東京散歩…、前回の続きでございます。
東京・芝から歩いて愛宕山まで来ました。
愛宕山に登って、また降りて…
なんで?
せっかく登ったのになぜ降りるの????
愛宕山に登って、また降りて…
なんで?
せっかく登ったのになぜ降りるの????
それは…
ここです。『愛宕神社』の階段を上る為に、いったん坂を下りたのでございます。実はですねぇ、先ほどのNHK放送博物館と愛宕神社はすぐ横でつながっているのですが、愛宕神社へ行くには、急な石段を登ってこそ価値がある…とワタシは思ってるんです。(偏見?)というのは、この石段コト何あろう、『出世の石段』だからなのです。
ほうらぁ~、『出世の石段』って書いてるでしょ。そうなんですよぉ、
ここには、こんな話しがあるんです。

ここには、こんな話しがあるんです。
■ ■ ■ 愛宕山『出世の石段』 ■ ■ ■ 講談でも有名ですよね。 江戸三代将軍・徳川家光公がこの愛宕神社の下を通りかかったときのこと、時あたかも春ランマン、神社には梅が咲き誇っておりました。 家光公『誰か、馬にてあの梅を取って参れ』と命を下したのでございます。 ところがどっこい、ムッチャ急な階段で馬で登れるわけがない、下りなんてもう絶対にアカン…。 みんなが尻込みしております。コレを見て家光公が怒ったのなんのって! アホぉ~、根性のないヤツばっかりやのぉ~! と怒り心頭… と、何か音が…パッカ、パッカと馬で登る者がいました。 これが四国丸亀藩の『曲垣平九郎』という御仁。 彼は見事に登り降りし、家光公に梅を献上いたしました。 あっと驚いたのが為五郎…じゃなくて、家光公! 『おお、ソチこそは日本一の馬術の名人』と褒め称え、全国にその名がとどろき立身出世と相成ったというお話し…
ははは…
階段って…
そんなん出来るん違うン! などとお思いの貴兄へ…
階段って…
そんなん出来るん違うン! などとお思いの貴兄へ…
下から見たらコンナンやけどねぇ。
まぁ、それでもケッコウきついんやけど…
でも、上から見るとねぇ…
まぁ、それでもケッコウきついんやけど…
でも、上から見るとねぇ…

あ、あ、アホなぁ~!
き、き、きっついヤンけぇ~!
と臆病なワタシなんぞは叫んでしまいますぞ!
き、き、きっついヤンけぇ~!
と臆病なワタシなんぞは叫んでしまいますぞ!
コレを馬に乗って登り降りするなんざぁ、凄いことでございます。
ワタシ、趣味の一つが山登りなんですが、でも、高いトコが大嫌いという軟弱クライマーなのでございます。
この急な階段を馬で…そんな、ウマくいくんかいなぁ~!?
実際に、この曲垣平九郎ハンの他には、明治時代に石川さん、大正時代に岩城ハン、そして昭和になって渡辺さんという方がチャレンジしたそうです。昭和57年の渡辺さんはスタントマンで、実際に曲垣ハンが馬で登り降りしたのかをテレビの特番で実験したそうです。
ほんま、アホなことしよりますなぁ…。
ほんま、アホなことしよりますなぁ…。
てなてな、ごっつう急な階段でございました。
モチロン、ワタシは登りもこのクサリにつかまりヒィ~コラヒィ~コラ言いながら登ったのですよ、ははは…、汗汗汗&冷や汗!?
モチロン降りられません!!! 怖い!!! 高いところになると急に臆病になるワタシなのです。
モチロン、ワタシは登りもこのクサリにつかまりヒィ~コラヒィ~コラ言いながら登ったのですよ、ははは…、汗汗汗&冷や汗!?
モチロン降りられません!!! 怖い!!! 高いところになると急に臆病になるワタシなのです。
で、ココは徳川家康の命で祀られたところで、『勝利の神』としても有名でございます。
桜田門外の変に向かう水戸藩士が集結したところ、また、幕末に勝海舟と西郷隆盛が江戸城無血開城の談をしたところとしても有名でございますぞ!
桜田門外の変に向かう水戸藩士が集結したところ、また、幕末に勝海舟と西郷隆盛が江戸城無血開城の談をしたところとしても有名でございますぞ!
神社の境内には
ナァンと山の上にもかかわらず、御池があったりしますよ。
勝利の神に祈りを捧げ…
お賽銭を少しよけい目に入れようっと!?
お賽銭を少しよけい目に入れようっと!?
『招き石』をさすって、『福よこぉ~い!』『勝利よぉ~こぉ~い!』『むふふ…、幸せよ、こぉ~い!』と欲深いワタシは願い事をイッパイ念ずるのでございます。まっ、当然の如く不埒なワタシなので福が来るかは微妙!?怪談は恐い…!?
んっ!? そうやなくて、あの急な『階段が恐い』から…
んっ!? そうやなくて、あの急な『階段が恐い』から…

