Skate Guard Blog 過去記事より:「四回転ジャンプの歴史」 | 覚え書きあれこれ

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記憶力が低下する今日この頃、覚え書きみたいなものを綴っておかないと...

少し前からぜひご紹介したい、と思っていた記事があります。

 

「Skate Guard」という、フィギュアスケートの歴史について詳しく掘り下げるとても面白いブログがあるのですが、そこに載っている「四回転ジャンプの歴史」の一部を今日は取り上げます。

 

 

 

 

この記事が掲載されたのは2016年で、その当時も確か読んだ記憶があるのですが、今改めて読み返すとなかなか興味深い。

 

英語のことわざにもあるように

 

The more things change

The more they stay the same

 

時代が変遷するとともに物事はすごく変わっている様に思えるけど、実は本質的に変わっていなかったりするんだよね

 

ということが、この記事を読んでいるとよく分かります。

 

 

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記事の冒頭ではフィギュアスケートの初期の競技者、たとえばウルリッヒ・サルコウやギリス・グラフストロームなどの時代は、まさか四回転ジャンプを跳ぶ者が出てくることなど想像もできなかっただろう、と記されています。

 

もちろん時代と共に技術的な難度は増し、シングルでもペアでも三回転ジャンプやリフトなどなど、新しい技が編み出されて行きました。四回転ジャンプもその流れの中で、トライする選手たちが出てきます。

 

 

Back in the late seventies and early eighties, a small circle of American skaters took the plunge at attempting quadruple jumps. Robert Wagenhoffer was landing them in practice and Mark Cockerell was attempting them in competition, but the first quad attempts in major international competitions didn't come until 1983, when the Soviet Union's Alexandr Fadeev went for the gusto at the World Championships in Helsinki, Finland.

1970年代から80年代初頭にかけて、一握りのアメリカ人選手たちが先頭を切って四回転ジャンプに挑戦するようになった。ロバート・ワーゲンホッファーは練習で着氷していたし、マーク・コックレルは試合でも試みていた。だが大きな国際大会で初めてクワッドが試みられたのは、1983年、ソ連代表のアレクサンドル・ファデーエフがフィンランドのヘルシンキ世界選手権で思い切って跳んだ時であった。


Around the time that quadruple jumps were first being attempted, not everyone was sold on the push for technical progress. In an interview in the December-January 1979 issue of the "Canadian Skater" magazine, 1976 Olympic Bronze Medallist Toller Cranston lamented,

四回転ジャンプへの挑戦が始まった当初、皆が皆、技術的な進歩に賛成していた訳ではなかった。「カナディアン・スケーター」誌の1979年12月―1月号に掲載されたインタビューで、1976年のオリンピック銅メダリストのトラ―・クランストンが嘆いている:

 

"I know that the trend today is that a male competitive skater has to do in the neighbourhood of four... five... six to eight triples, which makes no sense to me at all... It becomes a big, fat bore. You forget those performances. The performances you really remember are the emotional ones... I agree that in some ways it is a very authentic progression. But it's not the only progression. It's only one kind.

「分かっています。今日の傾向として、男子選手は三回転ジャンプを4本、5本、6本から8本くらい跳ぶことが求められていますよね。でもそんなのは僕にとって全く不可解に思えるんです。ものすごく退屈じゃないですか。そういった演技は全然、記憶に残らない。本当に記憶に残るのはエモーショナルな(感情移入をさせるような)演技ですよ。もちろん、進化の方向性として(難度が上がっていくのは)ある意味、正当なものです。でも進歩には色々な種類があって、その中の一つであるにすぎません。

 

For example, I always remember going to the Moscow Circus where I saw people do things that defy the ability of the human body - they practically turned themselves inside out, they stood on one finger, and so on. But after about three-quarters of an hour, I left in the middle of the performance. Yes, it was phenomenal and unbelievable, and I had never seen anything like it before. But then suddenly I became aware that, gee, these seats are uncomfortable, I have no room for my feet. The point is that when I left, I had forgotten everything. I had not been impressed emotionally.

