行ってみたかった…念願の地を訪ねての巻  静岡・登呂遺跡 | The Sam's Room

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記憶に深く刻まれる…そういうことは多々あります。今回のお話しもその中のヒトツ。
ワタシは許容量の少ないドタマなのですが、その中に深々と刻み込まれているもの、それは『登呂遺跡』なのです。

ワタシ…ご幼少のコロ、まだまだ痩身の美少年だった頃のワタシ(えっ? ウッソぉ~…って? ハナタレ小僧やったんちがうン、って!? ほっといておくれやす!)、小学校の社会科の本には『古代の遺跡』として『登呂遺跡』がでかでかと載っていたのです。

なんやこれは…
変な格好の家やなぁ…

第一印象はそうだったのです。

変な服を着たヒゲもじゃオジサンがその建物(竪穴式住居)の脇に立っていたと記憶しております。

とにかくガァ~ンと大きなインパクト。
そんな記憶がしっかりと刻み込まれ、幾数十年…。
いつかは行ってみたいと思っておりましたが、遂にその機会に恵まれたのでございました。

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苦節数十年…とは大袈裟でございますが、『いつか行きたい…』と思っていたことが現実になりました。
ちゅうか…ねぇ。ホンマにそれほど強い思いがあったら既に行っているのですが、『いつか行ってみたいナァ…』というボンヤリとした思いがあったということでしょうか!?

まっ、それはイイとして、遂にやって参りました登呂遺跡…

以前は木に囲まれた風景を何かの写真で見たことがあったのですが、周りはなぁんにもなく、復活された建物群がポツポツっと建っておりました。

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すごいですねぇ…
竪穴式住居に倉庫…

古代の人々の暮らしが偲ばれます。

意外や意外… 全く知らなかったのですが、ここは昭和18年の発見だったとか。意外に古くから発見されていたモノではなかったことにちょっと驚き桃の木サンショの木…

で、で、2つ目のビックらコクのは、これは戦局が激しくなっていた昭和18年に飛行機の『プロペラ工場』を建てようとした時に偶然発見されたと言うこと。
これまたビックリシャックリ。
へぇ~、そうなんだぁ…

この遺跡は弥生時代後期の竪穴式平地住居跡12軒分、そして高床倉庫が2棟、周りの水田などが発見され、土器や装飾品、そして衣類などからコロッと丸ごと村落が出土したという『世紀の大発見やぁ~』となった…らしい。

訪れたこの日はまだ少し寒さが残る日でした。
なんやら人盛り…
近寄ってみると…

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どこかのテレビクルーが来ていて取材の真っ盛りでしたよ。
可愛いお子さんを撮ってました。

で、カメラをターンしてそれを見ているワタシの方にもカメラが…
あ、あ、アカン…
写しちゃヤダ!
思わず顔を隠すワタシでした。
べ、べ、べつにぃ~、や、や、やましい訳じゃないのですが…
なんだかこういう形で写るのはイヤなんです。
街角でインタビューされるのも凄くヤダ…。

まっ、テレビに出ることは少なからずあるのですが(ローカルです…けど)、なんだかこういうトコロマできてフイに写されるのはヤダ!
スタコラサッサとテレビカメラから逃亡するのでありました…。

で、『おじゃましまんねやわぁ~』という吉本チックなノリで入った竪穴式住居のなか、

イメージ 6 たちこめてくるのは火と煙のニオイ。何やってんのぉ~とのぞき込むと、そこにオジサンがいたのでした。で、彼は何をしていたかというと『炊飯中』だったのです。昔の暮らしの再現というのをやっておりました。で、何をやっていたかというと 

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これは『古代米』。
赤飯のようにも見えますが、古代米はこのように赤米だったそうです。
これを炊いていて、『食べてみますかぁ』とおっしゃる!

モチロン、食い意地のはっている… ではなくて、物見高い… でもなくて、ん~、研究熱心(!?)なワタシですから、いただくことにしました。

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『昔はねぇ、こんな風に葉っぱに乗せて食べてたんですよ』
とオジサンは言いつつ、昔のまんま手づかみで葉っぱに古代米を乗せてくれました。

ん~、オジサン、手が汚れてたんだけど…
ん~、少し気になるなぁ…

まぁ、エエけど。

で、葉っぱの上に乗せると言えば、数十年前は『検便』する際に葉っぱの上にウ○チをのせて、それをマッチ箱の中に入れて持っていったという思い出があるなぁ…古い話で恐縮ですが! えっ? ムッチャ古いですか? そんなこともあったのですよ…。ははは…

まぁ、そういう話しはおいといて、試食タイム!

