家庭教師であるという事。 -54ページ目

自主性の引き出し方 その8

自主性の引き出し方 その8

今日は、『長所を引き出すことに徹する。』これです。

自主性を引き出し、やる気を持続させていくには、
毎日毎日、小言を言われるよりも、
少しでも褒められたほうが良いような気がします。

しかしながら、これが不思議なことに
小言を言われ続けたほうが、
伸びたりする人もいます。
小言を言われるのを楽しみにしている
生徒さえいました。

人によって、捉え方と必要としているものが、
それぞれちがうということが、
どの場面でも如実です。

私は、小言を言っている時も、
褒めている時も見ているところは、
同じです。

それは、『相手が持っている長所をいかに引き出すか?
この一点です。

褒める時も叱るときも
ここだけを見つめて
言葉をかけます。

悪いところを見つけられて
感情的に怒られたり、
見当違いの叱られ方をしたりすると
叱った意味がなくなることもあります。

相手の長所をいかに伸ばしてあげられるか?
ここに焦点を絞っておけば、
必ず、先につながります。

心に刺さる番組を見ることができました。

昨晩、遅く2つの良質なドキュメンタリー番組をみました。
両方とも、心に刺さるものでした。

一つは、第2次大戦で熾烈を極めた沖縄戦の話。
NHKだったと思います。

数少ない激戦の中の生存者の方々のお話、
そして、沖縄を攻めたアメリカ軍の生存者の方々のお話を
ピューリツアー賞受賞作家が、実際に双方を訪れて
インタビューを交え、日米双方の当時の様相を明らかにされていきました。


まさに、この世の地獄が展開されていたことが、
よく伝わってきました。

多くの兵士、民間人が犠牲になり
お亡くなりになり、日本軍が、日本の民間人を虐殺していたことも
浮き彫りになりました。

その理由は、沖縄方言を話したら、軍務規定で処分してもよいという
当時、到底信じがたい国の通達が出ていたことも、
初めて知りました。

戦争というのは、人間の尊厳を、命を、絆を
何もかも、ずたずたに切り裂いてしまう
許されない行為である。
もし、自分が、当時のその場にいたら
どうなっていたのだろうか?

深く、考えさせられました。

二つ目は、NNNドキュメンタリーで、
福島原発についての番組でした。

これも信じられない状況を
よく浮き彫りにした番組でした。

日曜日の日付が変わった深夜に放送するよりも、
もう少しよい時間に国民全体で
見るべき内容のドキュメンタリー番組でした。

こちらの番組では、まったくの思考の停止により
人災として、原発事故が起こったことが、
明白にされていました。

大筋はこうです。

原発の安全神話というものが、
特に首脳陣(電力会社、~安全委員、~大学教授など)のなかに
蔓延し、関係機関から再三、安全性について、とっくに指摘されていながら、
完全にそれを、黙殺してしまって、
今回のような大きな被害になったということでした。

そこに見え隠れしているのは、
既得権益にしがみつく学者や委員たちの顔。

独立していなくてはならない部門が、
本来あるべきチェック機能を果たさず、
電力会社からの働きかけによるところで
動いていたかのような、いかがわしい
ただの烏合の衆と化していたことも、
浮き彫りにされていました。

チェックするべき立場の人間が、
チェックされる側に丸め込まれていては、
何も機能しません。

原子力安全研究委員会

どれだけの既得権益にしがみついていたのかを
白日の下にさらしてみれば、
おそらく、一目瞭然になることも多いのだと思います。

二つの番組を見て、
共通点を多く見つけられました。

まず、一般市民が、知らされないことが多すぎるということ。

これは、戦時中も今も少しも変わらないということです。
一般市民が何も知らされないで、どこかの委員会、どこかの肩書きだけ多い方々が
集まって、進行していくことが多すぎます。

これは、小さな町の市政など底辺の行政にいたるまで、
細部に至っています。

民主主義とは、ほど遠い、この現状。
小さき、正しき声は、黙殺され続ける
この国のあり方に民主主義という
建前だけのお題目に疑問を持たない人がいるでしょうか?