例えば、ですが、僕がモスクワ・サーカスに行った時の話。サーカスの団員は人間の身体能力の限界を覆すような動きを見せていました。ほとんど身体が表裏、ひっくり返ったんじゃないかと思うような動きだったり、指一方で全体重を支えたり、とにかくそんなことが次から次へと続くんです。でも45分くらい見ている内に、まだパフォーマンスの途中でしたが僕は退席しました。ええ、そりゃあ驚異的で信じられないようなパフォーマンスだったし、見たことのない技ばっかりでしたよ。でもその内、急に、「あれ、この座席すごく座り心地が悪いなあ。脚も伸ばせないし」といったような事が気になりだしたんです。僕が言いたいのは、会場を離れる頃にはもう見たもの全部を忘れていた、ということです。感情面で訴えかけて来るものがなかった、からですね。

 

But to my dying day I'll remember some of the performances I saw of the Bolshoi Ballet. I can't tell you what they did, but I have visions, and my body sort of surges up with emotions because I FELT something."

そこへ行くと、ボリショイ・バレエで観た幾つかのパフォーマンスは、死ぬまで忘れないでしょう。ダンサーたちが具体的に「何」を踊ったのかは説明することができませんが、それでも目にその舞台の光景が浮かぶと、身体に感情がグワッとこみ上げて来るのです。これは私が(そのパフォーマンスを観て)何かを感じた、からです。」

 
この様にトラ―・クランストンはジャンプの数を争う傾向を懸念していたわけですが、その後も技術面での高度化は止まりませんでした。
 
記事はこの後、初めて試合で正式に四回転ジャンプの着氷に成功したとされるカート・ブラウニングの話に移ります。
 
(記事内で紹介されている以下の動画にはファデーエフ、ブライアン・ボイタノ、ブライアン・オーサー、そしていつも引き合いに出されるジョセフ・サボフチクなども登場します。)
 

 

 

 

Controversy persists to this day as to when the first quad jump was actually landed in international competition. Officially, the ISU recognizes Kurt Browning's quadruple toe-loop at the 1988 World Championships as the first. However, the March 26, 1988 edition of The Bangor Daily News notes that "[Jozef] Sabovcik was believed to have landed one at the 1986 European Championships. But a review of the tapes revealed that he grazed the ice on his free leg and the jump was disallowed."

誰が最初に国際大会で四回転ジャンプを着氷させたのか、については未だに物議が醸されるところである。ISUによって正式に認められているのは、1988年の世界選手権でカート・ブラウニングが跳んだ四回転トウループである。だが1988年3月26日付の Bangor Daily News によると「(ジョゼフ)サボフチクは1986年のヨーロッパ選手権で四回転ジャンプを着氷させたと思われた。だがテープによるレビューで、フリーレッグが氷の表面をかすった、とされ、ジャンプは認められなかった」のである。

 

In a December 2008 interview on The Manleywoman SkateCast, Sabovcik explained, "I know what I did, and Kurt and I, people thought we were at each other's throats about this, but Kurt’s a really good friend of mine. I respect him as a skater and I think he respects me as a skater. I did what I did, and mine wasn’t by any means perfect, but neither was his. The ISU makes their decisions and that's how it is. They usually don't go back on anything they rule. Scott Hamilton told me, he was there, they made a video that showed the landing from a certain angle, and when he heard the ruling, he offered them the tape from, I think it was, ABC, and [the ISU] simply refused it because they had made their ruling."

2008年12月のThe Manleywoman SkateCastのインタビューで、サボフチクは以下のように説明している。「僕は自分が何をやった(4Tを着氷した)かを知っている。で、周りの人らはカートと僕がこれについてずっと言い争っているって思っているらしいけど、カートはすごく良い友人だよ。彼のことはスケーターとしてリスペクトしているし、彼もぼくのことをリスペクとしてくれていると思ってる。自分がやったことはちゃんと分かってるよ。僕の(クワッド)がパーフェクトだった、とは言わないけれど、彼のだってそうじゃなかった。ISUが決定することに関しては、どうにもならない。彼らは自分たちの下した判定について、それを覆すことは通常、しない。スコット・ハミルトンが僕に言ってくれたんだけど、彼は(解説の仕事で)現場にいて、僕の着氷を別の角度から見せるビデオを作ったそうなんだ。それで(ISU)の判定を聞いた時、そのテープを提出すると申し出たらしい。確かABC(テレビ局)だったと思うけど、それを(ISUは)拒否した。もう判定はくだしたから、と。」

