2022年カナダ選手権(オタワ大会)振り返り➀:無事開催・終了 | 覚え書きあれこれ

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記憶力が低下する今日この頃、覚え書きみたいなものを綴っておかないと...

記事のタイトルに書きましたが、オリンピック代表選考会という最重要の大会が単に「無事開催されて、終了までこぎつけた」だけで大ごと、とは。

 

しかし試合後のミックスゾーンでどの選手たちも開口一番で言ったのが

 

「とにかく試合が行われて良かった。主催してくれた連盟に感謝します」

 

ということでした。

 

正直に今まではあんまりそんなことを考えたことがなかった、と言った選手もいました。カナダ選手権は毎年、ある時期が来れば当然の様に開催され、多くの選手にとってはシーズンの締めくくりのような位置づけだったからでしょう。

 

国際試合に出るエリートレベルのスケーターたちにとってはそこからが四大陸選手権、世界ジュニア選手権、あるいは世界選手権やオリンピック、という大舞台が待ち構えていたりするのですが。

 

それが昨年はまさかの中止。

 

海外遠征がキャンセルになるのはまだしも、国内の試合にさえ出られないとなるとさすがにショックです。

 

今年は開幕から慎重な運営ではあっても、オータムクラシックやGPスケートカナダ、そして年末にはSkate Canada Challenge (予選会)もちゃんと行われただけに、年明けのナショナルズ本戦も大丈夫だろうと思われていました。

 

ところが12月に入ってからオミクロン騒ぎで急に雲行きが怪しくなり、せっかく予選会を通過した選手たちも、そして何よりもオリンピックを控えた選手たちも、どうなるかと不安で一杯だったんですよね。

 

不安だったのは運営側もそうでした。今回、現場に到着するとまずは「練習リンクの使用許可が下りたのが前日17時だった」とか、「油断が出来ない状況でほとんど夜も寝られない」などなど、連盟スタッフから聞かされて気の毒になりました。

 

私のような臨時要員は大会前日にポーンと投下されて、現場でのメディア対応に当たれば良いだけですが、主催委員会は日々変わるオンタリオ政府からの感染対策規制に翻弄され、本当にここまで漕ぎつけるのが大変だっただろうと思います。

 

 

ちなみに私は昨夜、電車でオタワからトロントに戻り、一人部屋で隔離して、早朝6時半には抗原検査を受けに行きました。陰性判定を受けてからもマスクを着用して、夫と息子とはなるべく距離を取っています。

 

あと数日はこのまま大事を取って行動して、症状をモニターするつもりです。

 

まあ何はともあれ、二日間のシニア競技のショート・フリーを終え、オリンピック代表が選出されました。

 

すでに発表があって皆様もご存知かと思いますが、このようなメンバーになりました。

 

 

 

 

 

 

Ice Dance
Laurence Fournier Beaudry (Greenfield Park, Que.) and Nikolaj Soerensen (Montréal, Que.)
Piper Gilles (Toronto, Ont.) and Paul Poirier (Unionville, Ont.)
Marjorie Lajoie (Boucherville, Que.) and Zachary Lagha (St-Hubert, Que.)

Men’s Singles
Keegan Messing (Girdwood, Alaska)
Roman Sadovsky (Vaughan, Ont.)

Pairs
Vanessa James (Montréal, Que.) and Eric Radford (Balmertown, Ont.)
Kirsten Moore-Towers (St. Catharines, Ont.) and Michael Marinaro (Sarnia, Ont.)

Women’s Singles
Madeline Schizas (Oakville, Ont.)

Coaches
Ralph Burghart (Anchorage, Alaska) – Coach
Pascal Denis (Repentigny, Que.) – Coach
Nancy Lemaire (Milton, Ont.) – Coach
Julie Marcotte (Beloeil, Que.) – Coach
Alison Purkiss (Brantford, Ont.) – Coach
Juris Razgulajevs (Ajax, Ont.) – Coach
Tracey Wainman (Markham, Ont.) – Coach

 

 

ほぼ問題なく以上のようなラインナップが決まったわけですが、ペア部門だけがちょっと物議をかもしました。

 

その辺りも含めてざっと、私が見た限りでのカナダ選手権の振り返りをしたいと思います。

 

まずは女子:

 

今年のカナダチャンピオンになったのは18才(もうすぐ19才)のマドリン・スキザスでした。

 

ほんの二年前までは注目されていなかったマドリンですが、昨シーズンはカナダ代表としてストックホルム・ワールドに出場し、13位という立派な成績を残しました。

 

自分でも「私はとってもロジカルな性質です」と言うだけあって、ミックスゾーンでもとても冷静で落ち着いた対応でした。

 

 

 

 

自分でも二年前だったらオリンピック代表になるなど思いも付かなかった、と言い、あまり有名なスケートクラブの出身でなくともこのように夢を掴むことは出来るのだ、という点に大きな誇りを持っていました。

