家庭教師であるという事。 -28ページ目

指導力の源泉 その2

前振りとして、その1で、『指導する』ということは、『期待の産物』である
というようなことを書きましたが、

その2では、本題の『指導力の源泉』ということについて、
書いていきたいと思います。

『期待の産物』の側面を持つ指導が、

その期待に応えるためには、どうしたら良いのでしょうか。


私の経験を踏まえた指導論として展開していきます。


まず、私は、『指導力の源泉』は、
人を思いやる心が、根底になければならないと思います。


指導者になる人は、思いやりがなくてはならないと思います。
思いやる気配りで、人と人との心をつなぐ、
そうあってほしいと思うのです。


指導するということは、
指導者が指導できるスキルについて、
指導される側を思いやって、
指導する。

当たり前のことを書いているようですが、
これがなかなか、世の中に多くはありません。


指導者側のエゴの押し売りや、
指導者側の自己保身など、
指導者として人格を疑いたくなる要素を目の当たりにし、
愕然とすることが、
不思議と多いように感じます。

これは、指導する側とされる側の
心的作用が、影響するものと考えられます。
指導される側が、どうしても立場が弱くなってしまう傾向があります。

また、
私は、何かを指導する立場の人間は、
より謙虚な心持ちで、指導をしながら、
自分も成長していこうとする姿勢が、
根底にあるべきだと考えます。



成長を自ら止めてしまい、
過去の栄光や実績にすがり
自己研鑚を忘れてしまった指導者に
優秀な指導者はいないと思います。

指導するということは、
共に成長することでありたいと思います。


『指導力の源泉』は、
相手を思いやる心と、
共に成長しようという絶え間ない向上心、

この2つが、かみ合って、
最良の効果を生み出す土壌を作るのではないかと考えます。

押し売りや、エゴになってはならない。
自戒を込めて、この記事を更新しました。


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指導力の源泉 その1

『指導』という言葉、

簡単なようで、広義の解釈ができ、

違った言葉を合体していけば、
(学習指導、実技指導、模範指導、キャリアアップ養成指導など)

意味的には、無限大に広がります。

いづれにせよ、人をある一定方向へと、
導くという作用を期待した行為だと解釈できます。

ここに、期待という言葉を用いたのは、

指導する側は、指導される側を意図する方向に導きたいという期待があり、

指導される側も、効果はどうあれ、その方向性に進みたい、もしくは、進むべきだと
個人差はあれ、期待感を含みます。

また、指導をされる側の第3者(例えば、家庭教師なら、親御さん、社員教育を希望される会社なら、経営陣の方々など)が、指導者の意向に賛同し、
指導を依頼し、その効果を期待される、と、この三者三様の期待を含むわけです。


つまり、私なりに、この『指導』という言葉を、
ある側面から表現するなら、『期待の産物』であるということが言えます。

したがって、ジャンルはどうあれ、指導者は、期待に応えるという宿命を背負います。
つまり、指導者が、指導される側、もしくは第三者の期待を著しく裏切った場合、
これは、指導者としての資質や能力が、足らない、もしくは、不適格だということになります。

では、今日の記事のお題、適切な『指導力の源泉』というのは、
いったいどうあるべきなのでしょうか!?

その2へ続きます。












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週末野球漬けでした!

週末は、いつものように、
少年野球のコーチ、三重、岐阜、愛知を
遠征、遠征で、朝6時代の集合、夕方まで、
炎天下の中、くたばりました。


その合間に、自分の試合が四日市であり、
毎度ながら、野球漬けの週末でした。


我々の時の少年野球と言えば、
練習がメインで試合は、数えるほどでした。
父兄なんかは、ほとんどついてもきません。

今の少年野球(私もここのOBですが、)、
出場する大会も、試合数も多く、
学年が上がるごとに、試合がメインのような感じになっています。

それだけの試合を遠征しながら、
こなしていくには、父兄が動員されなければ、
こなしていけない現状です。

少年野球にたずさわっていらっしゃる全国の方々!

監督、コーチ、父兄、皆さん大変ですが、
子供たちが、野球を大好きになってもらうように、
頑張りましょう!