贅沢な時間…
前回のブログでは、贅沢な時間は誠に退廃的な時間の使い方で…失礼こきました。
あはは…
こういう退廃的なことは…
実にワタシ的ではございましたが!?
実にワタシ的ではございましたが!?
でも、
しかし、
but…
しかし、
but…
一部の見識ある方にお叱りを受けましたが(!?)、今度こそホンマにホントのアカデミックかつカルチャーの香りがする『ゼ~タクな時間』の過ごし方でございます。 ナンチテ
ゲ~ジュツのお話です。
絵画です。
絵画です。
ただいま開催されております『夢見るフランス絵画 印象派からエコール・ド・パリへ』という展覧会に行って参りました。
あっ、そうそう!
これは明日、6月1日までですよぉ。
お早めに!
これは明日、6月1日までですよぉ。
お早めに!
***** ■ ■ ■ *****
場所は兵庫県立美術館…。

ご存じ、日本が誇る建築家『安藤忠雄氏』の設計ですね。
直線を生かしたステキな建物…
神戸の街、そして海辺にすごくマッチしております。
ここで開催されているのは『夢見るフランス絵画 印象派からエコール・ド・パリへ 』という展覧会。


これ…
すっごく来たかったんですが何しろ色々多忙で、
やっと閉幕ちょっと前に訪れることが出来ました。
ぎり、セ~フです!
で、
おフランス…
おフランスの絵画ざんすぅ~!
おフランスの絵画ざんすぅ~!
あっ、しょうもないことを思い出した。
『おフランス』と言えば、
漫画『おそ松くん』に脇役で出ていた『イヤミ』はいつも、
『おフランスでは○×ざんす~』
と言っていたなぁ。
フランス帰りで出っ歯、妙なリーゼントスタイルで、『ミーは』と自分を呼ぶ…なぜかココだけが英語?
そうそう、イヤミの『しぇ~』は日本国民こぞって真似したよねぇ。
ちなみに、裏知識によりますと『イヤミ』はホントは
フランスに行ったことがなく、フランス帰りというのは見栄だそうな…。
どぉ~でもいいですよぉ~。
さて、お話をマジメな方に戻しましょう。
今回の絵画展は個人のある収集家のフランス近代絵画コレクションから71点が出てるということらしい。
なぬ!?
こ、こ、こじんとなぁ~!?
個人、ってコジン!?
ヒトリが持ってるちゅうこと?
なんとまぁ~。
あっと驚く為五郎…ドコロの騒ぎではございません。
ヒトリでっせ!
そのコレクションの中から…
ちゅうことはまだまだ他にもイッパイ持ってるって言う話しやんか!
どやねん…
どんな金持ちやねん…
どんな金持ちやねん…
しかも、これは日本人らしい。
名前は公開してないけど『ある収集家』ってだれやろ?
お友達になりたいわぁ~、ナンチテ。
で、そんなイヤラシイ話しはさておきまして
おフランスの絵画でございます。
19世紀のおフランス、花のパリ…
『花の都パリ』は芸術の聖地でしたね。
『花の都パリ』は芸術の聖地でしたね。
この地で最新の美術に触れてみたいと多くの画家達が憧れを抱き、この地に住み着きます。
日本からも藤田嗣治、浅井忠、佐伯祐三、坂本繁二郎、川口軌外など多くの洋画家達が遠く離れた
フランスの地に学びに訪れております。彼らにとってフランスの地は憧れと言うだけではなく、
芸術を学びとるためには行かなくてはならない重要な場所だったのですね。
これ以前のヨーロッパ絵画と言えば、宗教画、肖像画ばかりでした。
19世紀の初め、ちょうどその頃は肖像画を描くことがステイタスとされ、写実主義の時代でした。
実はあるおもしろいオハナシがあるのです。
それは、ヨーロッパにおける絵画の中心が宗教画や肖像画から変わっていくのは
それは、ヨーロッパにおける絵画の中心が宗教画や肖像画から変わっていくのは
実は日本の浮世絵の存在があったからじゃないのかと…。
のびのびと自由に描かれている浮世絵がヨーロッパで大々的に紹介されたのは
万国博覧会の時だったそうです。
日本から来た『浮世絵』は西洋のが形に大きな衝撃を与えます。
フランス芸術界でも、この影響は『ジャポニスム』と呼ばれ、
フランス芸術界でも、この影響は『ジャポニスム』と呼ばれ、
これが写実主義から『印象派』への移行の引き金とさえなったともいわれております。
(一部の説かもしれませんが?)
とにかく…
19世紀後半からは写実主義からバルビゾン派、そして『印象派』へと流れていきます。
この展覧会の『第一章』はこの時代の絵画。
■第1章 印象派とその周辺の画家達
印象派…、日本人には特に任意がある画家さんが多いですね。
セザンヌ、シスレー、モネ、ルノアールなどなど
セザンヌ、シスレー、モネ、ルノアールなどなど
印象派のそうそうたるメンバーの絵画がズラリと並びます。
印象派は光の下、明るい色彩で描き、
どちらかというと荒々しいタッチで絵の中に明確な線が見えないのも特徴のヒトツですね。

