「月刊シナリオ」2025年9月号掲載の「国宝」を読んで
すでに10月号が巷には出ている頃でしょうが…発売日を逃したので、8月下旬の増刷分を入手し、読んでみました。
月刊誌に完全版であれ完成版であれ、シナリオ自体が載るものなのかと不思議でした。それだけ無知というか、この雑誌そのものを知りませんでした。よくよく見てみれば、文芸誌と同じく、これからシナリオライターを目指す人などの力にもなるのかなと思いました。しかして、シナリオの形態が思っていたものと違うものでした。
やはり映画は、脚本家、演者、カメラマンと揃え、それに付随する細かなスタッフをかき集め創作する監督(演出家)の作品なんだなと思いました。
まず、驚いたのは、台詞の少なさ、ト書きの少なさ。思っていたものとは違って(なんなら小説のようにもっと事細かに記されているのかと思っていた)、もちろん監督と脚本家との擦り合わせは念入りであろうが、だいぶ役者や監督に絵作りは任されているものなんだなと知った。状況説明が簡易でこんな少ない情報でシーンが出来るものなのかと驚いてしまったわけだ。ここでもうすでに作品が監督のものであると理解し、映画、映像作品は監督と役者のやり取りで肉付けされ、多くのスタッフの手があって作品となることに納得がいった。
読んでみると、だいたいのシーンは浮かんだけれど、中には思い出せないところもあって、そんなことあったっけ? はもちろん、そういう意味があったのかとハッとするものもあった。
例えば、生みの親はマツではないのだろうか?という疑問、俊介と喜久雄の初対面の時、幸子がその喧嘩仕草を「邪魔くさいいらんわそんな段取り」と一掃する心の大きさ、藤駒と初見時、長崎の気候について話すところで父親権五郎の亡くなったあの日に思い馳せる一コマ、俊介が春江と劇場を出ていくシーンで俊介が春江の手を引いていくと書かれていたこと、など。それからアドリブだったバルコニーシーンでのいくつか提案されてた彰子の台詞、それがあったことは監督のインタビューで知った通りだが、本当に監督の機転と流れがあったんだなぁと思った。
尺的にも原作通りには描けないので、喜久雄、俊介、半二郎、万菊にフィーチャーしたと脚本家の奥寺佐渡子は言っていて、なるほど確かにそうだったとわかるのだが、でも、万菊が私にはつかめなかった。シナリオを読んでみたら何かわかるかなと思ったけど、わからなかった。もちろん、田中泯の演技は素晴らしいものだったけど、喜久雄、俊介、半二郎と並ぶだけの万菊の心内が見えてこなかった。
それから、ラスト、光と雪が舞う、喜久雄の求めてやまなかったものの正体がやっぱりはっきりしなかった。私は14歳のあの新年の余興を演った日に起こった父親の不幸、衝撃的で辛く悲しく悔しかったからこそ美しく見えたのではないか、それがずっと心を覆っていたのではないかと思ったのだけど、シナリオでは判明されなかった。光は万菊の芸に身を費やした人生の先だったかもしれないし、「国宝」を得てやっと手に出来そうだと思った恋焦がれた世界なのかもしれないし。
いくつか欠番とされてるところもあって、それは監督とのやり取りの間で、または撮影の過程で削ったのだなぁと想像。それ込みのものも見てみたいと思った。踊りにしてもフルで撮影したものもあり、編集で落ちていったカットもあるとのことなので、そんなものも見てみたい。完成作は現作品に違いないので、これで評価は受けるべきなのだけど、役者ファンとしてはどうしても削られたシーンの持つ意味も知りたい、そんな気持ちになってしまう。
そんなこんなで原作読んでみようか。
ところでこれまで(およそ5年)吉沢亮出演作を映画、ドラマ、演劇(ミュージカル含)と様々見てきて(ゲスト出演、WEB作品等あと20作品くらい未視聴がある(^^;;)思ったのは、吉沢亮って主演より脇、せいぜい二番手の方が光る気がしてならない。例えばこの『国宝』にしたって、横浜流星の方が主役級の演技をしていた。目に止まるのは吉沢亮でも、目を引くのは横浜流星。この違い、わかる人いるかなぁ。実際インタビューで横浜流星がいたからここまで出来たというようなことを言っている。それだけの力があるということだし、全体を引っ張れる力があるということ。じゃあ吉沢亮にはそれがないのかというとそうではなく、もちろん、お芝居はうまい、うまいからこそ主演含む周りが協調する脇ができる。ということ。主演を張る役者さんでモブに徹することのできる役者さんはそうそういない。何かしら色がついてしまうものだし、幅広く役柄をこなせる人も少ない。こんなに国宝級イケメンと言われるほどの容姿なのに、作品の中の誰かになると、それが消える。吉沢亮ではなく、作品の中の何某かになっているのだ。それがあまりに自然に。類稀なる俳優だと思う。
そんなわけで…というわけでもないのだが、吉沢亮が主演、または主演クラスで力を発揮する作品はミニシアター系かと思う。役者が生きる話がきちんと出来ている、監督の色(世界)が明確にある作品。
30代で『国宝』を得て、次は半ば〜アラフォーでの変化または仕事ぶりが楽しみ。主演を張るこれまでのどの俳優にも系統が当てはまらない、想像がつかない、だけに。
