高野山を歩く…その2です。
続編はあまり面白くないので書くつもりがなかったのですが、マコトに有難いことに一部の方が『続きはぁ~!?』なぁんてお上手をおっしゃってくれたりするとブタもおだてりゃ木に登る!? ちゅうことでございまして、続きを書いちゃおうっと…なぁんて単細胞のワタシは思ってしまうのであります。
続編はあまり面白くないので書くつもりがなかったのですが、マコトに有難いことに一部の方が『続きはぁ~!?』なぁんてお上手をおっしゃってくれたりするとブタもおだてりゃ木に登る!? ちゅうことでございまして、続きを書いちゃおうっと…なぁんて単細胞のワタシは思ってしまうのであります。
で、
面白くもおかしくも無いのですが、期待なさらずに『高野山PARTⅡ』をお読みくだされば幸いでございます。
面白くもおかしくも無いのですが、期待なさらずに『高野山PARTⅡ』をお読みくだされば幸いでございます。
では、始まり、始まり…
……… ◇◇◇ ◆◆◆ ◇◇◇ ………
さて、前回からの続きです。
高野『女人道』を歩き、中の橋までやって来ましたワタシ達。
これで山歩きは終了…
高野『女人道』を歩き、中の橋までやって来ましたワタシ達。
これで山歩きは終了…
奥の院から大門までこんどは平地を歩きます。
奥の院駐車場から入る道…
奥の院駐車場から入る道…
左右には色んなお墓や供養塔が並んでいます。
かつては全国津々浦々から大名が墓所を建てたのがこの『奥の院』でしたが、今では企業の墓所ともなってますね。
かつては全国津々浦々から大名が墓所を建てたのがこの『奥の院』でしたが、今では企業の墓所ともなってますね。
トヨタ、日産、パナソニック、ソニーetc…多くの企業が墓所(企業の物故者)として利用しています。
ロケット…
これは明和工業というロケット産業に強い会社の社墓ですね。
これだけではなくて、ユニークな墓碑が多いのもココの特徴です。
福助、シロアリ、パチンコ、そしてコーラのビンetc…
福助、シロアリ、パチンコ、そしてコーラのビンetc…
いろんなのがあって見て歩くのは面白い。
さぁてぇ…
奥の院のメインロードに入るところにある立て看板をご覧あれ…。
奥の院のメインロードに入るところにある立て看板をご覧あれ…。
ほぉらね。
『弘法大師様が お住まい になるウンヌン』ですよ。
『弘法大師様が お住まい になるウンヌン』ですよ。
弘法大師様は62歳で入定されたのであって、決してお亡くなりになってはいないのです、ここ高野では!
只今、弘法大師様は瞑想中なのであって、決して亡くなってはいない…らしいのです。
只今、弘法大師様は瞑想中なのであって、決して亡くなってはいない…らしいのです。
それが証拠に奥の院の御廟には朝夕キッチリ2回、弘法大師様の元へお食事が運ばれ続けております。
千年以上も続いているそうです。
千年以上も続いているそうです。
すごいなぁ…
で、そのすぐ近くには『貧女の一灯』というのもまた、千年以上絶えることなく灯がともされております。
これまたすごい…
これまたすごい…
絶対に灯が消えてないんだろうか?
消えていないと言うコトですが、千年ですよ、センネン…
きっと、いつの時代かにアホでオチョコチョイの僧がいて、
『あっっ! やっちまった! 灯、まちごうて消してしもうたヤンけぇ!』
ということになってないのかなぁ。
『オイオイ! や、や、やばいどぉ! こそっと点け直さんかいぃ! 黙っとこ…、わかれヘンし…』
ということがあったかもしれないと、疑り深いワタシは思ったり何かして!?
消えていないと言うコトですが、千年ですよ、センネン…
きっと、いつの時代かにアホでオチョコチョイの僧がいて、
『あっっ! やっちまった! 灯、まちごうて消してしもうたヤンけぇ!』
ということになってないのかなぁ。
『オイオイ! や、や、やばいどぉ! こそっと点け直さんかいぃ! 黙っとこ…、わかれヘンし…』
ということがあったかもしれないと、疑り深いワタシは思ったり何かして!?
まぁ、そんなことはないと思います… すんまそん…
これは別の日に撮った写真ですが、この橋を『御廟橋』と申しまして、ここから先が大師御廟という霊域ですな。
ここから先はカメラはあきまへん。
タバコもあきまヘン。
飲食もあきまヘン。
聖域です。
だから、風紀を乱すワタシも入れまへん!? …な訳ないですな!?
さて、話しと写真を現在に戻しましょう。
樹齢はどれくらいだろう?
