羽生選手が上海に到着したそうですね。ブライアン・コーチもこのグランプリ・シーズンが始まると忙しいこと!!
シカゴ→ケロウナ→上海。
これからまたロシア、日本、バルセロナ。
ひえええ。マイレージどんだけ貯まってるんかしら?
(ってそこじゃないだろ)
さて、このスケートカナダを機にTSNのホームページにたくさん、動画があがりましたね。その中のオーサーさんの特集があったので、彼が登場する部分だけ(つまりその前後のブライアン・ウィリアムズさんとかトレイシーさん、ロッドさんのやり取りは省いて)いつもの聞き取り・翻訳をしてみました。
動画が始まって(0:48)から(4:09)辺りまでの部分です。最後にちょっと補足もあります。
黒がナレーション、紫がオーサー、ブルーがフェルナンデス、緑がニューエンとしました。
ご参考までに。
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今までコーチとして本当にたくさんの素晴らしい瞬間を味わってきた。
でも、スケーターたちと一緒になって、ごく基礎のところから始めて、アクセルを初めて降りたとか、ダブル・アクセルを初めて降りたとか、そんな節目となるようなエレメンツが成功した時
皆、ものすごく興奮するでしょう。それってとっても貴重な一瞬じゃない?ぼくは(コーチをしてて)そういう部分も好きなんだな。
韓国のユナ・キムがブライアン・オーサーに師事するため、母親と一緒にトロントに引っ越してきたのは彼女が16歳の時だった。2006年夏のことであった。
ユナ・キムはぼくにとって、初めての本当の意味での教え子だった。(考えてみたら)ぼくが彼女を任されたのは、すごい事だと思う。だって(彼女は)ダイヤモンドみたいな、本当にものすごく貴重なダイヤモンドみたいなものだったんだから。
Kim flourished working with Orser and by 2010, she was a legitimate threat for Olympic Gold.
キムはオーサーについてから才能が開花し、2010年までには堂々とオリンピックの金メダル候補になっていた。
I know a lot of the media was trying to position it as a way for me, to,
you know, if we had won the Gold, that it would actually be a way for
me to move on, emotionally, with my life. And I really put my foot down,
from the beginning. This is not my Olympics, this was Yuna’s Olympics.
メディアはね、(ユナが)金メダルを獲ったらそれがまるでぼくにとって、やっと気持ちの上でも人生の新たな一歩を踏み出せることになる、みたいな筋書きを打ち出そうとしてた。それが分かってたから、最初っからぼくは「それは止めてくれ」ってきっぱりと言った。これはぼくのオリンピックじゃない、ユナのオリンピックなんだから、って。
ユナはオリンピックで金メダルを獲った。オーサーにとって、それはコーチとして、指導者としての実力の証となり、すぐにハイレベルの教え子が彼の元に集まって来るようになった。
コーチを替えようと決めた時、ブライアンにつくことにしました。前のコーチはなんだかちょっとあっちこっちに飛び回りすぎる人で。
He likes to have his own home, he’s a good cook, he likes to have his things around him. And that lifestyle before, was not conducive to that.so he got a little tired of that. He didn’t get the attention that he deserved.
(ハビエルは)自分の家がちゃんとあって、彼はすごく料理も上手いし、自分の周りに持ち物がちゃんとあって、っていうのが好きなタイプ。だから、前の練習環境での生活スタイルだとそれができなくて、彼はちょっとそれで疲弊しちゃった。まあ、もっと大事にしてもらえるべきなのに、そうしてもらえてなかった、ってことだよね。
スペインのフェルナンデスの他、オーサーのもとにはカザフスタン、グルジア、そして日本からも選手がやって来た。アメリカ、オーストラリアからも新天地を求めてトロントに来る選手がいた。
ぼくにとってもこれまで学ぶことは多かった。どうやって教えたら良いのか、どうやったらコミュニケ―ションが上手く取れるのか。「マイウェイ(俺のやり方)じゃなかったらハイウェイ(大道に放り出す)」っていうのはぼくの方針じゃない。むしろ「アワーウェイ(二人で創り出す)」っていう方が上手く行くと思ってる。
(ブライアンは)ぼくらが助けてほしい、って思っている時に本当に助けてくれるんです。ぼくがここに初めて来た時なんかでも、何をどうしたいいのか分からなくて、電話も欲しいのにとか、インターネットもつなげたいのにとか、本当に助けてもらいました。全く何も分からなくて途方に暮れてたから。
大会では時として、ブライアンは複数の国のチーム・ジャケットを着用しているのが見受けられる。
そんな彼がメープルリーフのついたユニフォームを着るチャンスを得たのはほんの最近だ。カナダ出身のナム・ニューエンがナショナル・チーム入りを果たし、オーサーはコーチ着にチーム・カナダのユニフォームを加えることとなった。
(ブライアンの)コーチング・スタイルは本当に良いんです。リラックスしてるし、ぼくが何をしても喜んでくれるし。ミスをしてもすぐに助けてくれるし、ぼくとしては」そういうのをコーチに求めてるので。
ナムみたいに才能のあるカナダ選手を教えられるのはすごくワクワクする。だって、どの国の(チームの)一員である時もぼくはすごく誇りに感じるけど、やっぱりカナダのジャケットを着る時は、いつも特別な意味で誇りに思える。なんだか本当にピッタリくる、っていう感じがするんだよね。
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補足:
①最初の方でブライアンがまだジャンプを覚えたての教え子とごく初歩的なスキルを練習するのが好き、と言ってるところで
"in the trenches"
という表現が出てきますが、これは「泥臭い」仕事をするといった様なニュアンスがあります。戦争で「溝」を掘ってそこで待機して敵を迎え撃つ、という時によく使う言葉ですが、まあそういう背景もあってあまり華やかではないけれど、必要なステップということだと思います。
③ユナ・キム選手が出て来る部分で、ブライアンがメディアに対して注意したくだり:
これはブライアン自身がオリンピックで金メダルを取り逃したことに由来していて、ユナが金メダルを獲ったらそれでブライアンもやっと呪縛から逃れて、新たな一歩を踏み出せる、という感じにメディアが無理やりかこつけようとしてるのを阻止した、ということです。
③またオーサーが自分の教え方に関する哲学を説明するところで
"My way or the highway"
ではないと言ってますね。これもよくつかわれる表現で、「マイウェイ(俺のやり方)が気に入らないんだったら、ハイウェイ(大道路)でとっとと帰ってもらっていいよ」という、非常に独裁者的な様子を指します。そこでオーサーは次に「アワー・ウェイ(二人で作る方法)」の方が合ってる、と言ってる訳です。
以上。