個別指導塾の実態
今日は3日連続の代休日。土日出勤した場合、一日2800円の手当てがつくのだが、夏休み中は、手当てを請求ができないため、平日に代休を取らなければならないが、部活動があるので、出勤。
部活動は私にとっては、生きがいみたいなものなので、まった苦にはならないが、明日からの公式戦が始まるという事で、午前中で帰ってきた。
昼食を取って、ベッドで本を読みながら、寝てしまったらしい。 目覚めると朝・・・夕方だったのだが、勘違いするほど、熟睡してしまった。
4月から家でゆっくりと過ごしたのは2日間だけですからね。
ところで、通勤途上には、数件の個別塾がある。
私は2013年の12月から2014年の1月の冬休みだけ、某、有名個別塾で働きましたが、二人を同時に、それも学年と教科が違うのに教えることに大変な疑問を感じ、やめてしまいました。(笑9
その塾は毎回、指導者が違い、教室に詰め込むだけ、詰め込む。実際には、過当競争なので半分くらいしか、埋まっていなかったが・・・。
時給1200円くらい。ほとんどが大学生のアルバイトだが、すぐ目の前やうしろで、教えているので、声がうるさい。お互いだが。
そして、間違っていることも平然と教えている。
塾と家庭教師の中間ということで、授業料もその中間なのかもしれないが、塾の一斉授業なら、静かに説明を聞けるかもしれないが、騒音(前後で1メートル、左右で2メートルしか、無いところで説明する声が聞こえてくるのである。)
あんな状況の中で、勉強など、できませんね。 教えていて、良心の呵責が起きましたよ。
ハイサイおじさん・・・・沖縄戦における戦争神経症がもたらしたもの
http://matome.naver.jp/odai/2142454779404917201
女の子が毛布に包まれて横たわっていた。父親が『なぜこの子の足は冷たいの』と毛布を取ったら首が無い。父親は魂を落としたような顔で、しばらく言葉を失った。母親が自分の娘をまな板に乗せて斧で首を切り落としたのである。さらに母親はその頭を釜で煮て、「自分の娘を食べて何が悪い!」と叫んだ。「戦後、家を失ったり精神的におかしくなった女性がたくさんいた。事件の家の父親もそんな女性を家に連れ込むから夫婦げんかばかり」。後、その母親は自殺、父親は酒に溺れてゆく。
(戦後70年)封印された「戦争神経症」
アベチン政権は憲法に違反し、戦争法案を通そうとしている。
米国の核兵器を法理上は運搬できると防衛大臣は言ったが、アベチンは、「そういうことはあり得ない。」という。
彼のあり得ないは原子力発電所の全電源喪失はあり得ないので、対策はとらないと国会答弁したが、福島の事故であり得てしまった。
ならば、戦争法案に核兵器の運搬はしないと書けばよいのに、書かない。国会の事後承認などという分を入れて、総理大臣の判断でやるというものである。
フランス在住で帰郷していた教え子と戦争法案反対のスタンディングデモをした時、フランスは外人傭兵部隊や海外派兵から帰国後、精神がおかしくなり、いろんな犯罪を犯す事件が起こると話していました。いまだに旧日本軍の兵士が戦場で精神疾患になり、精神病院に入っているという報道が先日ありましたね。
http://www.asahi.com/articles/ASH8J4TSNH8JULZU002.html
戦場から帰った兵士らにしばしば、こんな症状が現れる。心的外傷後ストレス障害 (PTSD)である。
その名がつく前にも、戦争のトラウマ、つまり心の傷で苦しむ人はいた。なのに元日本兵のトラウマに目を向けた研究は少ない。
貴重な例外があった。のちに厚生省 生活衛生局長を務める精神科医 の目黒克己(82)が、戦後20年の時点で手がけた調査だ。
日本人の精神力を強調する軍は、日中戦争 開戦の翌年には、「戦争神経症」と欧米で呼ばれる病には1人もかかっていないと誇っていた。現実には対応を迫られ、国府台(こうのだい)陸軍病院 (千葉県 )をその拠点とする。敗戦時、軍は資料の焼却を命ずるが、病院長の故・諏訪敬三郎はひそかに8千冊の病床日誌を倉庫に残す。
