「羽生結弦さんがプロ・アスリートに転向するという決意を表明...」
といったような見出しのニュースが飛び交ったのが今からすでに2カ月前になりますが
私にしてみれば、ずーっと昔から、彼は「プロ」だったんですよね。
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羽生さん自身もその後のインタビューなどで「自分がこれからプロとして活動して行くにあたり」といった表現を使っているので、やはり「転向」という意識があるのでしょう。
テレビ番組に「プロフェッショナル~仕事の流儀」というものがありますね?
あの中に登場する人たちに共通することは、分野は何であれ、自分の仕事やそのアウトプットに誇りを持っている、信念を持ってやっている、周りからというよりも自分自身で高いハードルを掲げている、仕事の質に妥協はしない、期待された結果を出す努力を怠らないなどなどがあります。
英語のサイトでも「professional」「professionalism」で検索をかけると似たような項目が出てきますが、それが全て、羽生さんが「選手」と呼ばれていた時からの彼の振舞いや姿勢に当てはまるのです。
例えば「周りの人が仕事をしやすいように気配りができる」、「有言実行」、「品行方正」、「所属している団体、あるいは代表している職業分野のイメージアップに貢献する」などなど...
本当にどのような定義を取り上げても、ぴったり。
実際、大会の現場での羽生選手(当時の呼び方で行きますね)は競技に関する側面で抜群の実力とリーダーシップを発揮していたのは当然のことながら、それ以外のところでの気配りがあまりにも出来過ぎていて、運営側が恐縮するほどでした。
彼ほど人気のある選手が出場するとなると、セキュリティの面でも通常より綿密に計画せざるを得ません。特にオータム・クラシックのようなローカル大会では色々と工夫が必要になりましたが、羽生選手はそれを「ボンヤリ」と(「あー、何かスタッフがやってるわ」、みたいに)ではなく、「しっかり」見ているので煩わしいことがあっても決して嫌な顔一つ見せず、辛抱強く協力してくれました。
そして必ず、大会後にはスタッフを労い、記者会見で謝意を述べたり、素晴らしい思い出を残してくれたのです。
2017年オータムクラシック
先月のSharePracticeという公開練習後、「地獄の連続インタビュー」をこなした彼ですが、これとていっときは毎夏行われていたクリケット・クラブでの公開練習後にやっていたことをほぼ踏襲しています。(まあ、それにターボが掛かった、かも知れませんが)
自分のために集まってくれたメディア各社、各ジャーナリスト、各フォトグラファー、全ての人たちのために「来た甲斐があった」と思ってもらえるよう、彼は取材や撮影に挑んでいました。
過去に何度か、この公開イベントに参加したメディア関係者の方々と終了後にお会いする機会がありましたが、皆さんそれぞれに満足そうな感想を述べられていました。
また、私自身が居合わせたGP大会のスケートカナダでは、競技後のテレビ局インタビュー、ミックスゾーン、記者会見、個別取材、そして一夜明けもまたまた各テレビ局、ペン記者、雑誌記者、海外記者の取材などに引っ切り無しに応じていました。
もちろん、他の日本選手も同じような流れですが、彼の周りに集まるメディアの数はちょっと異常でしたし、質問の多さも段違いでした。しかも時には次の大会のプロモーション映像の収録などにも駆り出されたり。
2017年オータムクラシック
2019GPスケートカナダ
記者たちのためにレコーダーを並べたり、時には自分で持ったり、会見場ではネームプレートを真っ直ぐにしたり、時には左右を入れ替えたり(2位と3位の場所が入れ替わっていたので)
誰が何と言おうと、羽生選手の参加する試合は特別でした。全体の空気が引き締まる、選手たちも気合が入る、メディアは沸き立つ、ファンは...言わずもがな。
なお、何度かこのブログでも綴って来たことですが、私は別にこのような↑ことを他の選手をディスリスペクトするつもりで言っているのではありません。現に今後もカナダや他国で開催される大会のお手伝いは、させてもらえるのであればどこにでも赴きますし、現場で全ての選手のサポートをできるチャンスにいつも感謝しています。
いえ、ただ単純な観察として、Yuzuru Hanyu という名前が出場選手リストにあると、その大会には独特の雰囲気が漂った、と言っているだけなのです。
彼は自分の影響力や自分への期待を十二分に自覚し、それに見合うように、いや、それを二倍、三倍以上にして応えられるようにいつも最大の努力をしていました。
これを「プロのあるべき姿」、「プロ意識を持ったアスリート」と呼ばずして何としましょう。