母の手探りの生活 | 肺腺ガンと共に生きてます

肺腺ガンと共に生きてます

娘を失って7年後
肺腺ガンの告知を受けショックで毎日泣き明かし
必死で生きてきて12年目を迎えます。
これからの人生を思う事を綴ります。

毎週の日課の母を連れて買い物へフー

歩くこともままならないようで
目も眼科の先生から春頃から
インシュリン注射の目盛の単位が
わからなくなるでしょう・・・と言われていましたが
もうすでに目盛がわからないといいますえっ・・・

冷蔵庫にあるものも何がどこに入っているか
わからないようで
手探りでものをとろうとするので
冷蔵庫の中は汚れでいっぱいでしたdoki* doki*

ベッド周りも台所回りも・・・つかれたつかれた
本当によく一人で生活していると思います
かといって私が毎日通うことも
一緒に暮らすこともできず・・・

デイサービスや施設訪問をなぜしてくれないのか
こんなに不自由になってもまだ一人で暮らそうとしている
私も、いつまで手伝えるかわからないし
先行きがとても不安です・・泣:(

インシュリン注射も私が行くときには
打ってやりますが
母はC型肝炎をもっていて
今日も、インシュリン注射に母の血液がべっとりついていて
ふきとって注射をしてやりましたが
私も手に傷があり、感染してはいないかと
不安になりますしずく

イレッサを服用して一番怖いのは肝臓障害
もし、C型肝炎が感染したら
イレッサは中止しなくてはなりませんかなしい
不安はありながら、私が注射を打つのを
待っている母には言えず、打ってしまいました

ヘルパーさんが入っても週3回で1時間
その1時間のうちに買い物だけとか
野菜を切っても残り10分くらいは何もしないとか・・なく

私は、毎週2時間の間に
野菜切り、煮物、焼き物、和え物
全て作り終えます
そのかわり、後は何もできないほど疲れますが・・・顔

なんだか、私はいつも誰かの為に料理を作ってる
小さい頃からずっと・・・
普通なら実家に帰って母の手料理をたくさんもらって
帰るってことが普通なんでしょうが
私は一度もそんなことはなかったつかれた

母も白内障の手術をすればまた見えると思って
その日まで頑張っているのでしょうが
手術をする日がいつになるのか
また、手術するには付き添いもいる

手探りの生活をいつまで続けるんだろうえっ・・・えっ・・・
母だって辛いはずなのに・・
私が施設やサービスの話を出すと
機嫌が悪くなって
いなくなってしまった方がいい・・
兄貴がいる天国に行った方がいいと
涙する・・

私も、見ていられず泣きたい気分です