これを見つけた目黒は生存している元患者を捜し、郵送と面接で調査した。回答のあった104人のうち25%が治っていないと答え、治ったという人も神経症的傾向が続いていた。
面接した患者の話で特に目黒の印象に残ったのは、軍での扱いと、加害行為でトラウマを負った例だ。たとえばこんな話である。
「軍隊はひどいところで、まったく人間扱いされなかった。入隊9日目にひどい私的制裁(古参兵らによる暴行)を受けたのち、なにがなんだかわからなくなった」(元二等兵)
「何度も討伐に参加し、非戦闘員 の殺傷などが重なった。最も打撃を受けたのは、燃えている家に、消せるはずもないのに手桶(ておけ)で水をかける中国人の老婆が母親そっくりにみえたことだ。ある討伐のあと、なにもわからなくなり、護送されるトラックの上で気がついた」(元一等兵)
戦争神経症で国府台に入院したのは2205人。ほかの元兵士の戦後のふるまいにも、トラウマの影は色濃い。悪夢で跳び起きる、ひたすら働く、妻を殴る。それらもPTSDの軍人によくみられる行動だ。
年をとってから症状が現れる人もいる。トラウマとなった記憶は、時を経ても生々しい状態のまま心の中に隠れているからだ。
当時はそんな調査をすることも、冷ややかな目でみられたと目黒は振り返る。「戦争に関することは、研究さえ悪いという風潮だった」。心を病む人への偏見も強く、諏訪は目黒に「今後50年間、論文に記した以外は口にするな」とくぎを刺す。今回取材に応じたのは50年が経ったからだ。
日本はずっと、戦争の心の傷から目を背け、封印してきたのかもしれない。
戦争は人の心をどう傷つけ、社会にどんな傷を残すのか。ヒントを求め、戦争を続ける米国で退役軍人らを訪ねた。
■軍命で殺し、兵は病む
米国の退役軍人たちに、トラウマとなった体験について聞いた。
イラク に派遣されたジェラルド・マシュー(41)の場合、彼の乗るトラックが子どもをはねたのが心の傷になり、時折よみがえる。「何があっても止まるな」という命令に従ったのだ。
ベトナム戦争 で戦ったジェームズ・マーフィー(69)はベトナム人の遺体の首に、自分が身につけているのと同じ、キリストと十字架を描いたお守りをみつけて罪の意識を感じた。アジア人は敵だとたたき込まれ、ベトナム人を「グーク」という蔑称で呼んでいた、その呪縛が解けた。
話を聞いていると、根っこは戦争と心のメカニズムにあることに気づく。ふだんなら殺人など犯さない人が、なぜ戦争では殺せるのか。どのように心のたがを外すのか。彼らや心理学者 によれば、たとえばこんなメカニズムが存在する。
ひとつは上官の命令だ。命令する人と手を下す人を分ければ、互いに心のハードルが下がる。
もうひとつは敵の「非人間化」。敵を「グーク」などと呼ぶことについて、退役軍人の一人は「自分たちより劣るもの、たとえばゴキブリと思えば殺せるでしょう」と説明した。
それでも、心のたがを外してした行為に苦しむ人がでてくる。相手が子どもだったり、同じ人間だと気づいたりした時だ。心の傷になるのは加害体験だけではないが、私が聞いたのはこうした例だった。
ベトナム戦争 では帰還兵の自殺、薬物乱用、ホームレス化など問題が噴出。心に傷を受けた帰還兵の運動をきっかけに、心的外傷後ストレス障害 (PTSD)の病名が生まれた。敗北による自信喪失も含め、社会に与えた傷痕は深く、ベトナム症候群と呼ばれた。米国社会のトラウマである。
中には「非人間化」にあらがう人も出てくる。ベトナムで従軍したダグ・ローリングス(68)は「ベトナム人も人間だと確認する」ため度々基地を抜け出し、村人たちと交流した。それが上官にばれて降格されたが、軍の機関に不服を申し立てたら認められた。
「それ以来、ひどい任務を与えられたよ。たとえば汚物の焼却だ」
不利益は受けても、米軍ではぎりぎりのところで個人の判断の余地があったのか? だから苦しむのか?
