水のないプール(まあまあネタバレ) | これ観た

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基本アマプラ、ネトフリから観た映画やドラマの感想。9割邦画。作品より役者寄り。なるべくネタバレ避。演者名は認識できる人のみ、制作側名は気になる時のみ記載。★は5段階評価。たまに書籍音楽役者舞台についても。

『水のないプール』(1982)

1980年宮城県仙台市で実際に起きた性犯罪から着想を得た作品とのこと。

 

監督 若松孝二

脚本 内田栄一

 

製作 若松プロダクション

配給 東映セントラルフィルム

 

内田裕也、中村れい子、浅岡朱美、MIE、藤田弓子、沢田研二、安岡力也、殿山泰司、常田富士男、原田芳雄、赤塚不二夫、タモリ、他。

 

地下鉄の切符切り(知らない人もいるかもしれないが、昔はパンチで切り込みを入れるのが乗車券の確認だった)係の男は妻と2人の子供の父親だ。妻は小さい子供の面倒にくたびれている様子で、古女房という言葉がぴったりな様相。男はカタカタとパンチを鳴らし改札を抜ける乗客をチェックする同じことの繰り返しの日々に鬱憤がたまっている様子。

男はある夜、強姦されそうになった女ジュンを助け、知り合いになる。邪な気持ちも最初はあったが、事の流れ上、ジュンには優しく親切なおじさんで通す。そんなジュンと行った喫茶店のウエイトレスのネリカに心惹かれた男は、子供の夏休みの課題の昆虫標本の作り方からヒントを得て、クロロホルムで女を気絶させ強姦に及ぶという犯行を思いつく。まずはジュンで確実に意識がなくなるかを試し、ネリカを襲う。

繰り返すほどに男は変わっていく。ネリカが目覚めたときのために朝食を用意したり洗濯を済ませたり、そこに独りよがりな関係性を構築していく喜びを得る。ネリカも最初は淫夢かと思っていたが、誰かに犯されていることを自覚し始め、しかし、そんなに嫌ではなく、むしろ期待をするようになっていく。男はネリカだけでは事足らず、街で見かけた好みの女を襲い始め、女の陰部に執着するあまりポラロイド写真を撮るようになる。仕事も辞め、妻には夜回りだと言い放ち、全精力を犯行に注ぐようになる。やがて女体撮影に進み、芸術性をも追求し、自分自身もまた前衛的風貌になっていく。

最終的には酔いしれた男の不始末で犯行が明るみになる。

 

無音状態が多く、その場に居合わせているような緊張感がある。思わず息を殺して展開にヒヤヒヤしてしまう。

 

男は利き手を怪我するのだが、それを噴水の水で冷やしてるところに、ジュンと同居しているミクが現れ、軽く手当をするシーンがある。その後、水のないプールに2人で行き、ミクはそこで全裸になるのだが、男はそれじゃないというような顔をしてその場を立ち去る。これが男の性癖の自覚じゃないかな。カラカラに乾いたものでは興奮しない。少なくとも自分から体を開く女にはそそられないということだ。現に、これを機に男はクロロホルムによる強姦を繰り返す。

また、男は陰部に執着を見せるのだが、これは普通といったら普通として、そのきっかけというか作品中でトリガーになってるのが、自分の娘(幼児)の裸体。これは今だと倫理的に厳しく批判されそうだが、身近なあまり説得力がある。

最後、ネリカは告訴を取り下げるのだが、この心理描写も無理がなかったし、男脳と女脳の差異なんて性衝動の前ではほとんどないのかなと思わせる。もちろん状況による、個人による。しかし、この作品のネリカというキャラクター、ミクというキャラクターではさもありなんだった。そしてジュンは無事だったのも、キャラクター性がありそうだ。ほぼ動物的勘で、そそる対象そそらない対象というのが男女ともにあるのだと思う。

若松孝二監督がもともとピンク映画の人のようで、なるほど、今や型としては古いけど、女性の裸をエロティックかつ美しく撮る。

 

何が描きたかったんだろうと考えたけど、ざっくり、エロスかな、と。そして人間は基本探究心旺盛であるということ。ストッパーとなるのは倫理、道徳教育かもしれない。

 

★★★

 

 

内田裕也が内田裕也っぽかった。タモリが若い。藤田弓子がハマり役。

男が面接に行く警備会社の考え方が先日の三島由紀夫の映画に通じていて、監督はこの世界が好きなのかなと思った。また、この会社の理念が、最後に妻に放った言い訳に使われているところ好き。