確証バイアスの限界に挑戦 | DANの阪神などのブログ

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ブログを始めてもすぐ飽きてしまうので奥さんに譲渡したものの、奥さんも飽きてしまい数年放置していましたが、もっかい始めてみようと思います。阪神の話題が中心になる予定。

とりあえず4月に5類に落とすことはほぼ決定でいいのかな?


4月という時期に何ひとつ意味はなかろうし、とっくにやってなきゃおかしかったんだから悠長なこと抜かしてないでとっととやれやとしか思わないので、私的に別段岸田の評価は変わりませんが、支持率は一時的にちょこっと上がるかも知れんませんね。更なる先延ばしも岸田だったらやりかねないので、油断せず注視していきます。


前の記事で述べたように、5類になっても各ガイドラインがそのままならマスクを始めとするカンセンタイサクも随所に残ってしまう恐れはありますが、とりあえずこれをしないと始まらないことが決まりそうなのはいいことです。


しかしまぁ、返す返すもとんでもない長期に渡る無益な消耗戦に陥ってしまったものです。確か2021年1月の「オドレら正気か?!新春ライブ」でのことだったと思いますが、木村盛世さんが「このまま行くと日本は、コロナ自体の被害は諸外国と比較して非常に軽微にもかかわらず、世界で最も最後までコロナ禍を引っ張る国になる」と発言されていました。

「うげぇ、本当かよ?」と思いましたが、あれから2年が経過し、日本と最底辺のマッチレースを繰り広げていた中国がゼロコロナ政策を急激に緩和し始めた為(流石に独裁国家は決めたら早い)、悲しい哉本当にその通りになってしまいましたね。
私はこの未だに感染対策絶対、1億総マスクの日本の現状がもはや国辱ものだと感じていて、本格的にこの国はもうダメだと絶望感ばかりが募る毎日です。独り身だったら、中川淳一郎さんみたいに国外疎開を検討していたかも知れません(外国語全く喋れないけど)。


こうなってしまった要因は様々で、岸田政権の愚鈍さや、専門家達の強欲さは言うまでもありませんが、それ以上に厄介だなと思うのが、大衆の自己正当化です。

思えば、この騒動において、話を常にややこしくして、問題を長引かせているのは最初から現在に至るまでずっとこれだったかなと。

私自身はご存知の通り今や全くコロナを怖いと思っていない訳ですが、勿論最初から怖くなかった訳ではないし、それなりの感染対策はしないといけないものと思っていました。オミクロン株以降はどう見たってただの風邪ですが、最初からただの風邪だったなどと言うつもりはありません(分類的に風邪の一種なのは間違いないですが)。

それが、日本での被害がどうも軽微そうで、実は毎年のインフルエンザの方が死者が多かったことが分かり、そこまで怖れる必要がないものだと認識を改めたのが2020年の4月くらいでした。
それ以降は、コロナ論を始めとする書籍を読んだり、Twitterに居場所を見つけたり、細やかながら当ブログで意見を発信したりしていたわけですが、振り返ってみても概ね間違ったことは言ってなかったなと思っています。

これだけ世の中が狂いまくる中、情報の取捨選択を誤らなかったことは我ながら中々のもんだなと思うのですが、じゃあ今頃ドヤ顔しているのかと言われれば、未だに隠れキリシタン状態です。少なくとも私の会社は2年前から情報が全くアップデートされておらず、ゼロコロナ志向の感染対策を引き続き絶賛実施中で、公然と異議を唱えようものならたちまち村八分で恐らく無職に逆戻りでしょう。

周囲の会話を聞いていても、みんな相も変わらず、
コロナは罹ったらヤバい病気だと思っているし、
コロナは無症状の若者が遊び回ってばら撒いていると思っているし、
陽性になったら家族ごと隔離しないといけないと思っているし、
人流が増えて密になるのが感染拡大の原因だと思っているし、
マスクなしで会話したらたちまち感染すると思っているし、
医療関係者が頑張っても追いつかず医療逼迫していると思っているし、
基本的な感染対策を徹底したら感染拡大を抑えられると思っているし、
ワクチンは接種券が届いたら周囲の為に打たなければならないと思っているようです。
こんなのが未だに度々聞こえてきてもひたすら黙っていなきゃならないって相当な苦行で、ただただげんなりしますね。

