だけで変わってきちゃうと思うんです。
となるとセリフを言う前の息の吸い方、体重の置き方、顔の向き、本当に一瞬一瞬、全身の隅から隅までの動き、意識が大事で、気を抜けなくて
そう考えると、いま彼女たちはとんでもない世界で闘っているんだなと改めて思いました。
もう少し具体的に言うと、今日の屋上でのシーン、さおりが明美ちゃんから中西さんが岩手出身だということを聞いたとき。
さおりのリアクションや、中西さんについて話す言葉、声が、前回より軽く、さらっと言っているように感じて
夏菜子ちゃんのなかで考えや感じ方が変わって意図的に表現を変えたのならいいんですが、話の内容、ストーリー的にそのあとへの繋がりを考えると、やっぱり違和感があって、ミスのような気がするんです。
でもそれも「えっ」とか短い言葉だったり、言葉と言葉のほんの0.何秒の間だったりが感じさせたものだと思うんです。ほんとに一瞬、一瞬なんだけど自分には大きく違ってみえてしまった
僕の感性がいかれてるだけならそれまでなんですけど笑
これだけ長い期間やってるのだから、演者のなかで考えが変わり、表現を変えることもあると思います。それはとても興味深いことで、そうやっていろいろ感じて、考えて、変化していって、最終的な答えを千秋楽でみせる。それはすごく楽しみ。
でもその千秋楽ですら一瞬の違いが答えに大きく影響してしまう。ここまで積み上げてきたものが一瞬で形を変えてしまうかもしれない。
しかも舞台はひとりでやるものではなく、あれだけの人数の一瞬一瞬がメッセージに影響を与えるとなると、完璧な舞台なんてものは存在しないんじゃないかと思ってしまって
とんでもない世界だなって
感動、尊敬するとともに、切なさすら感じます
おそらく自分の幕はこれで一旦下りてしまいます
最後に答えを見つけられなかったのは残念です。そもそも答えなんて存在するのかわかりませんが
またまとまりのない話になってしまいました。
書いてるうちに自分でもよく分からなくなってしまった笑
でも、モヤモヤして自分のなかで収めておけなくて、なんとなくでも自分の感じたことが伝わればいいなと思い更新させていただきます。
読んでいただきありがとうございました。
おまけ
今日の萌えポイント
屋上のシーン、ユッコの「私のさおりをとらないでよ!」のあとに明美ちゃんに向かってユッコがあっかんべー
明美ちゃん越しに真正面でくらいました。
ありがとうございました。