二つめは、思考の停止、これです。

トップから、現場まで、思考が停止してしまう怖さが、
二つの話からは、共通しています。
沖縄戦時、国の通達だったからと言って、沖縄方言で話したら、
自国の兵隊に殺された。

敵と対峙して、殺すか殺されるかという極限状態になるのが、
戦争なら、味方の一般人に対し向けられた銃弾というのは、
いったい何なのか?

これは、思考の停止によりもたらされた死です。

実際に手を下した兵隊が、そのようなことを
やりたくなくても、やらなければ、自分がやられる状況下、
では、その上官は?またその上の上官は?軍は?国は?

まったく、もって、思考の停止。
その行為全てによって、もたらされた死は、
もう取り返しがつきません。

原発問題も、原発に関連する専門家や、企業、族議員などなどが、
勝手に想定した客観性を持たない、安全神話。
これも、完全なる思考の停止。

何のための学問、何のための地位、名誉なのか!?

この国には、まだまだ、志を持たない
権威や名前だけを有する多くの輩が巣食い、
このかけがえのない日本という国を
食い物にしています。

我が国、日本が、脈々と大切にしてきたもの
それは、澄んだ心です。

整然とした澄んだ心。

それを持ち合わせることがなかったリーダーたちが、
国や企業や、権威ある立場、権力のある地位に着くたびに
黙殺される名もなき多くの一般市民の声、
この国は、戦時中と何も変わらない側面が、
まだ、多く取り残されていることに憤りさえ覚えます。

これで、社会は、進んだといえるのでしょうか!?










自主性をの引き出し方 その7

自主性の引き出し方 シリーズも佳境の その7 までやってきました。


ここまで読まれてきた方々には感謝です。


さてはじめましょう。

今回は、

『根底にある人間性に着目する。』


今日は、これです。


・いつも、やる気が見られない。


・何度も何度も、同じ注意をしないといけない。


・言動が、粗暴だ。


など、表面的に第三者である私に映る面があるとします。


でも、本当は、この人は、どう感じ、どう思っているのか!?

ここを、しっかりブレない目で見極めます。


人は、往々にして考えていることと行動が、一致しないことがあります。


これは、大人も子供も、もちろん、私にも共通して言える

いわば、性 (さが) みたいなものです。


幼い時、好きな異性に対し、冷たくしたりしませんでしたか?


本当は仲良くなりたいのに、それをどうも、うまく表せない。

こんな経験は、誰しも持っているでしょうし、

現在進行形で、このあたりがうまくいかない方も、大勢いらっしゃるのかもしれません。


私は、人を諭すとき、目に映り表現されている現象面に

あまりとらわれないようにしています。


こうは言っているけど、実は・・・


この 『実は・・・』 を見つけ出すことが、すごく得意です。


相手のしぐさや、言動などから、すばやく察しを付けます。


心の中にあって、なかなか外に出てこない自主性

引っ張り出してくるときものすごく、必要な要素になります。


一口に自主性を引き出し、行動に変えていくということを書いていますが、

実際の現場では、ようやく出てきた自主性も、突如として、また、引っ込んでしまったりして、

綱引きのような状態が、続いていくのがほとんどです。


個々に違う、段取りを経て、辿りついていく道のりではありますが、

最終的には、根底にある人間性が、行先と到達速度を変えてくるような気がします。


個々に持ち合わせた、本質的な部分。


これに、早い段階で気づき、その本質に合った指導を手掛ける。


本人以外の第三者の導きによって

自主性という極めて、コアな部分を引き出す。


一見簡単なようで、難しい。


私は、この部分に指導の核を置いて、

今までも、これからも、指導を続けていきます。


それは、

やらされているのではなく、自分からやる。


こうならなければ、人間の根本的な成長はあり得ないと考えるからです。