今日ご紹介するのは
ヨシタケシンスケ・又吉直樹
『その本は』
エッセイ講座の課題本でした。
エッセイは、書くには書いたんですが、
800字という制限と、
あと、趣旨も異なるということで、
改めて本紹介させてもらおうと思います。
死期の迫った本好きの王様が、
まだまだおもしろい本の話を聞きたいということで、
2人の男にお金を渡し、世界中からおもしろい本の話を集めて来させるという設定。
1年後、帰ってきた2人が毎晩交代で王様にお話を聞かせます。
又吉直樹のターン
トップバッターは又吉さん。
「その本は……」で始まり、なんか本の説明をしているのだけれど、その説明が雲を摑むようでさっぱりわからない。1冊につき数行の説明なんだが、何だこりゃ?
最初は、既存の本について、独特な切り口で説明しているのかな、と思ったけど、うーん、どうなの? なんか違うっぽい。「本をドリブルしながら、学校に通う」とか、そんな物語が今までに存在したとは思えん。
え、じゃ、もしかしてなぞなぞ?
どこかに答えが書かれてるとか?
って、本気で答えを探したんですけどね。
なかったね。
どうやら、これは、この世に存在しない本のお話で、この記述の向こうには、又吉さんが創造するへんてこりんで愉快な物語が想定されているらしい。
そう気づくまでにかなりの時間がかかってしまった。
あああ。自分の頭の硬さに愕然とします。
答え探すとか!
アリエナイ💧
ところで。
実は私、一時期お笑いにハマっていて、深夜番組が生きるヨスガだったことがあります。
雨上がり決死隊やぐっさんがやってた「エブナイ」から、「はねるのトびら」あたり。「はねるのトびら」に又吉さんの「ピース」も出てたんだけど、正直、苦手だった。
又吉さんがいろんな着ぐるみ着て出てくるのが特につらい。
なんだろう。
あの下品な感じと、それをやってる又吉さんの繊細なイメージのギャップが、見ていて苦しかったんだと思う。笑えないのよ。なんか、痛々しくて思わず目を覆いたくなっちゃう。
下品なのは元々それほど得意じゃないけど、でも下品だからダメってわけじゃなくて、ロバートの秋山とか。あれはもう、下品の極みなんだけど、もうカラリと笑えちゃう。大好き。「どうかしちゃってる」という点では群を抜いてたよね。しっかり生き残っているの、納得しちゃう。
まあ、秋山はいいとして、とにかく、ピースに関してはそんな印象だったから、又吉さんが小説を書いたと知って、妙に安心した気がしたんだよね。収まるところにおさまった、みたいな。
そのころちょうど仕事で、中学生向けの通信添削本に関わっていて、そこで又吉さんのインタビューが掲載されていたんだけど、そこで又吉さんがものすごい読書家で、本に救われてきた人なんだって知って、「ナルホド、ナルホド」と腑に落ちたわけです。
で、脱線しちゃったけど、今回の第1夜を読んで、最初は、なんでいきなりこんな訳のわからないものを冒頭に持ってきた?って思ったんだけど、これ。又吉さんの笑いの原点なんだな、って感じました。
荒唐無稽な世界。なんでもありで、常識をひっくり返して、物理法則なんて完全無視の空間で広がる果てしない空想力。でも、ファンタジーではなくて、現実の日常生活に紐づいている感じ。そんなわけがわからない現象、実はあるよね? それを、そのまま楽しもうよ、みたいな姿勢。
で、これをお笑いで実現しようとして、ああなったんだろうな、って思ったら、なんか繋がった気がしたよね。(私の勝手な解釈ですケド)
そう考えると、この本の冒頭はこのくらいぶっ飛んでる方がいいんだな、と納得したわけです。
ヨシタケシンスケのターン
実はこんなに有名な絵本作家なのに、読んだことがありません。
しかも、私。自称絵本好きで、絵本紹介もしているくせに。
わかってるんです。
怖いんです。
きっとおもしろいから。
絶対うらやましくなっちゃうから。
だから、今まで避けてきたんだと思います。
でも、今回は課題本だから避けることができなくて読みました。
予想通り。
