少し真面目なお話を。
三月になるとぼくのお誕生日になります。そしてぼくは30歳です。
小さい頃のぼくは早く大人になって夜遊びを認められたいとか、自分でお金を稼いで好きに使うんだとか、一人暮らししたいとか、女性とお泊りしてイチャイチャしたいとか、学校行きたくないから仕事したいとか、親に束縛されない生活に憧れてきたように思います。
それは今でも心の底にはある気持ちかもしれないので、今は結構やりたい放題できて、ある意味毎日充実してます。それは子供と比べて叶えられる欲求に大人になって手が届きやすくなったんだと思います。
でもある程度自分の欲求にセーブをかけないと、身体を壊したり、生活のリズム、サイクルを崩してあんまりよろしくない方向に進むのだと…。
それを理性とか常識とか社会性とかルールでコントロールしていく…でも結局正しくても誰も褒めるわけでもないし、少しの間違いでも誰も注意してくれるわけでもない。
というより、誰が正しいとか勝敗というわけではない。
自分の考え方次第で環境が変わり、見る世界を変えられると最近は思えてきました。
他人から悪口を言われたから悪ということではなく、その質というか…正しいから何だっていうことでもあるような。
でも毎日いろいろな方に支えられて、時には挨拶とかタイミングのがしたり、人見知りで無礼なことしたり、感謝の言葉も声が小さくて聞こえなかったり、もっとあの時感謝の言葉が言えたらとか、どう行動したらいいか。
傷つけるつもりじゃないのに、傷つけちゃうし、むしろ逆のことをぼくはしなきゃいけないのに。無力な上にそれ以上迷惑かけたり。無力でいれば人に迷惑もかかりませんが、何もしなければ世界は回らないと思いますし。
不景気っていうのは、そういう無力さを知ってる人が多くなって自分が動けば回りも波立つという考えの人が多いからかなぁなんて自分で考えてます。
家族の絆、友の絆、お世話になってる方々の絆、ぜんぜん今は関係ない人も。
すべての人と自分は目に見えない絆で結ばれてて、お互いに水面下で支え合って人間ってあると思います。
米を食べるにしても、ぼくたちはお金を払って食べてますが、それが顔も知らない生産者にすれば大量生産でも半月手をかけてとれるものだってことですよね。
一つの例えでもあれですが、そんなのがたくさん結びついていると考えるととてもよくできて、でも逆に壊れやすいものでもあるかもしれません。
…何かこんがらがってきました。
子供の頃ずっとち○ことか連呼してましたが、大人にははしたないとか下品とか言われてましたが、今大人と見られる歳になってもち○こはち○こで子供の頃連呼したいと思う感覚はそのままです。
日経新聞の人も言ってましたが、20台だろうと60.70台だろうとぼくらの下ネタも年寄りの下ネタも一緒ですよって。
納得です。
今30歳になりそうで、学校卒業して社会人になって経営者になって会社を何個経営しようがぼくはぼくなんだなぁって。
人生のどこかでインパクトがあって人格とか変わるんじゃないかって子供の頃考えてましたが、もうぼくはぼくでした。少し智恵がついただけ。少し自由になっただけ。少し大人に見られだけです。
むしろ、今のほうが20歳よりも20歳です。気力体力ともに20歳を凌駕してます。
ということで背広に身を包んで大人ぶってる人たちも、うちにかえればパンツ一丁の無力な人間だと思います。
自分の世界観をもっと大きくとなりの家、ご近所、街、地方、都市、日本、世界と考えて、人のつながりの中でぼくはマッチ棒くらいの役割かもしれませんが、高い理想をもって自分の考える道を男としても思いっきり貫ぬきたいと思います。
反省ばっかりの毎日ですし、いろんな人に助けられて感謝ばっかりです。
一層感謝して、一層失礼のないように謙虚に超頑張りたい30代を走ります。
こんな支離滅裂な佐藤さんですが30歳になってもみなさんどうぞよろしくお願いします。
