いんでね
もっと、セ~カクに言うと、
いんで、ねぇ!
なんやそれ?
そやから、
オマエなぁ~、
アホみたいなコト言うてんと、
いんでね!
…という会話。
わかるかなぁ~、
関西人以外は…
わかれへんかも!?
関東以北の方やった
エエんちゃうん…、という
良いんでねぇ~、
と勘違いするかも!?
いいんでねぇ~、
良いんでネェか…、と。
いやいや、
ちゃう!
いんで → 帰って
ね → 寝ろ!
いんで、ねぇ
つまり、
そんなあほなコト言てるんやったら、
帰って寝んかい、ボケェ~!
…という意味やな。
ホンマに言葉ってオモロイもんやな。
昔やったら、
地方は閉ざされてたので、
言葉って、地域色が濃かった。
でも、テレビの影響や
地域間交流が進んでいく中で、
「地方の言葉」がだんだん変化していって、
強烈ななまりとか、
ワケワカラン地域独特の言葉が薄まってきてる、
…ような気がする。
ほんで…、
びっくりしたんけど、
小学校の国語の時間の朗読って
「標準語発音」で読まんとアカンのヤってね。
地方のガキ、いや…、言葉が悪いな、スンマヘン!?
地方の小さいお子さんが国語の本を
標準語で読んでる…
なんや気持ち悪いで!
こうゆうコトでも
「方言」「その土地の発音」
というンが
どんどん変化するンやロな。
ほんで、
「方言がかっこ悪い」と思ってる
若いねえちゃん、にんちゃんが、
カッコつけてワザと標準語に近い言葉を使う!?
それもヘンなことかも!?
いや、時代かもしれん。
そう言えば、我が「紀州和歌山」の言葉、
関西にあっても
「和歌山ってドコなん?」
「和歌山って九州?」
…なぁんて。存在感が薄く、
『近畿のオマケ』とまで揶揄されたほどの
和歌山。
なにをいう、はやみゆう、だるびっしゅゆう…
元をいえば、徳川御三家。
もっと古代は『大和国』の入り口で栄えたトコ。
そんなトコやけど、
大阪とは紀伊山脈で隔たれた紀州和歌山は、
独自の文化と言葉を持つンやな。
関西であって、
関西とはチョイと違う…、みたいな。
で、言葉も、
関西弁やけど、チョット違う。
関西で言葉が違うンは
『京都北部(日本海側)』と『兵庫北部(日本海側))』
そして『和歌山』と言われてる。
…ちゅうことは、独自の文化をはぐくんできた、
…ちゅうことやな。
でも、近年は人々の交流や
テレビなどのマスメディア、
情報量の増大…、
そんなこんなで、
『純粋な和歌山弁』が段々消えつつある。
それはきっと全国的な現象やろな。
もちろん言葉の教育も含むやけど…
そんなこんなで、
段々、日本語が共通しつつある。
地方独特の言葉が消えていく
それも時代。
言葉は生きモンやからな。
田舎のねぇ~ちゃんが
ヘンな江戸言葉になったら
なんや気持ち悪いけど、
カッコつけネェちゃんやニィちゃんは、
きっとそれがカッコエエと思てるんかも!?
どう~でもええけど…。
そうそう、和歌山にはめっちゃ短い会話がある、
…というハナシやけどね。
それは…
や
け
…という一言だけで会話が成り立つというモン。
や → あげましょう
け → ください
これ、あげるでぇ。
ほな、いただきます…。
これを、紀州和歌山の言葉で…
や け
以上!?
ま、これも、
和歌山北部のみ限定で、
しかも、
今の若い子は使えヘン…かも。
これももうそろそろ死語やな。
和歌山の死語でもチョット優雅で
且つ、無くなって勿体ないなという言葉もあった。
『のし』言葉、っていうもん。
女性言葉で、語尾に『のし』というノンがつく。
『今日はエエ天気やのし』
『そうやのし』
今では全く使われヘンようになったけど、
ワタシがまだまだ小さい頃、
上品なおばあさまなどがよく使ってた。
で、今、和歌山弁は『大阪弁』に吸収合併されようとしてる。
和歌山弁が関西弁の中で特異な言葉で
若者は使いたがらない…、そんな風潮も後押ししてるみたいや。
言葉は国の宝…
そう言うたモンやけど、
いまは前述の通り、
日本の言葉は統一化現象が起こってる。
メディアの発達が後押ししてるからやろけど。
でも、なんか地方の言葉って、
文化そのものやから大事にして欲しい気もするけどね。、
ま、言葉は生き物…
変わるのも定めなのでしょうねぇ、きっと。
話はコロッと変わって、
『Facebook』って名前が変わるみたいやね。
『メタ』になるそうな。
メタバース…、
つまり『仮想空間』を意味する言葉らしい、知らんけど…。
これからは、アバターを通して交流をするためだとか。
なんや気持ち悪いな。
仮想空間で、ワタシとあなたたちが、
アバターという化身で交流する?
ん~、これも時代でしょうか?
時代やね!
ついて行けるかどうかはわからんけど、
時代やなぁ~。
…ちゅうことで、
ほな
また
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