ひそひそ星 | これ観た

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基本アマプラ、ネトフリから観た映画やドラマの感想。9割邦画。作品より役者寄り。なるべくネタバレ避。演者名は認識できる人のみ、制作側名は気になる時のみ記載。★は5段階評価。たまに書籍音楽役者舞台についても。

『ひそひそ星』(2016)

監督脚本 園子温

 

神楽坂恵、遠藤賢司、池田優斗、森康子、他。

 

地球は幾度もの災害に見舞われ、人類は何度も失敗を繰り返し、世界、及び宇宙を制するものは、今や8割の人工知能を持ったロボットで、人間はと言えば、2割にすぎず、この宇宙において人間は絶滅危惧種になった。そんな世界観でのお話。

 

宇宙に数多ある星々の人間に、昭和レトロな内装の宇宙船で宅配便を届ける作業をしているアンドロイド鈴木洋子。

すでにテレポーテーションが出来る時代に、わざわざ何年もかかる宇宙宅配便を利用する人間。しかもその荷物の中身は写真のネガだったり、ペンだったり、紙コップだったり、子供の帽子だったり洋服だったり、ガラクタと言ってもいいようなものばかり。そしていくつかの星では時間がかかり過ぎて受取人がすでに亡くなっていたり、届け先が廃墟になってたり、転居していたり、待ちくたびれてその場で年老いた人もいた。確実に受け取れるわけではないのに、なぜテレポーテーションではなく宅配便なのか…? 人間は距離と時間に格別の思いがあるのだろうと想像するも、洋子には実感としてわからない。

この作品で最後に届ける星は過去に地球だったであろう人間だけが住む星。人間は30dB以上の音で死んでしまうから、気をつけなければならない。そのために、ずっとひそひそ声だったのかと、ここでわかった。この映画、最初から最後まで、洋子を含め、登場する者たち全てがひそひそ声で喋っている。人間が死んでしまうからだった。

洋子が宅配便を届けると、その受取人は泣き崩れてしまう。そこで何か感じたかもしれない。今まで届けた相手は笑みこそ見せはしても、泣きはしなかった。洋子は宇宙船に戻り、届けた星々で貰ったり買ったり拾ったりした品物で、人間の真似事をしてみる。目に涙をためてみたり、微笑んでみたりする…。

 

ずっとモノクロームで進むのだけど、一番最初に宅配便を届けるために降り立った星で、一度だけカラーになるシーンがある。大きく崩れた窓から高く生い茂る草地を経て波飛沫のたつ海が、まるで額に入った絵のように映し出される。でも次にまた映し出された時はもうモノクロでしか出てこない。そのモノクロームが、知らない世界観を出していて良かった。カラーであれば、どんなに荒れていても知ってる地球の知ってる日本だ。

後々わかったのだけど、カラーになってたのはセイタカアワダチソウの花が茂る草地で、黄色で美しいのだけど、それが咲くということは荒地の証拠でもあるらしい。それを象徴的に映し出したかったのだろう。知らなくても比較で結果的に同等のものが感じ取れたことになる。

 

前知識無しで見たのだけれど、荒廃した街のリアリティと見覚えのある風景に、「浪江町」との文字を見つけて、やっぱり福島か、と気づいた。そういえばとオープニングに戻れば、協力に福島浪江町の名があった。そうか、4〜5年もすれば撮影にも使えるようにはなるのか、と思った。そしてどういう意図があるのか知らないし、わかりたくないとも思ってしまった。

震災による津波、原発事故の被害は大変なものだったし、被災地に暮らす人々の気持ちも想像できないほど辛いものだと思う。だから、素直にSFとしての感想にしたいが…。最後に届ける宛先の名が「SORI」。政治的意味合いも持ちたくないのだけど、うがった見方をしてしまう。または地球や人類への謝罪の意味。ガラクタに思える宅配物も、亡くなった者の遺品や当たり前にあった日常の証だとしたら…。この星に降り立ったのが金曜日なのもね…。警告と鎮魂なのかしら。

 

★(★)

 

 

一度そう思うとそうとしか見られなくなってしまう。浪江町に気づくまではSFとして、おごった人間の(しかし)儚さを描いたのだろうと思って見てたけど。また、終始ひそひそ声と最小限の音楽と効果音で映像を見ながらあれこれ想像できる時間がたっぷりある、それを狙ってるとも思えた。答えを出さず、解釈を受け手に任せる表現物は好きなので、感心もした。

 

でも、2時間近くもかけて映像化する内容ではないと思った。荒廃した街並みを映したのは、胸を締め付けられるほどのものだったが、ドキュメンタリーじゃないんだから。小説なら私小説だし、媒体なら商業誌ではなく同人誌だ。それに、これなら漫画の方が上手く表現出来たんじゃないかと思った。2時間の映像より、単行本1冊分の漫画の方が饒舌だ。