(**別記事「コメントへのお返事に代えて。。。」にて補足をしていますのでそちらも併せて読んでいただけると幸いです)
ようやくグランプリ・ファイナル気分が抜けて、そろそろ本格的にクリスマスの準備に取り組まないと、と焦っています。
とりあえず、家の中には恒例のアマリリスやポインセチアの鉢植えを飾って、
家の前の植木にライトを付けたり、プランターもクリスマス仕様にしたりしています。
日本の皆さまは今週からの全日本選手権に注目されている頃と思います。今日の記事はそれとほとんど関係ありませんが、よろしくお付き合いください。
今年の3月末、大好きなケイトリン・オズモンド選手について書いた記事があります。読んでくださった方もいらっしゃるかも知れません。
この記事ではあるCBCの動画をご紹介しています。平昌五輪直前に撮影されたもので、オズモンド選手がいかに、度重なる負傷に見舞われながらも果敢に復帰したか、を描いています。
オズモンド選手は2013‐14年のシーズンに疲労骨折とハムストリング断裂の大けがを負い、それでも必死にカナダ選手権までには復帰してカナダ女王の座を獲得し、ソチ五輪に出場。
しかしその翌シーズンは振り付け中、リンクで別のスケーターとぶつかりそうになって転倒し、脛の骨を二カ所、骨折。手術で脚にボルトを埋め込み、また数か月後にはそれを取り除く手術を必要とする重傷でした。
この時、ケイトリンは「どうして私、またこんな目に遭うの?」と泣き叫んだと言います。痛い、情けない、そんな状況にまた耐えければならないのかと思うと、心が折れそうになった。怪我が治ってもなお、「また人にぶつかるんじゃないか、また怪我をしてしまうんじゃないか、そうしたら一生懸命頑張って来たことがふいになってしまうんじゃないか」といったような恐怖感に絶えず、さいなまれる。そしてこの恐怖感はスケートを辞めない限り、ずっとついて回るだろう、とも動画の中で言っています。
怪我の身体的な後遺症から立ち直るのに一年、スポーツ心理学者の助けを借りて精神的な後遺症から立ち直るのにさらに一年要した、と彼女は説明しています。
五輪で銅メダルを獲得した後、オズモンド選手はその成績が「まぐれではなかったことを証明したくて」、疲弊した体と空っぽになった心に鞭打ってミラノワールドに出場。彼女自身、思いもよらなかったという世界チャンピオンのタイトルを獲得しました。
12月14日に掲載されたNBCスポーツの記事
"Kaetlyn Osmond, figure skating world champion, weighs whether to return"
を見る限りでは、今シーズンを休養すると宣言した時の心境からあまり進展がなく、現役に復帰するかどうかは未定だと言っていますね。
ケイトリンのあの見事なジャンプ、パワフルな跳躍に何の淀みもない着氷後のフローを見ると、まだまだもったいない、まだまだ戦えると思ってしまうのがファンの欲深さ。
しかし本人にしてみれば、自分が立てていた目標を全て、いや、それ以上に達成してしまった今、何をモチベーションにすればよいのか。若手の選手たちがトリプル・アクセルや四回転ジャンプを跳んでいる様子を見れば決意はいっそう揺らぐでしょうが、私はそれ以外にも複数の怪我のトラウマが少なからず、ケイトリンの気持ちにのしかかっているのではないかと思います。
さて、このオズモンド選手のことを踏まえて、現在、怪我で休養中の羽生選手に思いを馳せました。
GPFに続き、全日本選手権を欠場することが表明されましたが、我々ファンの多くは「良く決心してくれた。ゆっくり休んで怪我をしっかり治して、万全の体調で戻ってくれれば良いから」という感じのことを思ったり、ソーシャルメディアで言い合ったりして来たかと思います。
怪我さえ癒えればまた全ては丸く収まる
今シーズンのグランプリ2戦で依然として世界のトップに君臨していることを証明した羽生結弦が雄姿を見せに戻って来てくれる
そう、ワールドまでは昨シーズンの平昌に比べたら一カ月以上、長い期間があるのだから絶対に大丈夫
昨シーズン、羽生選手が負傷から奇跡的なタイミングで平昌に復帰を間に合わせ、本番で快挙を成し遂げたことを知っているがゆえに、ファンはどこか安心(慢心?)しているところがあります。
そこで、ふと思い出したのが羽生選手がロステレコム杯のフリー演技後の記者会見で発した
「スケートって、治ったら終わりじゃないので」
というコメント。
この後に続いた言葉からすると、たとえ怪我が治ってもそこからリハビリが始まって、そして練習が開始され、自分の納得できるレベルまで戻るのに時間がかかる、という風に解釈できるかと思います。
しかしそこにケイトリンの言葉を重ねた時、羽生選手に課されているのは単なる身体的、技術的な回復だけではないのだな、と私には思えてきました。
人間の本能として、一度、ある行動を取って痛い目に遭えば、次からは同じ行動を取らないようにするか、取るにしても恐る恐る、また痛い目に遭うかどうかを測りながらになるでしょう。学習しないとサバイバルに関わるからです。
ところがアスリートはその本能的な恐怖を乗り越え、痛みを無視して、競技を続けることをおぼえます。体操選手は鉄棒から落ちて床に叩きつけられても、すぐにまた鉄棒に飛び昇って演技を続行する。スケート選手はひどい転倒をしてボードにぶち当たっても、すぐに立ち上がって何事もなかったかのように華麗なスピンや次のジャンプにつなげて行く。我々はそのような光景を当たり前のように見ていますが、よく考えればとんでもないことなのです。
しかしそんなアスリートにも限界はあるでしょう。転倒して打撲を負うのはまだしも、ひどい骨折や脱臼、靭帯の損傷や断裂などの重傷は当然のことながら痛みの度合いや持続時間が違います。