いらっしゃいませ。そしてお帰りなさいませ。
庄内多季物語工房へ、ようこそおいで下さいました。
山形県庄内地方は、澄んだ空気と肥沃な土壌、そして清冽(せいれつ)な水に育まれた、新鮮で滋味豊かな野菜や果物の宝庫です。
それに加えて、時に不思議な光景に遭遇する土地でもあるのです。
今回、物語収穫人である私、佐藤美月が遭遇致しました不思議な光景は、全部で四編に分けてお届けしております。
それでは第四景を、どうぞこちらから、ご堪能下さいませ。
![虹](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/349.png)
![流れ星](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/090.png)
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![流れ星](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/090.png)
そこで漸く、文庫本が入った包みを抱えていたことを想い出しました。
私の体温が移って、胸元で温かくなっています。
「…‥あ、これは文庫本で、一度は読んだことがある小説ばかりなんです。
でも、例えば海辺で潮風に吹かれて、波音を聴きながら読んでみたら、五感が刺激されて、また違う世界が味わえるんじゃないかと思って、持ってきてみたんです」
私は包みの中から一冊の文庫本を取り出すと、潮風と一緒に、ページをぱらぱらと捲ってみました。
それは宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』でした。
すると、シャボン玉の大群の中から、一つのシャボン玉が遊離して、文庫本の近くにふわふわと寄ってきました。
まるでそれは、ナイトバザールの時に、人混みから遊離して、古本の露店の前にしゃがみ込んだ、私自身のようでした。
もしかしたら、現世では堪らなく小説好きだった魂が、そのシャボン玉と同化しているのかも知れません。
そんなことを考えていると、そのシャボン玉がくるくると高速で回り出し、それに合わせたようにして、文庫本に並んでいた繊細で美しい文章の数々が、次々と空中に浮き上がりました。
それから、シャボン玉の動きに巻き取られるようにして、瞬く間にそこに吸い込まれていったのです。
私は呆気に取られて、その奇妙な光景を眺めているしか出来ませんでした。
ふと我に返ると、手にしていた文庫本からは、全ての文章が綺麗に抜け落ちていました。
後に残されたのは、古びてはいるものの、すっかりまっさらになったベージュ色のページでした。
その様子を一緒に眺めていたシャボン玉使いの男性が、ハンドルを回す手は止めずに、こう口にしました。
「もし惜しくなければ、手許にある文庫本の文章を全部、そのシャボン玉と同化している魂に、捧げてやってもらえませんか?
今生で小説に触れるのは、これが最後でしょうから、なるべく思い残すことなく、昇天出来るようにしてやりたいんです」
私は文章を貪欲に吸い込んだ虹色に煌めくシャボン玉を見詰めて、静かに頷きました。
そこに宿っている魂はもしかしたら、小説家志望だった元同僚かも知れないと思ったからです。
そこで包みの中から、次々と文庫本を取り出すと、潮風に手伝ってもらいながら、ページをぱらぱらと捲っていきました。
太宰治の『人間失格』、森鴎外の『舞姫』、芥川龍之介の『鼻』、夏目漱石の『夢十夜』など、明治から大正に掛けて活躍した文豪達の素晴らしい文章が、くるくると高速で回転するシャボン玉の中に、どんどん吸い込まれていきました。
やがて全ての文庫本の文章を吸い込むと、そのシャボン玉はご機嫌なゴールデン・レトリーバーのように、私の周りをぐるぐると回りました。
それから、私の右頬に軽く触れると、他のシャボン玉に混じって、虹色に美しく煌めきながら、澄み切った青空へと昇っていきました。
そんな一部始終を見守っていたシャボン玉使いの男性は、近くに寄ってきていたゴールデン・レトリーバーの頭を撫でながら、こう言いました。
「あの魂はもしかしたら、あなたに縁(ゆかり)のある魂だったかも知れませんね。
何か、心当たりはありますか?」
はい、何となく、と言葉を濁して答えながら、まっさらになった文庫本のページを見詰めました。
まるで元同僚から、そこに新しい文章を記すのは、美月さんの役目だよと言われている気がしてなりませんでした。
こうして思わぬ形で、元同僚の魂を弔うことになりましたが、最後に好きだった小説を捧げられて、本当に良かったと思いました。
希望を宿したように虹色に煌めくシャボン玉の大群が、次々と吸い込まれるようにして、果てしない青空へと昇っていきます。
その様子を目を細めて見上げながら、今度はこの体験を小説にするからねと、元同僚の魂に誓いました。
その下で、少し波が荒くなっている冬の日本海は、大量の銀貨をばら蒔いたようにして、きらきらと豊かに輝いていました。
~~~ 完 ~~~
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佐藤美月は、小説家・エッセイスト・ライター・コラムニストとして、活動しております。
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