あと二週間ほどで恒例のトロント国際映画祭が始まります。日本からの出品リストが決まり、映画祭側からスケジュールの打診がありました。
去年・一昨年は色々な作品の舞台挨拶や取材のお手伝いをさせていただき、かなり忙しかったのですが、今年はアタクシ、ほら、とーっても大事なイベントが9月の後半に控えておりますでしょ?なので、担当作品は一本に限定しようと思っています。どの映画になったか決まったらまたお知らせします。
さて、8月8日・9日にトロントで行われた羽生選手の公開練習の模様が、まずはネット上や新聞紙面で、それから徐々に雑誌などでその詳細が報告されてきているようですね。
私はこちらにいるためそういった雑誌類は手に入りにくいのですが、幾つかのお気に入りのブログを頼りに内容を大まかに把握させていただいています。(毎日複数の記事をアップして、読者のために何冊もの雑誌のまとめやレビューを掲載してくださっているブロガーさんたちの献身ぶりには本当にいつも感謝しています。)
そこから伝わってくるのは、SPとFSの演技を披露した羽生選手の調子がいかに良かったのか、大挙して詰めかけたメディア取材への対応がいかに丁寧で素晴らしかったのか。そしてクリケット・クラブのコーチ陣が暖かく誇らしげに「我々のYUZU」を見守っている様子や、五輪シーズンに向けて静かな、しかし絶対的な自信を持って彼をサポートしている姿勢。
ファンとしては嬉しい限り、それだけで十分、と私は思っています。
先月(7月25日付)、私は「五輪シーズンを迎えるにあたって」という記事を書きました。普通のシーズンとは違った緊迫感に満ち溢れるのは避けられない。選手たちはもちろん、周囲のコーチや家族、ファンやマスコミも異様な興奮状態に陥るのは目に見えています。そんな中でなるべく自分なりに逸る心を抑えて、ただただ、選手たちの試合を見守り、応援しようという私なりの決意表明でした。
なのであえて、このブログでは触れていなかったのですが、何人かの方々から個別にご連絡をいただいて私の見解が求められたので、どうやらそこかしこで問題となっているらしい「トリッキー」という英語表現についてほんのちょこっと書かせていただきます。
ご参考になれば幸いです。
奇しくも今朝、レニーの散歩中にいつも付き合ってくれる義姉と話をしていた時、この言葉が出たのです。
文脈は、
「親が複数の子供に財産として土地を残した場合、分配に困るよね」
というものだったのですが、それに義姉が
"Yes, it can be very tricky"
だって、お金だったら頭数で割ったら良いけど、土地だと「売って換金しろ」って言う人もいたり、「いや、自分が継ぎたい」と言う人も出てきたりするからね。
と答えたのでした。
要するに「すんなり行く」の反対の意味で、なかなか取り扱いの難しい、慎重に対処しないといけないデリケートな事態、というニュアンスです。
カナダでは、たいていこういった感じで「TRICKY」を使います。
さて、朝日新聞デジタルの後藤記者の記事:
まずは小見出しに:
ショートプログラム(SP)、フリー共に、過去に使用したプログラムを改良して演じることを明らかにした。ブライアン・オーサーコーチが「トリッキー(巧妙な)」という選択。
とあり、本文では:
二つのプログラムとも過去と同じで、しかもシーズン序盤から使うことについて、オーサーコーチは「トリッキー」と表現した。
とされています。
うーむ。
後藤さん、すみません、この場合「トリッキー」は「巧妙な」という意味ではありません。
確かに辞書で「TRICKY」調べると「巧妙な」という訳が出てきますが、それは「誰それが"tricky"な奴」といった感じで「人間」を形容する場合に限定されます。
(しかも何となく、イギリス英語の方がそういう使い方をする気がします。私ならたぶん、人間を形容する場合でも"crafty" とか "cunning" を用いるでしょうね。ポプラさん、いかが?と振ってみたりして。)
「状況」だとか「問題」だとか「決断」がトリッキーな場合は、上記の義姉の言葉にあるように、取り扱いが難しい(ので慎重にならないといけない)、という意味合いになります。
オーサーさんもカナダ人なので、義姉と同じような使い方をされてるのではないかと推測しています。(もちろん、英語の原文がどこかで手に入ればもっと確実なことが言えるのですが。。。)
以上、「トリッキー」に関する私の見解でした。
さあ、応援、応援。
ピカチュウは何にも動じないのだ