上に書いてあるようなことは、最早理屈で完全に覆せるだけでなく、現実に間違いであるという実証データも世界中にあるし、自分の見える範囲でも違う現象が幾らでも起こって実感としても嘘だと分かる筈のものばかりですが、誰もそれを見ようとしない、理解しようとしていないというのがひしひしと感じられます。

自分がすでに持っている先入観や仮説を肯定するため、自分にとって都合のよい情報ばかりを集める傾向性のことを確証バイアスと言いますが、3年にも渡って行われたこのコロナ騒動で、「コロナはヤバい病気」「感染対策絶対」という最初に信じ込んでしまった教義を今更否定できない人が大量に生まれ、確証バイアスを総動員して必死に自己正当化に勤しんでる状況です。


そもそも、最初は肺炎を起こすウィルスだった筈なのに、そんな設定は完全に忘れ去られ、まずは味覚障害とかを過度に恐れるようになりました(←いや、一生味がしなくなるなら一大事ですが、数日で治って、実際になった藤浪晋太郎とかピンピンしてるでしょ?)。
それも大して聞かなくなったなと思ったら、今度は高熱を出して数日寝込むみたいなのを怖がるようになりました(←いや、だからそれちょっと重めの風邪だってば)。
そして今は、「何だかよくわからないけど色々あるらしい後遺症」を怖がっている状態です。
「後遺症」って言葉も随分と定義が変わりましたね。私はてっきり、何年も(下手すりゃ一生)残るような症状のことを言うのだと思ってましたが、先週寝込んでまだ体がだるいとか、咳が何週間か続いているみたいなショボいやつも後遺症だと大騒ぎしています
なんか怖がる対象がどんどんスケールダウンしていますが、恐らく多くの人は本心ではさほど怖がっちゃいないでしょう。ただ、マスコミや専門家に踊らされコロナをずっと怖がってきた自分を今更否定できず、怖がる理由を一生懸命探している心理状態だと思われます。
オミクロン株になって、自分の周囲にも感染を経験した人はゴロゴロいるようになりましたが、それでも「すごくしんどかった」って言ってる人の話ばかりにやたら食い付く様子を見るにつけ、相当「コロナは怖い」の確証バイアスかかっているなと。

そういう人に向かって、「コロナなんてただの風邪でしょ」なんて言った日にゃ、甲子園球場をディスられた時の阪神ファン並みに怒り出すと思います。
余談ですが、知ってますか?阪神ファンは総じて、阪神タイガースをディスられても大して怒らないけど(ディスられ慣れてるし、実は自分らが一番ディスってるから)、甲子園球場をディスられるとたちまち怒って敵認定してくるんですよ。
つまりもう、阪神ファンにとっての甲子園球場と同様に、コロナ脳にとって「危険なウィルスであるコロナ」がまるで俺達の誇りみたいな扱いになってしまっているので、それを否定されることがいかに彼らの自尊心を傷つけるかという話でしかありません。

それでもまぁ、自分が勝手にいつまでも怖がっているだけならこちらに実害はないので別にいいのですが、その怖さを少しでも緩和する為に自分が有効だと思い込んだ感染対策を絶対視し他者に強要、従わない者を差別し、対策によって発生する弊害には一切取り合わないということをやり始めたことが、日本におけるコロナ騒動を最悪の結果に導いた最大要因です。そして、徹頭徹尾それを正当化する確証バイアスが発揮されまくっていたなと感じます。

「基礎疾患のある高齢者が危ない」というのが最初の自己正当化に使われた言葉でした。前にも書きましたが、見ず知らずの病気持ちの老人の命が普通の人にとってそんなに大事な訳がないし、心配な高齢者や家族が気を付ければ済む話でしかないのに、ただ自分が罹りたくないだけの輩が高齢者の命をダシに国民生活を居丈高に制限してきたという有様でした。


コロナの弱毒化が顕著な今日となっては、コロナの症状が主要因となって死に至る高齢者なんて最早実在するかどうかすら怪しいレベルだと思いますが、未だにこのお題目を唱えれば善人面できると思っている馬鹿もいます。


