バカになること。
私、バカになることって
大切だと思うんです。
妙にクールで
何でも知ってるよ。
わかってるよ。
という性質の人に
たまに巡り合うことがあります。
どうも、話していて、つまらない。
波長が合わないと感じることがあります。
これは何なのでしょうか?
会話や話題の中には、
それぞれ、熱のようなものがあります。
冷めてしまっている感じというのは、
どうも、おもしろくない。
それよりも、
「ええ年して、阿呆やな。」と、
言われるぐらいに
情熱的でありたいと
私は思うのです。
相変わらず、
熱中すること
大好きです。
自主性の引き出し方 その6
自主性の引き出し方 その6 です。
今日のテーマは、 『褒めるタイミング』
これです。
このテーマは、もっとも大切な要素です。
大人も子供も、誰もが、深層心理では、
認められたいという欲求を持っています。
どうでしょう。
何をやっても、全く注目されることもなく、
褒められもせず、叱られることもなく、
いわば、無視される存在に陥ってしまったら、
どれだけ、耐えることができるでしょうか?
私は、耐えられません。
しかしながら、私の育った家庭は、
それに近い感じでした。
誰よりも早く学校に行き、高校生当時、
剣道をやっておりましたので、素振りをし、
放課後、クラブのキャプテン、生徒会会長、こづかいをもらわないでいいように
毎日、アルバイトをし、帰ったら、夜中の2時までをノルマにして2~4時間机に向かう。
こんな生活をしておりましたが、
一度も褒められることもなく、
両親の口から出るのは、「当たり前」
そういう極端な家庭環境で育ちました。
これが、私にとって、今となっては、
反面教師として機能しているわけですが、
褒められない、ねぎらわれないということからは、
何も生まれないということを、
この時から悟りました。
人間は、見ていてくれる人が欲しい。
適正に評価を与えてくれる存在が欲しい。
そういう生き物なのです。
しかし、複雑に進行していく現代、
会社勤めをされている方で、
自分の頑張りに対し、会社が十分評価し、報いてくれていると実感されている方が
どれほどいるでしょうか!?
家庭内において、世のお父さんの頑張りに対して、
ねぎらいの言葉をどれほどかけられていますか!?
世のお母さんに対してもそうです。
つらい家事労働、子育てなどの対し、
どれだけ、心のこもった言葉で、ねぎらわれているでしょうか!?
子供に対しても同様です。
褒め過ぎ、甘やかしていませんか?
逆にいいところを見ないで、
悪いところばかりを上げて忠告ばかりしていませんか!?
そうです。
現代社会に不足しているものの一つは、
心のこもったねぎらいの言葉や、良い行いに対し評価する率直な心ある言葉なのです。
私は、この言葉というものを非常に大切にします。
着飾ったものではなく、
心から出てくる率直な言葉です。
そして、タイミングです。
相手が、褒めてほしい時に褒める。
極論からすると、ただそれだけです。
これを見つけるためには、
常にアンテナを張っていないといけません。
自主性を引き出すこと において、
この褒めるタイミング、ねぎらうタイミング、
これは、人材を大きくステップアップさせる
大切なキーワードです。
絶妙のタイミングで褒める。
これです。
決して、相手が褒めてほしくない時に褒めたり、
褒め過ぎたり、褒めなさ過ぎたり、
いずれにしても、大きな反作用を生む要素にもなりかねません。
私は、常に絶妙のタイミングで人を褒めるチャンスをうかがっています。
好きなものがあるということ。
私には、好きなものがたくさんあります。
『好きこそものの上手なれ』
という言葉がありますが、
人生、引き算で考えるのではなく
足し算で考えていったほうが、
より楽しくなると考えています。
つまり、生きているうちに
好きなものや、気に入ったもの、気になるもの、興味のあるものに
喰らいついていきたい。
ある意味貪欲です。
だから、いままで、自己責任において
けっこういろいろチャレンジしてきました。
(歌手、モデル(オーディションだけ)、ヨーロッパ単独一周、マラソン、完全自腹大学生活、いつまでもグランドで死ねたら本望と考えてやってる野球 など)
基準は、すべて、自分の中の情熱
根本的なところは、子供の頃と何も変わっていない自分がいます。
情熱が、向かう先が見つかれば、
突っ走る。
これの繰り返しです。
苦手なものや、嫌いなものを数え、苦手なものを避ける人生は歩みたくない。
私の情熱の行きつく先は、どこなのか!?
精一杯その時を生きる。
これが私の本懐です。
まったく、これを『地』 でやってきたし、
これからも、これで行こう
そう思っています。