ダグの話を聞いて、私は精神科医 、目黒克己の話を思い出した。
戦後20年の調査の際、目黒は元国府台陸軍病院 長、諏訪敬三郎に相談した。
戦争神経症で戦地から国府台に送られたのは下士官 と兵ばかり。将校では発症した人が少ないようだ。なぜなのか。
2人はそんな議論を交わし、「日本は『天皇の軍隊』だからではないか」という見方で一致する。米軍より「絶対服従」の度合いが強く、自分の責任でやったという意識を持ちにくいという意味だ。将校なら兵士に比べ、軍内で暴行を受けたりみずから手を下したりすることも少ない。
「天皇の軍隊」の象徴の一つが、上官の命令を天皇の命令と心得よという軍人勅諭 だ。一橋大 教授の吉田裕(60)の研究によれば、それでもかつては処分への異議申し立ての権利が定められていたが、軍は1930年代から40年代にかけて逆らう余地をなくしていく。同時期に「国軍」と称していた陸軍は「皇軍」を名乗るようになる。
それも、心のたがを外す日本なりの手法の一つだったのだろうか。
防衛大教授、河野仁(54)の研究によれば、道徳的葛藤から逃れられないのは「戦えない軍隊」。非人間的な軍隊こそ「精強な軍隊」。「この論理を究極的に推し進めたのが日本軍 だった」(著書「〈玉砕〉の軍隊、〈生還〉の軍隊」から)
特攻、玉砕、様々な加害行為。味方の命も敵の命も軽んじたのは、その結末だったのだろうか。
■傷残る日本、加害なお論争
その問いを、軍事心理学を研究するドレクセル大学教授、エリック・ジルマー(59)にぶつけた。ナチスや、グアンタナモ収容所での米兵による捕虜虐待、テロリストの行動などに潜む心理を調べてきた人物だ。
「人は集団になれば、個人ではできないことをするものです。結びつきが強ければ、仲間のために死ぬ。非人道的なこともする」
「集団が結束するのは、その集団に愛情を、外部に憎しみをもつ時。戦わなければ殺されると思う時。だからヒトラーはユダヤ人 を、米国は共産主義 やテロリストを利用して国民をまとめたでしょう。人間の心理は同じです。日本は島国で歴史が長く、まとまりやすい条件はあるけれど」
ジルマーは、日本社会を一人の人間にたとえて話し出した。「日本はまだ、戦争のトラウマを癒やすプロセスを終えていない」というのである。米国も奴隷制 のトラウマが癒えないままだと、日本が特殊ではないことを強調しながら。
言わんとするのは、こういうことだ。
日本軍 の加害に触れた時、日本では激しい論争が起きる。いまだに過去のこととして、冷静に議論するのが難しい。それは心の傷が、触れれば痛い状態のまま残っているからだ――。
心に傷を負った人はしばしば、その体験を思い出すのを避けようとする。PTSDの治療では、あえて体験に向き合い、話す手法が用いられる。言葉にすることで気持ちが整理され、癒やしにつながる。
それと同じように、気持ちを整理する作業が要るとジルマーは説く。
「戦地での体験を語り、聞く。戦争とは何かを研究する。『先祖は悪いことをした。けれど先祖が悪い人なのではない。どの国でもいつの時代でも、同じ条件がそろえば同じことが起こりうる』。そう整理がつけば、過去を受け入れ、将来へと歩むことができる」
そうしてトラウマを癒やさなければ、戦争から平和への移行は完了しないとジルマーは言った。=敬称略
■取材後記
個人のトラウマを癒やすのに、言葉にして気持ちを整理する必要があるのはわかる。社会のトラウマを癒やすため、何をすれば「気持ち」の整理につながるのか。
しつこく聞いていたら、ジルマー教授が例を挙げた。「あなたが書こうとしている記事をきちんと書くことが、癒やしになるんです」
励ましてくれたのだけれど、それは問いでもあったのだろう。これまで私たちはきちんと書いてきたのか、と。(編集委員・松下秀雄 )
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まつした・ひでお 1964年生まれ。論説委員などを経て政治担当編集委員
