髙田クロエです赤薔薇

はじめてこのブログにいらした方へ…はじめましての方へ



自分のことを可哀想だな、
と思う出来事に遭遇することはあるものなのかもしれません。

そのとき、どう思うかで、
その先の人生の道のりは変わってしまうように思います。


自分は可哀想、
だと思ったとき、
可哀想な人になる。

(可哀想な私、の道のりに足を踏み入れてしまう)

それまでは、可哀想な人とは思わなかったのだから。

可哀想な人と思う方が楽かもしれない、すくわれるかもしれない、
解放されるかもしれない、
そんな扉が開きそうになっただけなのだ。

可哀想な私、
と思いたくなった思いを整理しよう。


可哀想な人はいない、
と決めると、
その扉は開かない。

強くあろう。
その分、
弱くなったように感じるだろう。

弱く感じるのは、柔軟性が増しただけ、
かもしれないのです。

弱く感じるのは、あなたの優しさが増したこと。

可哀想かもしれない。
でも、
可哀想ではなく、幸せかもしれない。

可哀想な私ばかりに視点が増えると、
可哀想な私ができあがる。


可哀想なこともある、
だけど、
可哀想ではなく、幸せかもしれない、
と視点を増やせられると、
私は、幸せなこともある、
と思考は無意識に幸せなことを探しはじめる。


可哀想な私の扉が開きそうになっても、
その扉を開ける手を止められる。