モネ
『エトルタ、夕日のアヴァル断崖』

セザンヌ
『大きな松と赤い大地』
印象派…
1874年にモネ、ドガ、ルノワール、セザンヌ、ピサロ、シスレーなどが私的に行った展覧会が後に『第1回印象派展』と呼ばれるようになったといいます。このときモネが発表した『印象・日の出』とう絵から印象派と呼ばれたとか。当時、新聞記者からは『印象的にヘタクソだ』といわれたとか。おもしろいもんですね、時代って。
1874年にモネ、ドガ、ルノワール、セザンヌ、ピサロ、シスレーなどが私的に行った展覧会が後に『第1回印象派展』と呼ばれるようになったといいます。このときモネが発表した『印象・日の出』とう絵から印象派と呼ばれたとか。当時、新聞記者からは『印象的にヘタクソだ』といわれたとか。おもしろいもんですね、時代って。
■第2章 革新的で伝統的な画家たち
19世紀後半…、当時、無茶苦茶いわれ、
批判された印象派も段々世間の理解が深まり、
20世紀に入ると更に表現の革新を求める動きが出て来ました。
それが『フォーヴィズム』や『キュビスム』…
個人的には…
キュビスムとかはあまり好みじゃない…なぁ。
第2章ではルオー、ヴラマンク、ディフィ、ドランなどが展示されてました。
ん~、チョット趣味ちゃうかも!?
心に残ったのはヴラマンクの『道』かな。
激しい色と、独特の筆遣いがすごかった…。
激しい色と、独特の筆遣いがすごかった…。
■第3章 エコール・ド・パリの画家たち
1920年代から30年代にかけて多くの若い画家たちがパリに集まってきました。
日本からも藤田嗣治、そして佐伯祐三などもそうでした。
日本からも藤田嗣治、そして佐伯祐三などもそうでした。
佐伯はこのときフランスで客死。
藤田は後にレオナール・フジタとしてフランス国籍を得ており、
フランスでは最も有名な日本人画家ですね。
そんな時代の作品…
エコール・ド・パリの画家たちの作品展示展。
で、エコール・ド・パリとは…
1928年にパリのある画廊で開催された『エコール・ド・パリ展』が語源だそうです。
1928年にパリのある画廊で開催された『エコール・ド・パリ展』が語源だそうです。
でも、彼らは印象派のようにグループ展を開いたり、芸術理論を掲げるわけでもなく、タダこの時代1920年代にパリで活躍していた画家達をさしていう、いわばこの時代のが形の総称のようなモノかもしれません。
ユトリロ、モディリアーニ、シャガール、キスリング、藤田嗣治などなどの個性派のが形が多く存在します。
ここにも、彼らの絵が展示されていました。
あっ、ローランサンもあったんだけど、これまた個人的趣味でいうと『嫌い』なのでココでは書かないでおこうっと! ごめんちゃい…

モディリアーニ
『バラをつけた若い婦人』
独特ですな…。
ビュント人物を縦に引っ張ったような
タッチで描くモディリアーニ。

キスリング
『百合』
そうそう、
この第3部ではユトリロの作品が多く展示していて、今回、なぜだかユトリロの作品がとても印象深かったな。
白の時代から色彩の時代へと変わりゆくユトリロ…
今回の展示では『エクーワンの教会と郵便局』という絵がとても記憶に残ったな。
彼が何故教会の絵を多く描いているか…
哀しい過去があるからですね。
そんなこんなの『夢見るフランス絵画展』…
個人の収集家が集めたというこのコレクション展。
フランス絵画の一番華やかな頃の絵画達が、
フランス絵画の一番華やかな頃の絵画達が、
ワタシたちにフランスに抱く『夢と憧れ』を感じさせてくれる…そんな展覧会でした。
心豊かに贅沢な時間を過ごすことが出来ました。
さんきゅ!
(補記)
以上の絵画写真は兵庫県立美術館に備え付けのPCから自分のPCに絵の画像を送るサービスを行っておりました。その画像を掲載させていただいております。
もし何かご都合の悪いことがございましたガラすぐ消去しますのでご一報下さい。