『国宝』(2025)
原作は吉田修一の小説。
監督 李相日(『フラガール』『悪人』『怒り』他)
脚本 奥寺佐渡子(『しゃべれどもしゃべれども』『八日目の蝉』他)
歌舞伎指導 中村鴈治郎
撮影 ソフィアン・エル・ファニ
音楽 原摩利彦(『流浪の月』、舞台『フェイクスピア』他)
主題歌 「Luminance」作詞:坂本美雨/作曲:原摩利彦/歌:井口理(King Gnu)
吉沢亮、横浜流星、渡辺謙、田中泯、高畑充希、寺島しのぶ、森七菜、三浦貴大、見上愛、黒川想矢、越山敬達、永瀬正敏、宮澤エマ、嶋田久作、中村鴈治郎、他。
任侠一門に生まれながらも舞踊に傾倒し歌舞伎に心酔する立花喜久雄(吉沢亮/少年期:黒川想矢)。1964年、その女形姿を立花組の新年の宴席で披露し(「関の扉」)、父親立花組組長立花権五郎(永瀬正敏)に招かれていた歌舞伎役者の花井半二郎(渡辺謙)の心をつかむ。その日ちょうど組同士の抗争が勃発し、権五郎は喜久雄の目の前で命を落としてしまう。同じ一門で仲良しの早川徳次(下川恭平)と復讐に燃える喜久雄だったが、それは失敗する。その後、喜久雄は権五郎と母親立花マツ(宮澤エマ)の望みもあり、花井半二郎に引き取られ、部屋子となる。
憧れの歌舞伎の世界に入った喜久雄は、半二郎の息子大垣俊介(横浜流星/少年期:越山敬達)と勉学を共にし、部屋子と御曹司という格差はあれど稽古に励み切磋琢磨し名前も花井東一郎(俊介は花井半弥)ともらい、“東半コンビ”と呼ばれ「二人藤娘」〜「二人道成寺」を踊るまでになる。
厳しい稽古を続け実力も上がる一方で、喜久雄は梨園ながらの派手な世界も知る。幼馴染みであり共に彫り物を入れた仲の福田春江(高畑充希)という存在がありながらも、愛人でも良いからと言う芸妓藤駒(見上愛)とも関係を持つ。
順調に見えたが、ある時、半二郎が事故に遭い、「曽根崎心中」の代役を喜久雄が担うことになる。その「曽根崎心中」のお初を見事に演じる喜久雄に、俊介は敗北を自覚し、家を出ていく。春江と共に…。
俊介が出て行って数年の後、糖尿病で目が見えなくなりつつあった半二郎から三代目花井半二郎を継ぐのは喜久雄だと決まる。喜久雄は藤駒との間に娘綾乃をもうけていたが、正式に父親を名乗ることはなかった。そして襲名披露のその日、花井半二郎改め四代目花井白虎は舞台で倒れて帰らぬ人となってしまう。しかし今際の際に名を呼んだのは俊介の名前「俊ぼん」だった。芸ではなく、血が勝った瞬間に喜久雄は打ち砕かれる。
背中に背負ったみみずくの刺青、長崎のヤクザ出身であることから、血の前に無力であることを思い知らされる喜久雄。防壁だった四代目花井白虎が亡くなって、喜久雄が舞台に立つことはなくなってしまった。端役でもいいから立ちたい喜久雄に、恥晒しの汚名だけが響く。
歌舞伎に魅せられ芸を磨き舞台に立ちたい一心の喜久雄は歌舞伎役者の大御所吾妻千五郎(中村鴈治郎)の娘吾妻彰子(森七菜)に取り入る。しかしその行動が千五郎の怒りに触れ、歌舞伎界から排除されると時を同じくして各地を旅芸人がごとく渡り歩いていた俊介が春江と息子一豊を連れて舞い戻る。
そうして俊介と喜久雄の生活が入れ替わる。喜久雄は彰子と共にドサ周りの身となる。それでも喜久雄は舞台からの景色、憧れていたどこか記憶の隅にあるキラキラ光る景色を追い求める。そんな時、国宝となった女形小野川万菊(田中泯)や俊介に呼び戻される。昔一緒に踊った「二人道成寺」、それを目玉に興行を打つ。しかし、幾度目かの舞台で俊介が父親と同じ糖尿病に侵されていることがわかる。片足を失っても舞台に立ちたい俊介はいわくありの「曽根崎心中」を喜久雄と踏み、渾身の演技を見せる。
歌舞伎役者として、花井の名を継承する者として、再び舞台に立つことができた喜久雄。時は流れ俊介も世を去り、人間国宝の称号を与えられる。そしてその記念すべき写真を撮るのは娘綾乃(瀧内公美)だった。その娘さえも怨みながらも珠玉と認める喜久雄が舞うのは万菊の十八番「鷺娘」。半世紀に渡り追い求めずにはいられなかった歌舞伎に魅せられ翻弄され、舞いながら喜久雄には何が見えたのか…。