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古代米です。
ん~、やっぱり『ひとめぼれ』とか『こしひかり』とは全然違うけど、やっぱりお米。
弥生時代はこういうお米を食べていたのかと思うと、舌と頭はタイムスリップ。
狩猟生活で不安定な縄文時代から、コメ作ができるようになり、生活も安定し村が形成されていったという図式が頭の中をグルグルグルグルグルコサミン…です。
感慨深いですなぁ。

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竪穴式住居はこう見えて、中は意外と広いですね。
一棟一家族でダイタイ5~6人が生活していたようです。
まぁ、十分な広さでしょうか。

多少乱暴な比較ですが、モンゴルのテント生活と比べると遜色ない…かも。

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矢じりを作るという体験もやっておりましたし、火おこし体験やその他諸々、様々な広大体験を毎日やっているそうです。

それはそれで凄いこと…ですね。
静岡市の力の入り具合がわかります。

で…

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遺跡公園の中にはこんな施設が。
静岡市立登呂博物館って言うそうです。

この中では『トロ、まるごと教えます』っていう展示がありました。

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多くのスタッフの皆さんが待機中…
ほとんどがボランティアの人でしょうか。
そうだよねぇ、市の職員の方がこんなに大勢は位置されてるはず無いモンねぇ…

みんな親切に色々教えてくれました。
この日は平日でお客さんが少ないせいか、ゆっくり親切丁寧に教えていただけるのですが、ワタシには時間がなかったのが残念でした。

今度来る時はゆっくりとして十分にお聞かせ願います…って、今度いつ来るかはわかりませんが!?

中でも、ムッチャワタシのソバでずっとついてくれたオジサンガイド…、イッパイイッパイ喋りたそうでしたが、時間が無くてゴメンナサイ。きっと彼だと2~3時間はヘ~キで案内してくれそうな勢いでした。ははは…。すっごく歴史が、そしてこの登呂遺跡が好きなんでしょうねぇ、きっと。

そんなこんなの登呂遺跡訪問記…、これまた詳しくは書けませんでしたが、冒頭書いたとおり、小学校の教科書で初めて見て大層感銘を受けてから数十年…やっと訪ねることが出来て喜びもひとしお。

でも、しかし、but…
今では、小学校教本に『登呂遺跡』の記述が無くなったそうな…

青森県の『三内丸山遺跡』の発見や、これまたセンセーショナルな発見であった『吉野ヶ里遺跡』があまりにもビッグな出来事だったので、ここ『登呂遺跡』が教科書から消えて久しいというのも凄く残念な気持ちがあります。

『登呂遺跡』が今でも頭の中に大きく刻まれているワタシとすればちょっぴり哀しい…かも。


で…
ちょっと話はそれますが…、

歴史の記述についてはそれだけではなくて、ゆとり教育によって小学校では教える内容が少なくなり、例えば、日本の歴史を扱う小学6年生の社会科の教科書からは縄文時代がほとんど削除されていたのですよね。
ご存じでしたか? 

例えば…
小学校6年生、社会科の教科書は『ゆとり教育』による学習指導要領改訂(1998年)で、古代の記述については『農耕の始まり』『古墳』『大和朝廷による国土の統一』だけと規定され、2002年度以降農耕が始まる弥生時代からしか載っていなかったのです。つまり、旧石器時代と縄文時代は原則として教科書から消えていたのですね。 
でも、今回の改訂で10年ぶりに旧石器時代と縄文時代の記述が復活したそうです。
小学校のコロは頭も柔らかく、詰め込むことはいくらでも出来ます。それだけ柔軟な脳を持っています。ワタシらと違って!? だから多くのことを教えることも不可能ではない。
ただ、時間が問題とはなりますが…ね。


まぁ、難しいことは別として…

今、子ども達に日本の進化、人類の進化を正しく認識してもらうためには、古代からの正しい歴史的事実に基づいて学んで行くことが必要なんじゃないかと思うのです。
歴史嫌い…子ども達はそうですよね。何故かというと、年号を覚えさせられたり、歴史的人物の知識などを試験のために丸暗記させられるからかもしれません。
でも、それは違う! それは正しい歴史教育じゃないと思います。
ワタシ達は過去の歴史的事実を学ぶ中で、人の生きてきた歴史的真実を学習し、身に付け、過去を学ぶことで、今後の日本、そして世界の未来に生かして行くことが必要になるのだと思うのです。

歴史に興味を持つことはそういう意味からでも意義深いモノではないでしょうか。

なぁんてね…

ちょっとエラソウに行ってしまいましたが、こういう言葉もあります。

『故きを温ね新しきを知る』
これを縮めると…
『温故知新(おんこちしん)』  ですね。

古いことや過去のことを研究して、そこから新しい知識や意味や意義、道理、物事の本質を見つけて現代を見直すヒントにする…ということでしょうか。

最後に話しの内容がアッチ向いてホイ…になってしまいましたが、やっと登呂遺跡に行くことが出来たという喜びに添えて、今回の記事としました。

ではまた…