クインシー・ジョーンズから「おしゃべりクッキング」まで | 覚え書きあれこれ

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記憶力が低下する今日この頃、覚え書きみたいなものを綴っておかないと...

また訳の分からんタイトルですが、

 

 

 

 

 

 

の続きの記事です。長らくほったらかしていましたが、ようやく書くことにしました。

 

ネイサン・チェン選手が今シーズンのフリープログラムに使用している曲を作ったのがフィリップ・グラス、その音楽仲間に久石譲さんがいらしたことから、お名前の由来であるクインシー・ジョーンズに思いが馳せられたのでした。

 

全くスケートとは関係なく、かなり支離滅裂な展開になりますので、音楽ネタに関心のない方はスルーしてください。

 

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私と同じくらいの年代の方々であれば、クインシー・ジョーンズと聞くとまずは1985年の「We are the World」を連想するのではないでしょうか。

 

飢饉に苦しむアフリカ(特にエチオピア)への支援として、クインシーさんが友人のマイケル・ジャクソンライオネル・リッチーたちと企画して、当時の音楽界からロック、カントリー、ポップ、ソウルなどのジャンルのスーパースターを一堂に集めて無償で歌わせる、というあまりにも有名な慈善プロジェクトでした。

 

 

 

 

 

 

この前の年にイギリスでボブ・ゲルドフが考案した「Band Aid」のプロジェクトにちなんでいたわけですが、

 

 

 

 

 

とにかく当時はなかなか衝撃的だったので、憶えていらっしゃる方も多いかと思います。


ただ、私はもともとクインシー・ジョーンズが主にプロデュースしていたソウル系の歌手にはさほど興味は無かったのです。

 

中学・高校時代から大のロック・ファンで、今になって考えてみてもけっこうな数のコンサートに足を運んでいました。月に二回は大阪のフェスティバル・ホールや厚生年金会館に友人たちと出向いて、レコードも買いまくって、ロック漬けの日々であったと言っても過言ではありません。

 

ところが、それを変えたのがマイケル・ジャクソンのアルバム「THRILLER」だったのです。言うまでもなく、クインシー・ジョーンズのプロデュースによる、伝説的なベストセラーとなったアルバムでした。

 

私の大好きなバンドのTOTOがバックを務めていたのもさることながら、「BEAT IT」という曲でギターソロを(当時、最強のロック・ギタリストと言われていた)エディ・ヴァンヘイレンが提供した、というのにも惹かれました。

 

 

 

 

このソロは、エディがスタジオ入りして何気なく弾いたのが一発で採用され、しかも大した報酬ももらわなかったのだけれど、後世に語り継がれるほどの素晴らしい出来であったというのも逸話として残っています。

 

エディ・ヴァンヘイレンは残念ながら先月、65才で癌のため亡くなってしまいましたが、ロック・ギタリストとしては革新的な存在でした。私が初めてヴァンヘイレンの演奏を生で聴いたのは1978年の大阪厚生年金会館だったと思うのですが、右手の指でギターのネック部分のストリングを叩く奏法は驚異的でした。

 

 

 

 

(ボーカルのデイビッド・リー・ロスのアクションがかなりキモイ)

 

 

どれほど多くのギター少年が彼に憧れて、インスピレーションを受け、この奏法を真似たことでしょう。

 

まあとにかくこんなバリバリのロック・ミュージシャンのエディがゲストとしてマイケル・ジャクソンのアルバムに参加したのがとても新鮮でした。

 

ところで前述のTOTO。バンドとしてデビューしたのは1978年でしたが、それぞれがすでにセッション・ミュージシャンとしてのキャリアを積んでいたことが特色でもありました。ライブでもほとんどスタジオと同じサウンドを再現できる、というのが売りで、1980年に初めて来日した時は絶対に観に行こうと決めていました。

 

 

ギタリストのスティーブ・ルカサーはこの時、弱冠23歳。スタジオ・ミュージシャンとしてはベテランと言えど、すごく若かったんだな、と今更ながら驚きます。

 

 

TOTOの最大のヒット曲「アフリカ」

 

 

そしてこちらも大ヒットした「ROSANNA」

 

 

それ以降、本当に大好きなバンドで、未だにメンバーの入れ替えはあっても活動を続けているのは嬉しい。ただ、天才ドラマーと言われたジェフ・ポーカロは1992年に38才の若さで急逝、その弟でベース担当のマイク・ポーカロも5年前に亡くなり、三男でキーボード担当のスティーブさんだけが残っています。
 
ちなみに1980年代のアメリカの主だったポップ・アーティストのレコーディングにはTOTOのメンバーが必ず一人は携わっている、と言われるほど、この時代のサウンドに影響を及ぼしたバンドでした。ちょっと調べると、彼等がバックを務めたレコードの数は膨大で、先に挙げたマイケル・ジャクソンをはじめ、ボズ・スキャッグス、スティーリー・ダン、バーバラ・ストライザンド、ブルース・スプリングスティーン、クリストファー・クロス、アレサ・フランクリン、等々、リストアップしているときりがありません。
 
。。。と、つい熱く語ってしまいましたが、ここ数日は本当に昔の動画を探しまくっては懐かしさに浸っています。
 
そして毎朝、実家の母にかけている電話でも昔話に花が咲きます。母は私に付き合って色々とコンサートに行ってくれたり、私のバンドのライブにも来てくれていたので、当時の事をよく憶えているのですね。
 
そして今朝、突然そんな話の最中に彼女が言ったのが:
 
山水館とかいうバンドも好きだったよね」

 

これには笑いました。

 

そうそう、地元の神戸出身の「山水館」というロック・バンドがあり、ギタリストがうちの母の女学校の同級生の息子さんだったのです。甲南大学の学生さんで構成されていたいわゆるアマチュア・バンドでしたが、なかなか人気が高く、多くのファンがいつもライブに詰めかけていました。

 

このバンドについて実は2012年に記事にしているので、よろしければご参照ください。

 

 

 

 

私が山水館のファンだった頃からすでに40年以上も経っているわけですが、未だにベースの高橋ヨシロウさんはロック・ミュージシャンとして活躍を続けていらっしゃる。

 

(以下、高橋さんのフェイスブックより)

 

 

 

そしてなんと、山水館も復活してライブを再開しているらしい!

 

 

 

 

あともうひとつ今回ネット検索で判明したのは、キーボード担当の渡辺邦孝さんもその後、ずっとプロの音楽家としての道を歩んでいらしたこと。

 

 

ツイッターもめっちゃ活発

 

 

ご自分のスタジオで音楽指導をしたり、色々なサウンドトラックを作曲したり(中でも「デスクリムゾン」とかいう古いゲームのサウンドトラックが有名だそうです)、なんとアコーデオン奏者としても有名なのだそうです。

 

でもおそらく最も驚いたのは、渡辺さんが母の大好きなテレビ番組、「上沼恵美子のおしゃべりクッキング」のテーマ曲の作曲家であったこと!!

 

渡辺さんはご自分の動画チャンネルをお持ちで、実に多様な動画をアップされています。

 

その中の幾つかを見た印象は、

 

「あれ、山水館時代はえらいクールな人だと思ってたのに、こんなにひょうきんだったんだ」

 

ですかね。

 

高橋ヨシロウさんもステージではカッコいいハードロッカーなんだけど、ラジオに出演されているのを聴くと、めっちゃ面白い。今度、何やらライブ配信をなさるそうですが、その宣伝動画もほぼ漫才です。

 

 

 

 

 

さすが関西人のノリ。

 
 
では最後に「おしゃべりクッキング」のテーマの動画を貼っておきます。
 
本当にびっくり。