デッカイ杉に囲まれた墓標の数々。
デッカイ杉に囲まれた墓標の数々。
10万基とも20万基とも言われています。
特筆すべきは、戦国大名の約六割の墓所となっているのです。
上杉謙信、武田信玄、織田信長etc、etc…
徳川家、浅野家、松平家、島津家、伊達家、髪のケ、腕の毛、あしのけ!?
徳川家、浅野家、松平家、島津家、伊達家、髪のケ、腕の毛、あしのけ!?
ゴッツ有名なお墓がイッパイ並んでおります。
墓標を見てるだけでも面白いのです。
墓標を見てるだけでも面白いのです。
ナンでそんなに多くの大名の墓所があるのか…
宗派を超えて…
これは、弘法大師のお近くに眠れば極楽往生できるという信仰に基づいているのだそうです。
宗派を超えて…
これは、弘法大師のお近くに眠れば極楽往生できるという信仰に基づいているのだそうです。
この墓所は、初代紀州藩主徳川頼宣サマのもの。
ジ~っと見ると…
カワイいやんか…
ほらぁ~、
入り口の石の扉、 ハート・マーク になってる!!!
それにしても、大木が奥の院の参道にイッパイある。
それぞれに番号が付けてました。
樹齢はどれくらいなんだろう…
司馬遼太郎の文学碑もありました。何を書いてたかって? 知らんがな…。司馬遼太郎ってあんまり読んだことないし…。
さて、約2km程歩くと出口…
出口って…
ワタシ達は奥から歩いてきたので『出口』と書きましたが、本当は、ココが奥の院の入り口です。
奥の院から町中に入ると別格本山などのお寺がぎっしり建っています。
イイ写真がなくて、チョット雰囲気が伝わらないのですが、道の左右にはデッカイお寺、宿坊などがいっぱいイッパイ。
イイ写真がなくて、チョット雰囲気が伝わらないのですが、道の左右にはデッカイお寺、宿坊などがいっぱいイッパイ。
で、その中にこういうお堂が…
刈萱堂…
苅萱道心と石道丸の話は悲話として有名でございますなぁ。
このお堂は苅萱道心が実の子である石道丸を弟子とし、父と名乗ることなく仏道修行に励んだという場所。
その悲話を絵にしてお堂の中にグルッとかけられております。
そんなこんなの高野山…
高尚なお話しも良いのですが、ワタシどもと致しましては、ヤッパリこのお話しになるのでございます。
『高野山の美味いもん!』
ということでやって参りましたのが…
濱田屋さん…
高野山と言えば、名物『胡麻豆腐』ですよ。
弘法大師サマにより伝えられたとされ、1200年も前から高野山の名物精進料理として有名ですな。
弘法大師サマにより伝えられたとされ、1200年も前から高野山の名物精進料理として有名ですな。
その胡麻豆腐を扱うお店の中でも有名店がココ。
創業は、な、な、なんとぉ~百数十年前だとか。
創業は、な、な、なんとぉ~百数十年前だとか。
で、ここは吉野葛を使い混ぜ物一切無しということから、チョット高飛車な売り方をしておりますぞ!
保冷用品、つまり、クーラーとか発泡スチロールの箱とかを持ってこないと売らないのです。もしそれがなければ、お店で売っている保冷用の容器を買わないと胡麻豆腐を売ってくれません。
な、な、なぁんとぉ~、高飛車(!?)なぁ…
な、な、なぁんとぉ~、高飛車(!?)なぁ…
と、言いつつも、ワタシも保冷容器をお店の方に売りつけ(!?)られてお土産にかったのございます。
で、値段も高飛車…
こぉんなチッチャイのがこの値段!
高い!
お高いのです!
でも、名物だ、有名だ… となりゃ、あ~たぁ~、ミーハーなワタシなんぞは買っちゃうのです。
で、
お店の方のテクニックはすごい! このツルッとした胡麻豆腐を水を張った容器から紙の箱に入れるのがすっごく上手い!!! パッと手で持って、スルッと箱の中に入れる素早さ! ああ、これを動画で見せてあげたいくらいです。
ということで、この胡麻豆腐はワサビ醤油で食べるととっても美味しいのです。
モチのロン、今夜のお酒の肴でゴザイマス。
モチのロン、今夜のお酒の肴でゴザイマス。
お土産もかって、もうこれでいよいよ帰路に。
高野山の中心である金剛峯寺、壇上伽藍、
高野山の中心である金剛峯寺、壇上伽藍、
そして根本大塔…
少し霧がかかっているところがまた幻想的…かな!?
まだまだ、高野山内のキレーな写真をお見せしたいのですが、あいにくの霧の為にあまり紹介できないのが残念です。
以前にも記事をアップしておりますのでまたそちらもお探しください。
以前にも記事をアップしておりますのでまたそちらもお探しください。
という高野山、女人道を歩く続編…でございました。