過去に眼を閉ざす者は未来を失う。

日本人が過去に侵略戦争をして、他国民を殺戮し、ひどい目に合わせたことは、事実である。また、日本人も米国により焼夷弾による無差別攻撃、原爆による殺戮を受け、いまだに苦しんでいる方も多い。アベチンゾウは70年談話は、戦争に関わりのない子どもたちに謝罪をつづける宿命を負わせてはいけないと言ったが、もう謝らなくて良いというのは、加害国が決めることではない。戦争を二度と起こさないと誓った憲法をもつ日本が、武力ではなく、外交で平和を保つという孤高の精神を全世界に広めるべきなのだが、アベチンゾウは積極的平和主義というまやかしを掲げ、軍事費を増大、社会福祉費を下げ、外国に血税をばらまき、国債の借金を膨大にふやしているではないか。アベチンゾウは愛国者ではない。米国に国富を流す、ただの対米従属売国奴なのだ。
sense of wonder 知ることは感じることの半分も重要でない。
戦争法案や原発再稼働を進めるアベチンゾウ政府を批判することが、政治的発言だと批判的に捉えるのは、戦争や原発の恐ろしさを知るというより、感じられないからなのだ。
まさに、これにつきる。
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美しいもの、不思議なもの、神父的なものを見つけ、喜んだり、驚いたりする「感じるこころ」を育てようとしているのではないでしょうか。
子どもの頃は誰もが豊かに持っている「感じるこころ」。おとな達は誰もが「子どもたちに豊かに育ってほしい」と言います。でも、大人たちは、子どもたちと感動を分かち合うようにしているでしょうか。
人工物に夢中になって自然から遠ざかったり、自然に触れても知識を身につけることに気をとられ「感じる」ことをしなくなっているのではないでしょうか。
・・・大切なのは、まず「感じるこころ」を育み、輝かせること。
そのために、美しさ、神秘さにあふれる自然に入ってみよう・・・と。
レイチェル・カーソン
1962年に著書『沈黙の春』で農薬や化学物質による環境汚染や破壊の実体に、いち早く警笛を鳴らしたアメリカの海洋生物学者
「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない。
地球の美しさと神秘を感じ取れる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることは決してないでしょう。
地球の美しさをよく見つめる人は、生命が続く限り持ちこたえる大きな力に気づくだろう。
自然にふれるという終わりのないよろこびは、けっして科学者だけのものではありません。大地と海と空、そして、そこに住む驚きに満ちた生命の輝きのもとに身をおくすべての人が手に入れられるものなのです。
幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。
自然がくりかえすリフレイン“夜の次に朝がきて、冬が去れば春になるという確かさ”のなかには、限りなくわたしたちを癒してくれる何かがあるのです。
自然界の保全について、われわれが慎重を欠いていた事を未来の世代は決して許さぬだろう。
時をかけて―それも何年とかいう短い時間ではなく何千年という時をかけて、生命は環境に適合し、そこに生命と環境の均衡ができてきた。時こそ、欠くことのできない構成要素なのだ。それなのに、私たちの生きる現代からは、時そのものが消えうせてしまった。
いまでは人工的に遺伝そのものがゆがめられてしまう。まさに現代の脅威といっていい。<私たちの文明をおびやかす最後にして最大の危険なのだ
原因と結果は、空間的にも時間的にもかけはなれている。病気や死亡の原因をつきとめようと思えば、見た目には関係もない、いろんな分野の研究成果を集めて、はじめてわかることが多い。