 

おそらく彼女はオリンピックの緊張の中でも、しっかりと演技をするのではないかと予測します。浮かれることなく、ひたすら持ち味である安定したジャンプ、そしてエネルギッシュな滑りを披露して、自分の役割を全うするでしょう。

 

団体戦ではまずショートを、そして通過すればフリーを一人で滑ることになりますが、初めてのオリンピックで演技をする機会が増えるのはきっと喜びでしかないでしょうね。

 

 

次に男子

 

二枠を争ったのはキーガン・メッシング、そしてローマン・サドフスキー。そこにナム・ニューエンとウェスリー・チューだったでしょうか。

 

キーガンは昨年から一貫して良い成績を残して来たので実績から言うとよっぽどのことがなければ代表から外れることはないと思われました。

 

いわゆる「愛されキャラ」のキーガンですが、彼は本当に裏表のない人です。ふとした会話の中でも良くこれだけ清い心の持ち主がいるものだ、と感心してしまいます。私は似たような年齢の息子を持つ母親ですが、キーガンの親御さんたちはさぞ素晴らしい教育をされたのだろうな、と思います。

 

代表発表後のインタビューでも、ナショナルズに出場するのは今年で19回目になるけれど、母親が来れなかったのは初めてだった、と語っていました。息子が初めてチャンピオンになったのに、と。今年に限ってその場に居合わせることが出来なかったけど、スマホを使ってフェイスタイムで金メダルの表彰式を観てもらった。スマホを駆使したのは友人のエラジ・バルデだった、と言ってました。

 

あまりにも感動して、ずっと(自分が)泣きっぱなしで大変だった、とも言っていました。

 

今大会はロスバゲに遭って、ギリギリまでスケート靴が手に入りませんでした。どうやら最終的には予備の靴をメーカーがモントリオールから車で持って来てくれ、オタワの現地でブレードがその靴に付けられ、本当にとんでもなく間一髪、間に合ったそうです。そのため、ミックスゾーンでは涙ながらにキーガンが「僕がここに立てているのは、自分一人の力じゃない」と感謝の言葉を述べていました。

 

 

 

 

思うに、本当に勝利の意味を噛みしめている選手は自分一人の力でそこに到達したのではない、ということを良く理解しており、しかもはっきりと感謝の気持ちを述べられるのだな、ということです。

 

定型通りの言葉ではなく、心から自分が色々な人たちに支えられているのだ、と実感して、言葉にできるアスリートは強い。

 

二度目のオリンピックとなるキーガンはきっときっと、本番でも良い滑りを見せてくれるはずだと思っています。

 

そのキーガンの親友であるナム・ニューエン選手。今シーズンの序盤のGPスケートアメリカでは引退を宣言していましたが、なんと今大会でそれを撤回するようなコメントがありました。

 

 

 

 

ファンとしては嬉しい限りですが、ひとつにはせっかく最後の舞台を設定していたナショナルズで良い演技が出来なかった、ということがあるのでしょう。

 

ショートではシナトラの「That's Life」を演じ、フリーでは2019年スケカナで演じたビートルズ・メドレーを持ってきました。

 

不本意な演技となってしまい、これではとてもじゃないけれどキャリアを締めくくることはできない、と思ったのでしょう。幼い時から全ての年齢層のタイトルを総なめにして来たナム選手ですから、こんな形で去るのは我慢できない、というのも納得できます。

 

来シーズンも続けてくれるのであれば、こんなに嬉しい事はありません。

 

さて、何年も前からその才能を買われ、スケーティング・スキルとスピンの質では誰にも負けないローマン・サドフスキー選手がとうとう、オリンピック代表の座を射止めました。

 

4年前の平昌には代表になれなかったけれど、絶対に次は出場権を獲得するのだ、とその時に決めたと言っています。

 

2010年にバンクーバーで開催されたオリンピックのモニュメントの前で写真を撮り、必ず北京大会には自分が出るのだ、と決心してインスタグラムに載せています。

 

 

 

 

それを昨日、再掲して、ようやく目標を達成したと報告するローマン。

 

ナム選手同様、ノービス・ジュニア時代から大きな期待をかけられて来ていた選手です。背が伸び、今では男子選手の中で最も高身長の一人になりましたが、その過程でジャンプが全く跳べなくなり、負傷を重ねた時期もありました。

 

それでも諦めず、YouTubeに動画を載せたり、色んな手段でファンとの交流を保ちながらずっと夢を追い続けて来たのですね。

 

我々はアスリートたちのそんな地道な努力をどれだけ知っているのでしょうか。到達点で彼・彼女たちを出迎えるのは容易ですが、そこに至るまでの年月と道のりを辿り、知ることは大切だと思います。

 
 
まだまだ続きますが、いったんここでアップします。