経済のイロハも知らない経済産業再生大臣 甘利だけにあまり知らない。
これも弾薬は消耗品で武器では無いという類。アベチン政権はどうして、こういうアホばかりいるのだろうか?
GDPがマイナスになっても景気は回復方向。
日本のような資源のない貿易国で、致命的なのは、個人消費が落ちるという事は経済のイロハだ。
昨年も6月の天候不順で景気が回復しないと言っていたが、大雨とか自然災害があったのか?
少なくとも東京は晴れの日が多かった。 普段通りか、いつもの年より天候が良かったのではないか。
日本の大手マスごみは政府や官僚の発表を垂れ流すだけで、何の検証もしなくなった。まさに、マスごみという名にふさわしい。
昨年も成長率は、ほとぼりの少しさめる数か月後に、より大きいマイナスに訂正されていたが、日本の政府は国民に対して、真実を語ろうとしない。
するのは搾取することだ。
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6170994
GDP1.6%マイナスでも、甘利大臣「景気は回復傾向」
テレビ朝日系(ANN) 8月17日(月)11時50分配信
内閣府は、4月から6月の実質GDP(国内総生産)の速報値を年率換算でマイナス1.6%と発表しました。これまで回復してきましたが、今期は大幅に下がって3期ぶりのマイナスとなりました。
(経済部・小清水克記者報告)
マイナス成長について、甘利経済再生担当大臣は「一時的な落ち込み」として、「景気は回復傾向」とする見方を強調しました。
甘利経済再生担当大臣:「所得環境の改善傾向も続き、個人消費は徐々に改善していくと見込まれる。景気は緩やかに回復していくことを見込んでいる」
実質成長率は年率で1.6%のマイナスでした。大きな要因は、GDPの約6割を占める個人消費の落ち込みです。円安や6月の天候不順による商品の値上げに賃金アップが追い付かず、節約志向が高まったことに加え、軽自動車の増税も影響しました。もう一つの要因は、中国の景気低迷により、スマートフォンの部品や自動車など輸出が落ち込んだことです。エコノミストは、マイナス成長が続く可能性を指摘しています。
SMBC日興証券・宮前耕也シニアエコノミスト:「7-9月期は消費は反発するだろうが、輸出が足をひっぱり、両者が綱引き。まだ『プラス成長になる』と確信を持って言えない段階だ」
中国経済の先行きが不透明ななかで、過去最大規模となった企業収益を賃金や設備にどれだけ充てられるかが大きな課題です。
最終更新:8月17日(月)14時34分
植草一秀の『知られざる真実』
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/post-48f2.html
植草氏といえば、二度も淫行事件で逮捕された。でも、これほどの人が同じミスを二度繰り返すだろうか?
真実は闇であるが、都合悪いことを言う人は、いろんな方法で消される。
「戦争ダメ」言える自由 戦時中に拷問、106歳の伝言
プーチンは米国は友好国が必要なのではない。米国の言う通りする国が必要なのだというのは、そのとおりである。
――34(昭和9)年1月20日、特高に逮捕された。
特高が夜遅く、東京・浅草の下宿先に十手のようなものを持って来ました。同じ下宿の人に案内されて。逮捕の理由は聞かされず、令状も見せられません。妻と一緒に警察署へ連行されて、「天皇陛下に反対するやつだから、誤って殺しても、おれ(取調官)は罪にならない」と言われ、拷問も受けました。
腰掛けているイスに手錠で固定され、動けない。そのまま太い木の棒で、太ももを繰り返し殴られる。ロウソクの炎で鼻をあぶられたこともありました。
――西川さんの鼻には、今も黒ずんだ痕が残る。
取り調べでは、ちゃんとした調書を取られることはなく、なぜ、罪に問われるのかも分からないまま起訴されました。勾留期間は約11カ月。治安維持法違反の罪で懲役2年執行猶予3年の有罪判決を受けました。
■理不尽、あきらめた時代
――判決後、大阪へ。兄が営む製粉会社で働き始めた後の40(昭和15)年、再び逮捕される。太平洋戦争が始まる前年だった。
同じ頃、共産主義グループの中心メンバーが刑期を終えていました。そのメンバーらと私が組織を作ると思ったのか、東京の特高が大阪までついてきたようでした。組織は作っていませんでしたが、友人にもらった勉強会のビラを持っていたとして逮捕されました。
大阪の特高には拷問されませんでしたが、留置場は不潔でした。便所はなく、房に開いた穴で用を足しました。判決は懲役2年の実刑。42(昭和17)年に刑務所を出た時、社会はどんな理不尽なことでも「戦争だからしゃあない」という、あきらめるしかない時代になっていました。
――姉の長男(当時24)が出征。30代半ばの西川さんにも召集令状が届く。
出征することは名誉なことで、涙を見せてはいけないという空気。長男を見送った姉は1人で泣いていました。私は三重県内の連隊へ。長い勾留生活で体力が落ち、心臓も弱っていました。「医者から走るなと言われている」と上官に言うと、家に帰されました。
45(昭和20)年の8月14日、大阪の淀屋橋で「広島と長崎に新型爆弾が投下され、もう勝ち目はない。天皇陛下に戦争を終わらせるように訴えよう」というビラを拾いました。翌日、電車内での将校の話から戦争が終わったと知りました。もう空襲はないと、ほっとした一方、「これから日本はどうなるのか」という不安が大きくなりました。
■かつての日本に似てきた
――終戦から2カ月後の45年10月に治安維持法が廃止され、国民主権、基本的人権、戦争放棄をうたい、表現の自由などを保障する憲法が47年5月に施行された。
平和な世界になる、と安心しました。ところが、朝鮮戦争(50年6月~53年7月)が始まる。それを機に警察予備隊が作られ、自衛隊になってしまった。
――自衛隊が他国とともに海外で戦う集団的自衛権の行使について、歴代の内閣は「憲法9条に反する」として認めてこなかった。安倍政権はこの解釈を変えて、新たな安全保障法制の関連法案成立をめざす。
安倍晋三首相は真剣に平和を願っているのでしょうか。「広島原爆の日」の6日、式典で「非核三原則」に触れませんでした。ありえないと思います。
治安維持法の被害者に謝罪や賠償を求める運動に携わってきましたが、特定秘密保護法がつくられ、今度は安保法案。どこか、戦争をしたかつての日本に似てきたような気がします。この70年間で、こんなに心配な気分で終戦の日を迎えるのは初めてです。
でも、希望はあります。今は「戦争はダメだ」と声を上げることができる。学生や若い母親たちもデモ行進をしています。106年間生きてきた証しとして、二度と戦争の時代に戻らないよう、これからも機会があれば体験を語っていきたい。(聞き手・増谷文生)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150812-00000032-asahi-soci





