そんなこんなで、カンセンタイサクを他人に強要する建前を得てしまった連中があれこれと人の日常に指図してくるようになってしまったわけですが、今の今まで効果を実感できた対策など一つもありませんでしたね。マスク然り、PCR然り、自粛然り、ワクチン然り、実際の様々なデータを見ても無意味か逆効果だったという結果しか出てきません。


こっちはそれらが効果を期待できない理由についても説明できるところまで理論武装しているというのに、連中ときたら「テレビで言っていた」「専門家が言っていた」「お上が推奨していた」と言うだけで、何も自分で考えていないのでしょう。

その証拠に、コロナ脳の口から「玉川さんの説明に納得できた」とか、「西浦先生の理論が分かりやすかった」とか、「小池都知事のあの政策は効果があった」みたいなのは、一度たりとも聞いたことがありません。

(「尾身茂先生を1万円札の肖像にしろ」と言っていた馬鹿なら1人知ってるけど)


結局のところ、自分がしていることを正当化してくれる権威に飛び付いてその威を借りて他人に指図してきてただけで、その内容が理論的に納得できるかとか、実際の結果がどうだったかとかは二の次になっています。ものを考えない人にいかに理論を尽くしたところで受け付けないのは自明であり、これも確証バイアスですね。


つくづく↑これが真理だなと。


そして彼らは、そのカンセンタイサクを行うことによる弊害を徹底的に軽視、或いは無視し続けました。経済より命という超薄っぺらいスローガンの下、碌に成果も出ない対策を、コストを一切度外視して3年間もやり続け、尚も更に強化しようとする奴までいる始末です。

こういうのをサンクコスト効果と言いまして、既にかかったコストをもったいないと感じ、合理的判断ができず取り返そうと更にコストをかけてしまう現象です。「今まで頑張ってきたことが無駄になる」って、テレビで芸能人とかがよく言うやつです。

多大な犠牲を払ってまで行ったカンセンタイサクがもう意味がないことが世界中で実証されたのだから、早いところ損切りしてしまえばいいのに、間違いが認められず、もっと徹底すればきっと効果がある筈だと更にコストをかけて対策を強化するような愚行が延々と続いている状況です。

これも、間違いを認めようとしない確証バイアスの一種ですね。


マスコミ、専門家、政治家ら発信者側も一切間違いを認めない「謝ったら死ぬ病」に罹っていますが、大衆側も多くが同じものに罹患しています。発信者側と違って、こっちは乗せられた側にまで謝れなんて言ってなくて、ただ通常に戻してくれと言っているだけなんですが、それすら全く聞き入れてもらえないこの状況。何なんですかこれは?


とはいえ、もう無理でしょう。

余命幾許もない高齢者を僅かに延命させることを建前に、無意味なカンセンタイサクを全国民に強いてきた3年間。自粛により失業・倒産がいくら増えようが、生き甲斐を失った人がいくら自殺しようが、出生率がいくら下がろうが、子供がマスク強制や黙食で苦しもうが、「コロナだから仕方がない」で正当化してきましたけど、その確証バイアスもガラガラと音を立てて崩れる寸前だと思います。


とりわけ、ワクチンの被害をどこまで知らんぷりできるかなと。

世界的にはもうワクチンの被害が既に広く知られ、日本でも週刊新潮や週刊文春も特集を組むようになり、地方局ではテレビでも報じられて、被害者遺族の生の声も今や幾らでも出てくる状況になっています。


命を守るとか言って国民に打たせまくったワクチンで、コロナでは死なない人が膨大に亡くなっている事実は、どんなに権力側が隠蔽しても程なく知れ渡るでしょう。

そうなれば、今までワクチンを激推ししてきた連中は、大虐殺に加担してきた犯罪者に一気に転落し、そいつらが主張してきたことが急転直下、全て間違いだったと断じられる日が来るかも知れません。


未だに専門家連中は、5類に反対してずっと同じように煽り続ければ、ずっとこの世の春を謳歌できると思っているようですが、もう梯子は外されているってことに気付いていないのでしょう。

こんな記事ももう全国紙に載ってますしね。


そんな犯罪者達にコロナに関する見解を全て委ねてしまった人は、後でものすごく恥をかきますよ。いいんですか?と言いたいですね。


その時には、私はようやくドヤ顔できるかな?