わたしのガンになるまでの道のり~娘誕生!! | 肺腺ガンと共に生きてます

肺腺ガンと共に生きてます

娘を失って7年後
肺腺ガンの告知を受けショックで毎日泣き明かし
必死で生きてきて12年目を迎えます。
これからの人生を思う事を綴ります。


ゆうままの天使の娘と生の娘と闘病記のはなし・・・


登場人物: わたし・・・27歳  主人・・・34歳  

        母・・・60歳    長女・・・胎児





奇跡的に娘を授かったわたしは、毎日母におろすように

言われても、がんとして動きませんでしたむっ

授からないと思っていた・・・ドキドキ

丈夫ではないわたしが、子どもを産むのは不安もあるあせる

でも、中学の時から結婚も子どもも無理だと思っていた

わたしにとって、これは奇跡としか言いようがなくて・・・クラッカー


今までは母の言うがままにしてきた

友達選びだって、母親の言うとおり

母があのことは付き合わないほうがいいと言われると

なんとなく離れて行ったり、

服もこれを着なさいと言われたら

その通りにきていた私・・・


でも、これだけはゆずれない!

というか、結婚や子どもは私の問題でしょ!

身体を心配してくれる親子心はわかる

でも、わたしだって命に代えてもやりたいことがある

それが、今なんだ!!



そう思って強い気持ちを持っていても

遅い来る猛烈なつわりには勝てず汗

朝、目が覚めるとすぐに吐き気が・・・

匂いも魚やご飯が炊ける匂いなどが

すご~くダメでしたねガーン


そんな辛いつわりも5ヶ月頃には嘘のように

すっきりさわやか~クラッカー

母も、あまりのつわりに喧嘩することも忘れたのか

結構、看病してくれていました

主人のほうが、知らん顔してたかもむっ


つわりで5kgくらい痩せたわたしは

一気に2倍の食欲にビックリマーク

食べる物食べる物全てがおいしかったなぁ~ラブラブ

それに赤ちゃんのためといえば

な~んでも食べれたしビックリマーク

ちょっと、高価な物でも音譜



そんなこんなのわたしもついに臨月あせる

もうすぐ予定日だということで入院

でも陣痛がこないあせるあせる


先生は、子宮口が開いているのに陣痛が

こないのはおかしい!ということで

陣痛促進剤を続けて2本点滴ビックリマーク

それでも、陣痛がこないガーン



これはおかしい!!

ということで緊急オペ!?

帝王切開をすることに!!!!!!

妊娠時も、骨盤は人の2倍はあるから

分娩が楽だよぉ~と言われていたわたし

それが、帝王切開!?

何がどうなっているのか考える暇もなく

ただ、ぼうー然としているわたしをよそに

着々と手術の準備が・・ガーン



部分麻酔でオペのはずなのに

この痛みは何?

い・いたい!!

お腹の中を引っ掻き回されるような感じやら

漬物石がど~んとのかっているような

メスを入れている痛みではないのですが

ず~~~~~~~~~~~とうなっていると


『おぎゃぁ~~!』

と、声がする


『おめでとうございます。 女の子ですよ!』

と、顔を見せられたのですが、あまりの痛みに目をあけられず

というか、このころに麻酔が十分効いたのでしょう

生まれたばかりの娘の顔は見れませんでしたあせる汗




目が覚めると強烈な痛みが2日間続きました

でも、初乳を絞りに看護婦さんがやってきて

パンパンに張ったお乳を搾られるのがまた痛いガーン

娘を連れてこられてわたしが寝ているベッドに

寝かせられても横になるのが辛くてあせる


でも、何日目だったかなぁ~

初めて起き上がって抱っこできた時は

本当に感激で涙がとまりませんでした

産んでよかったって・・・クラッカー



で、急きょ帝王切開になった理由を後から聞くと

やはり、骨盤の骨異常が胎児の頭が出てくるのを

妨害していたようです

帝王切開にしなかったら、子どもの命はなかったとかビックリマーク

良かったよぉ~~~あせる



・・・と幸せな時間は長くは続きませんでした

内孫、外孫・・・

親戚関係・・・

これから泥沼になろうとは爆弾



その④に続く・・・