私はその写真を三葉、見たことがある。
一葉は、その場所の明治後期、とでもいうべきであろうか…。ウンヌンカンヌン
第二葉の写真は、これはまたびっくりするくらいの風景であった…。ウンヌンカンヌン
もう一葉の写真は、最も奇怪なモノである。まるでもうとしの頃がわからない…。ウンヌンカンヌン
一葉は、その場所の明治後期、とでもいうべきであろうか…。ウンヌンカンヌン
第二葉の写真は、これはまたびっくりするくらいの風景であった…。ウンヌンカンヌン
もう一葉の写真は、最も奇怪なモノである。まるでもうとしの頃がわからない…。ウンヌンカンヌン
なぁ~んて書き出すと、
おぃおぃ、盗作ちゃうの…、とご指摘の貴兄へ!
スンゴイ…
アンさんはよっぽどの太宰のファンと見た!?
アンさんはよっぽどの太宰のファンと見た!?
そう…、これはかの有名な太宰治の名作『人間失格』の冒頭の分をチョイとぱくった文。

太宰の『人間失格』では、こうなっています。
私は、その男の写真を三葉、見たことがある。
一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか…(中略)
第二葉の写真の顔は、これはまた、びっくりするくらいひどく変貌へんぼうしていた。(中略)
もう一葉の写真は、最も奇怪なものである。まるでもう、としの頃がわからない。
一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか…(中略)
第二葉の写真の顔は、これはまた、びっくりするくらいひどく変貌へんぼうしていた。(中略)
もう一葉の写真は、最も奇怪なものである。まるでもう、としの頃がわからない。
こんな感じですな。
太宰の『人間失格』は三枚の写真を第三者と化した自分が詰めるところから始まりましたね。
三枚の写真
そうなんです、
本題のお題は『三枚の写真』…、です。
本題のお題は『三枚の写真』…、です。
ですから、連想で太宰治の『人間失格』の冒頭をパチったと言うこと。
そんだけかぁ~い!
そう、
そんだけです…。
そんなしょもない、こじつけから始まった本日のお話し!?
で、ワタシの手元にあったのはかなり古い三枚の写真。
で
一葉は、その場所の明治後期、とでもいうべきであろうか…。ウンヌンカン
…ちゅうことで、これが一枚目…

ホントは写真と云うより『絵はがき』です。
もっと正確に言うと『観光絵はがき』というジャンルかな。
もっと正確に言うと『観光絵はがき』というジャンルかな。
昔は観光地などのPR用に『観光絵はがき』というのが各地で作られておりました。
コレもそのうちのひとつ…
これは…
和歌浦という所の『望海楼』という観光旅館のようです。
明治の終わり頃でしょうか…。
時代はよくわかりません。
和歌浦という所の『望海楼』という観光旅館のようです。
明治の終わり頃でしょうか…。
時代はよくわかりません。
和歌浦…
知らない人は知らない、
知っている人は知っている…
アタリマエダノクラッカー
知っている人は知っている…
アタリマエダノクラッカー
そう、和歌山市にある古くからの観光地で、
かつては『新婚旅行のメッカ』とまで言われた景勝地ですが、
今では、カァ~・カァ~・カァ~、と閑古鳥が鳴きまくっているというトコロ。
かつては『新婚旅行のメッカ』とまで言われた景勝地ですが、
今では、カァ~・カァ~・カァ~、と閑古鳥が鳴きまくっているというトコロ。
観光旅館が建ち並び、賑やかだったのも今は昔…
そういえば、この地は…
万葉の昔にもこう歌われました。
万葉の昔にもこう歌われました。
わかのうらにしおみちくればかたおなみ あしべをさしてたずなきわたる
(若の浦に 潮満ち来れば潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴き渡る)
山部赤人というオッチャンが詠んだうた。
万葉集に載っておりますな。
万葉集に載っておりますな。
そんないにしへの時代から有名な景観地。
そこに建つ旅館が一枚目の写真。
そして2葉目は、

後ろに見える山の中腹は西国第2番札所である『紀三井寺』。
今とはずいぶん変わってしまった風景。
今とはずいぶん変わってしまった風景。
でも、写真中央に移っている建物『観海閣』は
第2室戸台風(昭和36年)でコンクリート造で建て替えられたものの、
この当時の景色とはあまり変わっていないことにこれまたびっくり。
でも、写真に写っている人物などは時代を感じますねぇ。
で、今回一番言いたかった、見せたかったのはコレ!
三葉目の写真…

ほらほら…
これこれ…
山の方に向かって建っている鉄骨の建造物。
なんじゃらほい? …って?
実はコレ、
屋外観光用エレベーターなのです。
別の角度からのモノもありました。

これは…
日本初の展望エレベーターだったのです。
その日本初がココ和歌浦にあったのです。
その日本初がココ和歌浦にあったのです。
日本初!
このエレベーターは一枚目に写っていた望海楼という旅館が建設したもの。
明治43年に建設され、東洋一のエレベーター「明光台」としてメッチャ宣伝され多くの観光客が来たそうです。
明治43年に建設され、東洋一のエレベーター「明光台」としてメッチャ宣伝され多くの観光客が来たそうです。
その客の中に明治の文豪『夏目漱石』さんもいた!
夏目漱石さんは小説『行人』の中にこのエレベーターについて書いています。

和歌浦に母・兄・嫂と共に訪れ、旅館にあるエレベーターを…
手摺の所へ来て、隣に見える東洋第一エレヴェーターと云う看板を眺めていた。この昇降器は普通のように、家の下層から上層に通じているのとは違って、地面から岩山の頂まで物数奇な人間を引き上げる仕掛であった。所にも似ず無風流な装置には違ないが、浅草にもまだない新しさが、昨日から自分の注意を惹いていた。
浅草にもまだない新しさ…
漱石さんはこんな和歌山の地に当時の最先端だった浅草にもない…
とオドロキを交えて書いたのでしょうなぁ。
でも、こんな珍しいと言われたのもしばしの人気。
人とは薄情なモノで、すぐ飽きる!?
人とは薄情なモノで、すぐ飽きる!?
営業的には失敗だったようで、すぐにお客さんはガタ減りになり、
大正5年には取り壊しとなったみたいです。
大正5年には取り壊しとなったみたいです。
その理由は、第一次世界大戦で鉄の値段が上がったこと…、だったと言うからなんとも情けない。
和歌浦はこのようにかつては旅人も多く訪れ、
人気のスポットだったのですが、今では閑古鳥かぁ~かぁ~。
カンコドリノナキカタハワカランケド!?
和歌浦は新和歌浦にスポットを替え、
高津子山にはロープウエイがひかれ、空中展望台なるモノが出来て賑わった昭和30~50年代だったな。
今はあれだけあった観光ホテルもほとんどが姿を消し去っている。
さびしいな…。
思いでの地でもあるし…。
まぁ、栄えがあれば衰え衰退もある。
コレが世の常。
コレが世の常。
そんなこんなの和歌浦の古い写真でございました。
ほな
また