このブログのタイトルにもありますが、年齢と共に記憶力が低下しているのがよくわかります。それもここ一年くらいでやたら顕著になった気がして仕方ありません。
もしかして何か(アルツハイマーとか)の兆候だろうか?
…と、心配になるくらい。
私は自分がもともと記憶力がけっこう、良い方だと思ってました。
小さい頃(この前のブログ記事にも書きましたが)住んでいたフランスでは、学校の科目に「recitation (暗唱)」というのがあったのですが、訓練のたまものか、長い詩でも戯曲のモノローグでも、暗記するのが難しいと思ったことはありません。(←実はこれにまつわる、私の人生の中でもとびきり腹立たしいエピソードがあるので、また今度、書きます)。
ところが最近は歌いたいと思った曲の歌詞を憶えるのにものすごく、苦労します。いや、苦労するだけじゃなくて、とにかく憶えられないまま、歌詞カードを持って歌うという始末。これは屈辱的です。
カラオケが発達して、スクリーンに歌詞が映し出されるのを追うだけでよくなったからかも、と自分で自分をなぐさめていたのですが、どうやらそれだけではなさそう。
番号案内で聞いた電話番号を、書き留めないとかける前に忘れてしまう。
部屋の壁の寸法を測って、3辺測ったあたりですでに一辺目の寸法を忘れてしまう。
人の名前がおぼえられない…あ、でもこれは前からかも知れません。なんせ(すでに7年前くらいに)自分の担当していた演習の学生を目の前にして、「あなたところで演習の先生、誰だっけ?」と平然と聞いたことがあるから。
ああ、それにしてもおそろしい。
マジで怖くなって、こないだ日本に帰った時に女学校時代の友人にその話をしたら、「あーそんなん、皆おなじちゃうかなあ」と言われました。そしてそこにいた人たちから:
「すぐに忘れるから、やらないといけないことを紙に書くんだけど、その紙をどこにやったか忘れてまうねん」
「同時に二つ以上のことをやってたら、必ずひとつはおざなりになって、途中から訳がわからなくならへん?」
などと聞かされて、うんうん、とうなずきました。
極めつけは:
「電車に乗ろうと思って改札口の機械に切符入れようとしたら、上手く行かないので、よく見たら家の鍵を必死で突っ込んでたわ」
といった話。これはもはや「物事を忘れる」という類の話ではなくて、とんでもない「勘違い」。
それにしてもこの頃の駅の改札口では、切符といったらカード状のものですよね。それと家の鍵ではあまりにも形状がちがうと思うのですが。
で、またまたこの話を別の友達にしたら
「え、そんなん私、しょっちゅうやってる。家に帰ってカギ開けようとしたら、手にICOCAカード持ってた」
と言うではありませんか。
そうかあ、私ら、もうそんなボケるような年齢になったのかあ。
でもこれで安心してて良いのでしょうか。同年代の友達もボケてきたからと言って、自分が確かにボケの一途をたどっているという、由々しき事実は変わらない。
やっぱり毎日、新聞に載ってるクロスワードパズルとかSUDOKUとかやった方がいいんだろうか、と気を引き締めた次第です。