介護と要支援? ヘルパーさんのお仕事って… | 肺腺ガンと共に生きてます

肺腺ガンと共に生きてます

娘を失って7年後
肺腺ガンの告知を受けショックで毎日泣き明かし
必死で生きてきて12年目を迎えます。
これからの人生を思う事を綴ります。

ガン患者になり、半年後で再発した頃に
実母と同居していたのを別居に変えた
 
結婚してずっとというより、生まれてこの方
親元を離れて暮らした事が無い
 
高校卒業後、就職時も離れて看護婦になる予定が
母の強い説得で地元就職となった
 
結婚も母とともに生活が始まり、
その期間は苦労の連続でした・・
そのいきさつはこちらの記事をご覧下さい
 
私の入退院が増え、高校生だった娘は
家の手伝い、学校、父親とお婆ちゃんとの間に挟まれ
心も身体も疲れ果ててしまったようで
リストカットをしたり、学校を休みがちになったりで
娘の身体を心配して、ケアマネージャーさんに相談した所、
お婆ちゃんとの別居を勧められ、
年齢も80歳近いということで老人ホームを勧められたのですが、
母が頑として動こうとせず、一人暮らしを希望したため
ヘルパーさんを入れて一人で生活する事に・・
 
我が家の近くなのですが、
別居した事で、娘も主人も私も息抜きする事ができました
 
ただ、糖尿病でインシュリン注射をしなければならないので
糖尿病性白内障を患ってほとんど右目が見えない
目での注射は大変だと思います・・・
 
同居の時は、私か娘が注射を打っていましたが、
別居では一人で打つしかありません
これは、ヘルパーさんにも頼めないそうですしょぼん
 
別居した時は、「介護1」の認定でしたが、
排泄、食事が一人で出来るという事で、今回は
「要支援1」にレベルが落ちてしまったとの事です
 
そうなると、ヘルパーさんの時間も少なくなり、
ヘルパーさんの仕事の内容も変わってくるようで
坐骨神経痛も患っているので、お風呂に一人で入れないのです
で、身体を拭いてもらうこともヘルパーさんは拒否されて
要支援ではそれはできないというものでした・・
ただ、買い物をして材料を切って・・という1時間の仕事だそうです
 
昨日も私が病院から夕方5時に帰って母を訪ねると
体と頭が痒くてたまらないと嘆くので、
頭をシャンプーして身体だけは拭いて帰りました汗
 
私も長距離の運転と診察の心労、家庭での家事もあったため
昨日はヘトヘトでした・・
 
最近、母の身の回りの世話もしているので
私も仕事と治療、家事をするのに限界が来ています
 
老人ホームを嫌う母はこれからどうするんでしょうあせる