 

In his 1991 book "Kurt: Forcing The Edge", Kurt Browning talked with candor about his own historic accomplishment: "I'd been landing quads in practice for a couple of years. I'd landed them in Cincinnati and tried them here and there, whenever I felt the chance existed. Other people were landing them too. But there are two important distinctions that put my name into skating history. I was the first to land a quad perfectly and cleanly - landing on one foot, not two - at a recognized, sanctioned skating event. Not fooling around in practice, not on springy ice, not on a pond in the middle of nowhere without a battery of judges around. That is why my name is in the Guinness Book Of World Records. I was the first to do it. I won't be the last.

1991年の著書『Kurt: Forcing The Edge』の中でカート・ブラウニングはごく正直に自身の歴史的な業績について述べている。「僕はもうすでに何年か前から練習で四回転ジャンプを着氷させていた。(1987年の)シンシナティ(ワールドの練習)でも降りていたし、とにかくいつでも機会があったら、そこかしこで試してた。他の人らも降りていたよ。でも僕がスケート史に名前を残したのは、二つのはっきりとした要素があったからだ。初めてクワッドを完全に、クリーンに―つまり両足ではなく、片足で―降りた、ということ。そしてそれが正式な公認の大会であった、ということ。練習で遊びながらやったのではなく、バネの効いた氷の上でもなく、周りをジャッジにズラッと囲まれていない誰も知らない池の上で、でもなく、ね。だから僕の名前がギネスブックに載ってるんだ。ちゃんとやったのは僕が最初だったから。もちろん、最後ではないだろうけど。

 

Let's be clear about this. Skating folklore is rich with jumps that never happened, real fish stories. According to legend, there have been quad Salchows and fantastic combination leaps. Perhaps people were landing quads in some manner in the 1940s, because that's when the rumors began to circulate. [Sabovcik]'s one of the most exciting jumpers I've ever seen. Boitano did a perfect quad in practice in St. Gervais. I've seen Orser do them. But I was the first to hit one when it counted."

はっきりと言おう。スケート界には実際には降りていないけれど降りたみたいに言われるジャンプの自慢話がごまんとある。釣り人の自慢話みたいなものさ。そういった伝説によると、4回転サルコウもすでに跳べている奴がいたり、夢みたいなコンビネーション・ジャンプもあるらしい。1940年代に誰かが四回転を跳んでいたかも知れないよ、その頃から噂は出回っていたんだから。(サボフチク)はすごくエキサイティングなジャンパーだよ。ボイタノだってサンジェルヴェの(大会)練習では完璧な四回転を降りている。オーサーだって跳んでいるのを見たよ。でも一番大事な時に、一番最初に成功させたのは僕だ、っていうことだね。」

 

 

 

この後、話はどんどん膨らんで、女子では誰が最初にクワッドを跳んだのか、男子ではクワッドを連続ジャンプで使い始めたのは誰だったのか、ペアではどうだったのか、などなどと展開して行きます。

 

が、今回は以上で切り上げますね。

 

 

 

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さてさて、ユヅファン待望のファンタジー・オン・アイスまであと数日ですね!

 

スターズ・オン・アイスのカナダツアーを終えて日本へと直行したスケーター達は宮原知子さん、エラジ・バルデ、そしてジェフリー・バトルです。

 

ファンタジーの振り付けにも携わるジェフは久しぶりに羽生選手に会えることを心待ちにしています。

 

「ずっとリモートばっかりだったから、ユヅと実際、氷の上で滑るのはすごく楽しみ!」

 

と言っていました。

 

今週末の幕張公演にいらっしゃる方々、どうか気を確かに保ってください。

 

 

すごいことになりそうですよ!