昔、会社の社長(男性/60代)が
「女性は文句が多いが、聞いてやるだけで解決は必要ない。共感してあげるだけでいい。」
と言っていて、
「ああ、○○だな。」
と思ったことがあるのだが、
私が「ああ、くそだな。」と思った理由は、改善案をただの愚痴とみなしスルーしたところにあった。
結局最悪の結果が待っていたのだが。
まあしかし...
引っ越し後に就職した会社は、女性社員の男性社員に対する愚痴がとんでもなく多かった。正直びっくりした。
毎日、毎日、デスクで愚痴ってる。
たい焼きくんかよ。
そんなに人の悪いところがよく出てくるものだ。
何かの才能なので、何か人の役に立つことに活かされたらいいのに。
しかしルサンチマンについて調べていてふと、
女性の愚痴はルサンチマンなのではないか?
と思った。
ルサンチマンについては、
私の経験では...
私が、学生の際、私の生きたい方法を取ろうとした時、「不幸である。」と感じたことは
①出生地
②親の職業
の2点だった。
自分の力では変えようのないことである。
田舎に生まれ、
その中で小さい競争があり、それは広い視点から見たら本当に馬鹿げているようなことで、例えば隣町から立候補した人がどんなに素晴らしい生き方や政策でも、自分の地域から立候補した人に投票する「べき感」が漂う町だった。
高所得者の親を持ち、東京で生まれた子供は、幼少期からさまざまな経験を得ることができる。
田舎でどんなに川遊びをしようと、
お金がなければ海外旅行にはいけない。
都会でどんなに花や虫を見たことがなくても、
お金があれば図鑑で知識を得、田舎での体験で補うことができる。
ずるい。羨ましい。
そして、女性の生き方について歴史的に遡ってみても、
”女性“ は、いつの時代も戦ってきた。
旧優生保護法のきっかけの1つは、人工堕胎禁止の撤廃だった。
歴史的にみて比較的「女性」は、どうしようもない理由で辛い思いをしてきた。
だから、どうにもできない自分を肯定するしかなかったのだ。
悪いのは社会で、私ではない。
私が正しくて、制度を作った政治家が悪い。
だから、政治家は敵だ。
誰かを恨み、敵を作ることでしか保てない思いは誰にでもある。
(つまり、ルサンチマン)
まずは、その状態に気づくことから。
お金や時間にゆとりがある人間ほど、
自分のルサンチマンに気づかない可能性がある。
理想的な幸せを手に入れてるはずなのに、
誰かを恨んだり羨ましがったりするなんてあるわけがない...と思い込んでいるからだ。
上部に貼り付けた記事中にも記述があるが、
ルサンチマンを認め、現実をよりよくしていくためにどうしていくかが大切だ。
奴隷制度という言葉も使われていて、
「文句を言うという軽微な快感を得る代わりに、積極的に喜びを汲み取ろうとする感覚が麻痺してしまう」状態なのです。
たとえば、美しいまっさらのキャンバスがあって、そこに自在に絵を描いていけるなら「ゼロからのスタート」ですから気持ちがよいでしょうが、じっさいはそんなことはない。人はみな、しみがあったりデコボコになったりしているキャンバスのもとで生きていくしかない。しかも、人によってかなりちがいがある。しみが目立たないキレイなキャンバスに恵まれた人もいれば、巨大なしみだらけのものもある。しかしそれはもう「定まったもの」である。このしみだらけでデコボコのキャンバスに文句をつけるのではなく、その上にどうやって自分なりの絵を描くか、それはあなた自身に委ねられている
(NHK「100分de名著」ブックス ニーチェ ツァラトゥストラ/西研)