ずっと追い求めていたキラキラと光が舞う孤高の景色は、おそらく雪の日に目の前で散った父、権五郎の美しさだったのかもしれない、そうだといいなと思ったけど、それは違って、たぶん、見果てぬ夢のことだろう。どんなに追いかけても掴み取れない歌舞伎の世界、「(人間)国宝」の名をもらってもなお近づけない光なのではないか。
呼吸や衣擦れの音、ちょっとした息遣いも聞こえて、それが生命=人生を感じさせてるのかもしれない。涙が流れる音まで聞こえそう。ってくらい、音(音楽)と映像のピタッと合う演出が素晴らしいなと思った。作品の魅力を音楽と融合させた映像美に持ってきてる印象だ。シーンの重ね技とか切り替えとかも美しい。ワンカットであれ、ワンシーンの流れであれ、役者の演技(表情)には目が止まるし、普通の役者が歌舞伎役者を演じてるのがみごとで、作品の内容…話ではなく、とにかく映像美に感心した。
というのも、話はダイジェスト感がいなめなかった。しかも感情面でフィーチャーしてるのが喜久雄ではなく俊介に思えてならない。喜久雄より俊介の葛藤、辛さ、生き様の方がよく伝わってきた。俊介の話だっけかと思ったくらいだ。喜久雄が悪魔と取り引きをしたという台詞も深みがなかった。なぜだかわからない。二人の愛憎は均等だし、どちらも詳細には描かれてなく、観てる者の脳内補完にかかっている。その補完がちゃんと出来るように作られてる。必要なものだけをつなぎあわせ、無駄なもの、なくてもわかるだろうという信頼をかけてそぎ落としている。それはみごとな構成。…そもそも喜久雄の50年を3時間足らずにまとめたのだからダイジェスト感は当然か。
主役が吉沢亮であらねばならない理由もわかった気がした。
この美は文章では難しい。だから映像作品の意味がある。きっと小説とは別物(原作未読)。
普段は普通の人間、「(人間)国宝」は演じている時に「国宝」となるという言葉を誰ぞの何かで見かけた。それがラストの鷺娘でわかった。ここの吉沢亮、顔を上へ向け、クッと首をわずかに傾げる、このシーンがこの映画の中で一番美しく情感もあった。スイッチが入ってる最高潮の瞬間、一瞬をとらえたかのような画だった。なるほどこれが「国宝」かと。前述した追い求める光は、もしかしたら、「国宝」として立つ舞台上で得られているのかもしれない。そしてその光は上がる度に違って感じ、次は、次はと求めてしまうものなのかもしれない。恍惚感か。
キャストの演技は全員素晴らしい。脇に至るまで。俊介の母親大垣幸子役である寺島しのぶの内心が手に取るようにわかる演技、高畑充希の心が揺れ動く様がじわりと伝わる空気、渡辺謙はいわずもがな。田中泯の舞踊を合わせた国宝然としたたたずまい、本当に素晴らしい。そして何と言っても横浜流星の助演男優賞級の演技よ…。みごとに主演を光らせた。吉沢亮はそれ以上を出さないとだから大変だったろうな。ま、キャラが違うしベストキャストなのでそんなに苦しまなかったかな、演技では。歌舞伎では努力のあとが見えた。横浜流星との違いが如実だったし(俊介と喜久雄の違いなのでディスりではありません)、三代目を任せたのも致し方無しと思えた。そうした説得力を見せられたのはすごい。
その他、二人の舞台に入れ込む興行会社三友の社長梅木に嶋田久作、その社員竹野に三浦貴大。
そういえば、春江がさしてた赤いマドラスチェックの傘、知り得る古い時代を感じて、あれはとても良い小道具と印象に残った。
★★★★
実は2回観た。たまたまそうなったのだけど、1回目観て、高評価が理解できず、何を見落としたんだろうと思ったんでちょうど良かった。結局、解説の類は作品を見るにあたって邪魔でしかないと常々思っていたのに、感想や撮影裏話を見過ぎたのかもと。とはいえ、映像美、とその映像力を数段引き上げる音楽、役者の素晴らしい演技力、そして程よくまとめたお話、と感想そのものは何も変わらなかった。
2回目の収穫は徳次が社会で生きていることがわかったことで、ホッとした。
あと、1回目のエンディングロールで水間ロンの名を見つけた時、どこに?!と思ったのが、見つけられて良かった。
その他、細かい小道具にも目がいく余裕があったことで発見もあった。