すっと体内に入ってくるストーリー。
具体的でありながら、核心の部分を読者に委ねる感じ。
それがごく自然で、やっぱりすごいと思いました。
生きていくうえで発生する抽象的ななんやかんやを、具体的なものになぞらえていくメタファーが絶妙すぎる。
どのお話も印象深かったけど、
第10話。
今ここで生きている自分に違和感を持っていた「ぼく」が、本来の自分を取り戻すお話。そこで「本」がきたかぁ、やられたわ、という感じ。「生きづらい人間」と「本」という、あり得ないものが結び付けられているのに、なんか納得してしまう。すごい。
しかも、設定はどう考えてもファンタジーなんだけど、全然ファンタジーに見えないところもすごい。
なんか、マジでありそう。
ってか、それあったらいいな、って思える。
それから、第8夜。「本」を否定しながら、「本」を書きたい衝動にかられてしまう「私」の話も好き。ここで、本を書いたら、自分が一生をかけてやってきたことを否定することになる。でも、どうしても書きたい、というジレンマ。で、書こうか書くまいかという切羽詰まった状況で、「私は今、迷っている。」という淡々とした、シメの言葉が効いている。自分の人生の価値を決めるような選択の前で、「苦しむ」でもなく「悩む」でもなく、「迷っている」というちょっと軽めの言葉のチョイスがいいんだよね。
「迷う」なんて、ゆるい言葉を使ってる時点で、この人、もう「書きたい」という欲望に負けそうだよ? この人が本を書いちゃう方に500円!
本を作る人たち
本は、作家さんのものだけど、でも、作家さんだけじゃ生まれない。
どんな大きさにして、どんな紙を使って、表紙はどんなコンセプトで……。そういうのが全部、本のイメージを作り上げているわけです。
この本の装丁については、宝探し的なおもしろさがあって、私はすごく楽しかった。
それについてはエッセイの方で書いたので、気になる方はぜひお読みください。
https://ameblo.jp/mko-kotonoha/entry-12804646579.html
気づく人、少ないんじゃないかなぁ。
いや、けっこういるのか?
でも私、見つけたとき、心の中でガッツポーズしちゃいましたよ。秘密のメッセージを受け取った気分でしたね
創造という魔力
最終章の第13夜の最後で、又吉さんは「小説家はまだ生まれていない本をなんとか生みだそうとしています。」とシメています。
この1文のためにこの本が作られたのだと思います。
で、この1文に込められた思いは、エピローグでもっとおしゃれに描写されてます。直接明言する言葉は、まっすぐ心に刺さりますが、間接的な表現は、ふわりとこちらを包み込むようにイメージを残していくんですよね。
その、エピローグの最後のシーン。
世界中の物語を集めてくるという命令に対し、
どこにも行かずに、勝手にこの世にない物語を生み出していた2人。
いくつものニセの物語を勝手にでっちあげて、
いかにも世界中から探してきましたって風情で
王様に
「その本は…」
って、話して聞かせていたわけです。
それがバレて、王様をだましたということで有罪になったわけですが、
裁判官に「最後に何か言いたいことはあるか?」と聞かれたこの2人、
口をそろえて言うんです。
「その本は…」
この飽くなき創作への情熱。
というか、もはや病気。
裁判所で裁かれ、有罪になったとしても、
それでも物語を生み出すことをやめられない。
この2人は、投獄されても、その罪の原点である「創作」をやめないのだろうと思わせる終わり方。
この余韻。いいわあ
情報が飛び交い、簡単に発信ができる現代。
その分、1つ1つの情報の濃度が薄まっている傾向にあると感じてしまう。あたりさわりのないところで、とりあえず発信しとこ、みたいな感覚。
でも、この2人は違うよね。
自分の命を賭けて書いてるよね。
この熱量。
ただ、ただ、尊いです
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