アスリートの心:怪我を抱えながら試合に挑む時(その1) | 覚え書きあれこれ

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記憶力が低下する今日この頃、覚え書きみたいなものを綴っておかないと...

前記事でも触れましたが、今日からNHLのプレイオフが始まります。

 

NHLのシーズンは通常、9月にエキシビション試合が幾つかあって、10月から本格的にリーグ戦が始まり、それぞれ82試合をこなしてようやくプレイオフに出場できるチームが決まります。

 

そこから延々、二カ月近くもプレイオフがあるわけですが(1回戦、2回戦、東西リーグ決勝、そしてスタンレー杯ファイナルで勝者が決定)、当然のことながらそこに至るまでに選手たちはほぼ全員が満身創痍。

 

明らかに目に見える怪我もあれば、全てが終わってからようやく明かされる怪我もあります。とてもではないけれど、そんな大怪我を抱えたままプレイしていたとは思えないケースもあったりして、びっくりしたことも何度かありました。

 

コーチ達は連日の記者会見や囲み取材であの選手、この選手の体調はどうか?と質問攻めに遭いますが、たいていの場合ははっきりとした情報を出そうとしません。

 

こういう時に使われるのが、ホッケー用語で有名な「undisclosed upper (lower) body injury」(=不明の上(下)半身の負傷)という表現です。まあ、正直かなり白々しいですが。

 

どうしてこの様に怪我をした箇所や、その重度を明かさないのか、と夫にさきほども聞いたところ、試合相手に知られたらこっちが不利になるから、ということでした。

 

例えば手首を痛めていたら、パック争いを装って執拗にその部分をスティックで叩かれたり、膝が弱点であれば足を引っかけられて転ばされたり。

 

 

「氷上の格闘技」と言われるホッケーでは、選手同士のぶつかり合いもプレイの内

 

 

あるいは負傷した選手がいると悟られれば、おそらくいつもほどは速く滑ることが出来ないだろうから、その選手のサイドばかりにプレイを展開させるなど、とにかく試合の勝敗に影響を与え得るセンシティブな情報はなるべく公開しないに越したことはない。

 

そういった駆け引きはもちろんホッケーに限ったことではありません。フィギュアスケートでさえも、選手の負傷に関してはなかなか真相が知らされないことが多いですよね。

 

一つには選手自身が怪我を「言い訳にしたくない」というのもあるのでしょうが、それ以外に「演技を観る側によけいな先入観を与えたくない」ということもあるそうです。

 

この点については2010年に自国開催のバンクーバー五輪でアイスダンスの金メダルを獲ったテッサ・ヴァーテューとスコット・モイヤー達が説明しています。

 

 

 

 

テッサは2008年に両脚の脛の手術を受け、そのシーズン前半の試合を全て欠場しています。慢性型コンパートメント症候群といって、筋肉を包む膜の内部で圧力が増し、強い痛みが出るそうです(スポーツ選手の場合はその部位の使い過ぎ、によることが多い)。

 

手術のおかげでいったんは痛みが軽減されたものの、スコットと重要なオリンピックシーズンを迎えて練習や試合の密度が増すと、徐々にまたぶり返します。

 

たった10分でも歩くにも苦労して、オリンピックの選手村ではチームドクターが「部屋からカフェテリアまで歩いて3分だからね」と下見をしてくれて何とか毎日の食事を摂りに行くことができた、という始末。

 

それでも氷上では決してそんな素振りは見せず、見事に優勝までこぎつけました。

 

 

 

 

この時テッサは20才、スコットは22才。初々しい五輪チャンピオンでしたねえ。

 

 

 


 

そこで当時を振り返って、どうしてテッサの負傷について伏せていたのか、と聞かれると

 

It’s strategy. If judges thought she was fighting pain, they might watch for that. It could affect [scoring], definitely. We wanted to win the Olympics, and we thought we could do it without letting on about the pain.

戦略の内です。テッサが痛みに耐え(ながら演技し)ているとジャッジが思ったら、その様子がどこかに表れるだろう、という点に注目するかも知れない。採点に影響が出ることもあり得ますよ、絶対に。僕らはオリンピックで優勝したかった。そして(テッサの)痛みを知られずにやり遂げることが出来ると思っていました。

 

と、スコットは言います。アイスダンスは演技中の表情もジャッジに観察される競技ですから、油断が出来ないのでしょう。特にこのシーズンのフリーダンスでは、テッサはふわりとした白い衣装を着て、マーラーの交響曲に乗せて天を舞うような優雅なプログラムを滑っていたので、一瞬たりとも苦痛だとか厳しい表情を見せることは出来なかったのです。

 

olympicsvancouver2010 のチャンネルでこの時のテッサとスコットの素晴らしい演技を観ることが出来ますが、動画を貼り付けることができないのでリンクを置いておきます:

 

こちら

 
 

その後、テッサは痛みを抱えたままスコットと一緒にトリノの世界選手権に出場し、ここでも二人は優勝。

 

シーズン終了後、ようやく同じコンパートメント症候群の診断が下されて今度は両脚の後部(=ふくらはぎ)に手術を受けることになります。そしてそのシーズンはグランプリ・シーズンはもちろん、ナショナルズまでも欠場する羽目になったのでした。

 

普段の生活では歩くのにも支障が出るほどの痛みが両脚にあっても、試合の演技となるとアドレナリンと強靭なメンタルで乗り越えた、というからテッサのアスリート魂は凄いです。


思うに、たいていのアスリート(バレエダンサーなどの舞踊家もそうでしょうが)は一般人に比べて「身体的苦痛」に対する許容度(ちなみに英語では「Pain Threshold」という言葉があります)がずいぶんと高いのだと思います。

 

だからこそ、単にその痛みに耐えるだけではなく、観る側に全く悟られないようなパフォーマンスを披露する、という離れ業が出来るのでしょう。

 

私みたいな凡人は痛みが即、恐怖心に繋がるので、なるべく避けようとするわけですが、アスリートは状況によってたいていの痛みと(短期的、ではあっても)共存することが可能なようです。
 
以前、長男がまだ現役のホッケー選手(ゴールキーパー)であった頃、大事な試合の前日に練習で味方の打ったシュートが左手に当たり、防具を付けていたにも関わらず薬指の先が折れてしまいました。
 
すぐに夫が病院に連れて行き、応急処置をしてもらいましたが(グロいので詳細はパス)、翌日の試合には予定通り出場しました。
 
そこで昨日、たまたま遊びに来ていた息子に当時のことを振り返ってもらうと (と、ここまで書いて、自分のブログのために家族を思いっきり手伝わせていることに気付きました。わはは)
 
「痛くはあったけど固定してもらってたし、全く同じ個所に同じようなショットが当たらない限り、大丈夫だと思った」
 
という答えでした。
 
そして
 
「病院の先生も試合に出て良いって言ったし」
 
と。
 
これはまあ、カナダ人のドクターらしい助言でしたが、要は「プレイしてもそれ以上、酷いことにはならないだろう」と、プロフェッショナルにお墨付きをもらった安心感から息子は恐怖を覚えることなく試合に出られたのだと思います。
 
 
(書くスピードが遅いので、タラタラしている間にメープル・リーフスの試合が始まってしまいました。続きはまた明日にでも)