こっちの階段(NHK放送博物館の方の)から降りようっと! で、監視カメラ?
みるなよぉ~、ワ、ワ、ワタシ、悪いコトしてヘンモン!?
みるなよぉ~、ワ、ワ、ワタシ、悪いコトしてヘンモン!?
さて、またまた歩きましょ。
お腹が減ってきたなぁ…
お腹が減ってきたなぁ…
おっ、ココ寄ろうかなぁ…。ご存じ、お江戸名物『虎ノ門・砂場』の蕎麦屋でございますぞ。大正12年建築のレトロなお蕎麦屋さん…、ん~、ソバもひかれるけれど、今日はそんな気分じゃないなぁ…、次ぎ行こ!

で、歩くこと愛宕山から15分。
やって参ったのが都会のオアシス『日比谷公園』でございます。
やって参ったのが都会のオアシス『日比谷公園』でございます。

噴水に迎えられ、気持ちだけでも、so cool!
お昼休み時間なので、みんなダラ~と休憩を取ってました。
お昼休み時間なので、みんなダラ~と休憩を取ってました。
癒されますなぁ、この池。
そして日比谷公会堂。
かつては都内唯一の音楽専用ホールとして名をはせ、クラシックの殿堂と言われた『日比谷公会堂』、今では他に素晴らしいホールが出来たのであまり使われなくなっているのが残念ですなぁ。日比谷公会堂の鮮烈な出来事と言えば、1960年の浅沼稲次郎暗殺事件ですね。演説中の日本社会党委員長・浅沼稲次郎が、17歳の少年に刺し殺された事件です。この事件を契機に、子供に刃物を持たせない運動が始まります。工作や鉛筆を削るのに使っていた有名な小型ナイフ『肥後守』が子どもから取り上げられるという刃物規制の始まりの一つの要因となった事件でした。ん~、ナンか複雑な感じですけど…。
そして日比谷公会堂。
かつては都内唯一の音楽専用ホールとして名をはせ、クラシックの殿堂と言われた『日比谷公会堂』、今では他に素晴らしいホールが出来たのであまり使われなくなっているのが残念ですなぁ。日比谷公会堂の鮮烈な出来事と言えば、1960年の浅沼稲次郎暗殺事件ですね。演説中の日本社会党委員長・浅沼稲次郎が、17歳の少年に刺し殺された事件です。この事件を契機に、子供に刃物を持たせない運動が始まります。工作や鉛筆を削るのに使っていた有名な小型ナイフ『肥後守』が子どもから取り上げられるという刃物規制の始まりの一つの要因となった事件でした。ん~、ナンか複雑な感じですけど…。
で、日比谷公園をお散歩していたら…
アジアン料理の露天がイッパイ並んでおりましたぞ!
おお、エスニック…
ああ、暑い日はこれが一番やぁ~!
おお、エスニック…
ああ、暑い日はこれが一番やぁ~!
ちゅう訳でごんす…

ゲットしたのがこれ、『鶏肉のバジル炒め』。タイ料理からこれを把持したらブーイング…と書かれていたお店のコピーを信用して買い求めましたぞぃ! 500円也。
お~、ケッコウ辛いヤンかぁ…。
お~、ケッコウ辛いヤンかぁ…。
でも、やっぱり暑い時には、口の中が、ひぃ~ひぃ~、ふぃ~ふぃ~、お~やんひぃひぃ~、雨の御堂筋(!?)がベストでございますね。
まぁ、ケッコウ美味しく頂きました。
食べてると、お兄ちゃんがやってきて、『13時からショーがあります。見てくださいね』となにやらパンフを渡されました。
ん~、時間あるし見てみよう!
食べてると、お兄ちゃんがやってきて、『13時からショーがあります。見てくださいね』となにやらパンフを渡されました。
ん~、時間あるし見てみよう!



なぁんとぉ~、まぁ、身の軽い…
最近ポッテリ気味のワタシには到底出来ないパフォーマンスでございますなぁ…
最近ポッテリ気味のワタシには到底出来ないパフォーマンスでございますなぁ…
これは7月25日(今日から!)~8月1日まで開催するマッスルスポーツミュージカル『真夏の大運動会』のPR。行ってみたい方は『シアター・クリエ(日比谷)』へどうぞ!まだチケットあると思うよ、8,000円程度だと思います。
スカッしたとパフォーマンスを見たところで、次ぎ行こ!

