穴。じいじの戦争体験。 | あねごのブログ

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多発性硬化症になっちゃった!子育てに仕事に趣味に、おまけに難病まで抱えることになった日々をゆるっと綴ります。

台風がいくつも近くをかすめ、
とんでもない猛暑と、
満月。

今年のお盆は、身長15センチで這いずり回っておりました。

…が、お盆ですので、
とりあえずダンナの実家の墓参りと食事会、
ワタシの実家の墓参りと親戚の集まり。

ひいこら言いつつ、
なんとか務めあげました~( ̄▽ ̄;)

ダンナの実家では、
とりあえず座っていたのですが、
さすがに自分の実家では
マッサージチェアのカバーに溶けこんでおりました。

そんなワタシの回りにつどう、
妹一家、実家チーム、我が家メンバーに、
ネコ二匹。

今年の話題は、うちの娘が平和活動やってる話から、
なぜか父の戦争体験の話に…。

父は、終戦のときは4歳。
覚えてるの?と囃し立てる孫たちに、
はっきり覚えとるわ!と
当時のことを話はじめました。

田舎の村で、空襲を受けたことはなかったけれども、
何度も上空をB29が飛んで行ったこと。

みんな呑気なもので、
空襲警報鳴ったら竹かごに食べ物つめて、
水筒に水入れだして、
ヤッコラヤッコラ、防空壕に入ったこと。

猛暑でも防空壕のなかはひんやり涼しくて、
持ちだしてきた食べ物もあることだし、
その時間は案外楽しかったそうで。

そういえば、ワタシが小さいころは、
裏山のさらに裏山に、
無数に彫られた洞穴を、
妹と探険して遊んでたわ…。

どの穴にも、
皿だのヤカンだの箸だの落ちてて、
面白かったんだよねー…。

なんて話を妹としてましたら。

『あの穴は、防空壕じゃなかとよ』

『あの穴は、赤紙逃れた元兵隊やら、徴兵されたら家族ごと死ぬしかないような一家が、隠れて暮らしよったと』
『…。』
『うちは農家やったけん、じいさんが食べ物やってかくまってさ。ばあさんと、よおケンカしよったわ』

な、なんですと…。

しばし、みんなで黙りこみました。

あの、戦時教育でお国のために死ぬのが当たり前とされた時代に、
そうでなかった日本人も、いたんだなってことにまず驚きました。
死ぬのは嫌だ、家族が大事、って、己が意志を曲げなかったひとがいたんだ…。

そして、
亡くなった祖父が、
自分の意志でそんな人たちをかくまっていたこと。
バレたら当時は死罪とかじゃなかったのか?

色々悩んで、考えて、嫁とケンカしながらも、
じいちゃん、人としての仁義通したんだね…。

仏壇のうえに飾ってある、
亡きじいちゃんの写真をみんなで見上げて、
高校生、中学生、小学生の孫たちに、
俺らのじいちゃん、スゴいね、カッコいいね、
そんなお盆になりました(笑)

でも、ワタシがいちばんびっくりしたのは、
父が、終戦から70年以上経った今になって、
ようやく当時のことを話したこと。

まだ、色々と語るには差し障りがあるだろうと、じっと今まで黙ってたことに驚きでした。
父なりに、孫たちに囲まれて、やっと新しい時代を実感しているのかもしれないなあ。

新しい、平和な時代を。

そんなお盆でした。