◆2月の課題◆エッセイ修業 | ことのは徒然

ことのは徒然

日々の徒然に思いついたことを書き留めてます。

本格的にブログを再開する前に、

エッセイ課題提出日が来てしまいました。

 

課題本を読んで800字のエッセイを書く。

いつもやっている書籍紹介とは違うので、

また別の楽しみ(苦しみ?)があります。

 

さて、今回のお題は

第155回芥川龍之介賞受賞作

村田沙耶香『コンビニ人間』

 

 

テーマが深いし、切り口はいっぱいあるしで、800字でまとめられるネタに絞り込むのに悪戦苦闘いたしました。欲張りだからね、あれもこれも入れたくなっちゃう。ちゃんと切り落とせてるのだろうか。一抹の不安が。

 

では、課題を。

 

*********************

 

「コンビニ」という、自分がぴったりはまることのできるカンペキな世界を見つけた古倉恵子を、私は正直羨ましいと思っている。

「コンビニ店員」(内的欲求)か「普通の人間」(社会性)か。究極の選択を前にして、彼女は「普通の人間」をあっさり捨てた。いささかの未練もなく。

 

これができたらどれだけ生きやすいだろう。

 

しかし、私はといえば、「普通」という言葉に窮屈を感じながらも、気づくと「普通」の枠内に留まろうとしてしまう。

情けないけど、そりゃね。「普通じゃない」と烙印を押されて社会から削除されるのは怖いし。

 

でも、「普通」ってなに?

 

そこで思い出す大学時代の体験があります。

友人とショッピングの約束をした日。雨天ではあったけれど私は行く気満々で準備していました。するとその友人から電話があって「雨だし、普通行かないよね」と。ああ、しまった、そっちが普通だったか、と、ウキウキしていた自分を恥じながら、「そうだよねぇ、雨だもんねぇ」と取り繕ったわけです。

で、結構すぐに別の友人との約束で同じ状況になりまして。私は前回学習したことを思い出し、「残念だけど、雨が降っちゃったし、今日はナシだね」と電話したんです。そうしたら、

「え、行くでしょ、普通。」

との返事。

 

どっちだよ!!!

 

そう、実体なんてないんですよ。

「普通」なんてないんです。

 

『人間失格』で太宰治も言ってます。

「世間というのは、君じゃないか」と。

 

「世間」とか「普通」という言葉は、個人が自分の正当性を誇示するために持ち出す安易でズルい武器。そう考えると、ものすごく腑に落ちました。だから、「普通」なんて使うズルいやつには負けないぞ、と。振り回されるものか、と。

 

でもねぇ、それからン十年。

わかっているのにねぇ。

やっぱり気づくと「普通」に振り回されてるんだよねぇ。

それどころか、時々、娘に向かって

「そんなこと普通やらないでしょっ!!!」

とか叱ったりしてねぇ。

私がズルいやつになってるじゃん!

 

というわけで、私の「普通」との闘いは現在も進行中です。

みなさんはいかがですか?