日比谷公園の正面の門を出て、道を横断すると右手に『帝国ホテル』、左は『日生劇場』と『東京宝塚劇場』ですね。ココにある木は『やまもも』の木(上の写真右)ですが、みんな関心がないのか、それとも取っちゃダメなのかは知りませんが、ヤマモモの実がいっぱいついているのをご存じでしょうか。2週間ほど前だったら枝もたわわに実がなっていたはずですよ。これって食べられるし、焼酎と氷砂糖を入れて漬け込みて『ヤマモモ酒』にしても美味しいんだけどなぁ。
まぁ、エエかぁ…
まぁ、エエかぁ…
では、次ぎ行こ!
JRの高架を抜けると『泰明小学校』。
JRの高架を抜けると『泰明小学校』。

ここは多くの著名人を排出していることでも知られております。朝丘雪路、和泉雅子、中山千夏などの芸能人、また文豪・島崎藤村、詩人・北村透谷、政治家であり伯爵の近衛文麿などなど。そしてココは『越境入学』でも問題になったところですね、これは難しい問題なのでココでは触れないでおこう!
で、ココに有名な…

これまた有名な、銀座の柳…がありました。ただ今『銀座の柳』は2代目ですけどね。(左写真)
泰明小学校の筋は『みゆき通り』ですよね。いよいよ賑やかなところになってきました、ワクワク…。
みゆき通りから左に曲がり『数寄屋橋』を経て、銀座へ。
泰明小学校の筋は『みゆき通り』ですよね。いよいよ賑やかなところになってきました、ワクワク…。
みゆき通りから左に曲がり『数寄屋橋』を経て、銀座へ。
♪ まちあわせてぇ~ あ~るく 銀座ぁ~ ♪
♪ 灯ともしごろぉ~ 恋の銀座ぁ~ ♪
♪ 灯ともしごろぉ~ 恋の銀座ぁ~ ♪
なぁんて古~い歌を口ずさむワタシはなんでしょうか!? そういえば、最近は銀座は歌に出てこなくなりましたねぇ。昔のトレンド銀座は、表参道・原宿・渋谷、そして下北沢に取って代わった感がありますねぇ。でも、銀座はやっぱり一味違うスポットです。


そういえば、最近また中国の方が多くなりましたね。いったん減っていたんですが、ムッチャ多いですよねぇ。それで買い方も豪快! お金持ちなんでしょうねぇ…。
それに引き替え、ワタシ…

ギンザで買ったのは『木村屋のあんパン』でございました。
ああ、中国の方に比べて貧乏人ですなぁ…
でもねぇ、ここ木村屋さんは『あんパン発祥の地』でございます。(それがナンやっちゅうねんって?)
ああ、中国の方に比べて貧乏人ですなぁ…
でもねぇ、ここ木村屋さんは『あんパン発祥の地』でございます。(それがナンやっちゅうねんって?)
ギンザ土産(!?)も買い付けまして、ギンザを4丁目から7丁目を過ぎ、『新橋』へ。
♪ 汽笛一声 新橋をぉ~ はや我が汽車はぁ 離れたリィ~ ♪
…と歌われた新橋は日本の鉄道発祥の地でございますなぁ。銀座から歩いて15分少々。


これが『旧新橋停車場』、今は鉄道記念館として移築保存されております。

昔、明治の頃はこんな停車場だったそうです。
向こうに見えるは汐留サイト。
新旧混在してレトロ&モダンなトコロでございます。
新旧混在してレトロ&モダンなトコロでございます。
おや? 人盛り…

日テレまえの仕掛け時計が午後3時を迎えようとしてるんですね。
多くのご家族様が見ておりました。
ワタシはそろそろ戻りましょ!
多くのご家族様が見ておりました。
ワタシはそろそろ戻りましょ!
ここから、本日朝スタートの浜松町までは徒歩約15分でございます。
本日歩き始めたのが9時50分でしたので、ケッコウうろちょろいたしました。
本日歩き始めたのが9時50分でしたので、ケッコウうろちょろいたしました。
お読みになられた方もナガ~イお付き合いありがとうございました。
ではでは、またの機会を!
パッカ、パッカと馬で登る者がいました。
これが四国丸亀藩の『曲垣平九郎』という御仁。
彼は見事に登り降りし、家光公に梅を献上いたしました。
あっと驚いたのが為五郎…じゃなくて、家光公!
『おお、ソチこそは日本一の馬術の名人』と褒め称え、全国にその名がとどろき立身出世と相成ったというお話し…