損か得か?思考と、親を超える許可【ブロック解除】 | *心と身体と魂を繋げてグラウディング* 〜自我を超えて本当の自分で生きる〜

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答えはいつも「自分の中」にある。

最愛の自分を見つけて最愛の人生を生きよう❤︎

 

風の時代はコミュニティが拡がっていきますが

 

人間関係の幅を広めても、嫌いな人や苦手な人が

現れることがあります

 

統合の課題として

その人が学びの機会を与えてるようなもので

 

特定の嫌いな人や苦手な人が、いつも身近にいる場合は、内観して深掘りしていくとお金のブロックが外れるケースもあります

 

 

自分が意識しなくても深層心理では

「お金」が関わってることもあるんですね

 

 

そのシェアをしますね

 

 

例として、

 

毎日通ってる会社に

嫌いな上司、苦手な上司がいるとします

 

 

また顔合わせなきゃいけない…

嫌だな~

 

、、と、憂鬱な思いで職場通いをする。。

 

これが学びとしてセッティングされていたら

そこは内観ポイントです☆

 

 


 

「嫌い」は、思考の決めたジャッジメントで

固定観念や思い込みが自分の中に隠れています

 

 

嫌いな人を見てどう感じるのか?

なぜ嫌いと思うのか?

そもそも、本当に嫌いなのか?

 

事例を挙げて深堀りしていきます

 

これが、他人軸が原因の時、

「その人はあまりいい人じゃないよ」と

人に言われたり、助言されたり

 

評判が悪い、嫌われ者のレッテルを張られているから、など

 

 

他者を通して

①悪口、批判を吹き込まれて鵜呑みにするケース【他人軸】

 

 

それを言った人が、自分が一番信頼している人や

親友、親、先生から伝えられた場合は特に、

 

それを信じてしまい、相手をよく知らないまま

その人にネガティブなイメージを刷り込んでいきます

 

 

親から刷り込まれるケースで、

私の過去の親子関係の話をすると

 

私の両親は

親戚の悪口や批判、近所や会社の人の不満や

人格否定をよくする人でした

 

親自身が、強い劣等感を持っていたのだと思います

 

自分の価値観(都合)で、他者を否定していて

私はいつも、親の価値観に迎合し

親の言う事を鵜呑みにしていました

 

特に父親の言うことは絶対間違いない、と

父をリスペクトしていた時もあり

 

母がいつも「父の言うことは絶対だ」と

父を立てるスタンスでいたからです

(女性が男性を立てるのは当たり前の昭和時代)

 

父の内弁慶振りも凄かったのですが

基本、頑固で真面目で、外面は真面目で優しいけど

家では機嫌が悪く家族に威張る、昭和の父親像そのままでした

 

幼いころはそんな父に威厳を感じていたので

一家の大黒柱で、家族の中で一番偉い人

という印象を抱いていました

 

でも、思春期頃あたりで

両親が近所の悪口ばかりを言うようになり、

親への不信感が出始めて

 

親らしくない父や母の言動に対し、私が意見しても

「子供のくせに」、「親に向かって」と、頭ごなしにキレられるだけで話が通じず、いつも悔しい思いをしてました

 

母は発達障害、父はアスペルガー傾向が強かったみたいですが

誰にも本音が言えない環境でだったので

一人で我慢するクセができてたと思います

 

こういうことが多々あって親をよく恨みました

昔からいろんな問題を抱えていたこともあり、

不快でたまらなかったのです

 

 

完璧な親でいて欲しかった

 

私の親は精神性が高く立派な人でいて欲しかった

 

…っていう(高い)理想がありました

 

でもそれが、理想とは違う親の実態に失望し

その失望感が親への恨みや執着心になってたみたいでした

 

とにかく念が強いもので…(笑)

親への怒りが半端なかったです

 

 

これは自立できていない依存状態ですね

 

共依存あるあるです

 

 

で、親の他人への批判や人格否定に対して

 

そんなに悪い人じゃないのに

なんでそんなこと言うんだろう、と親を軽蔑しながら

 

10代後半くらいで

親子関係がまともに成立していないのは

精神年齢の違いや魂の問題なのだと感じ始めました

 

いつまでもこの不快を親のせいにしていたわけですが

 

実はそうではなくて

私の癒されない感情が残っていて

親のせいにして恨むことで

罪悪感を感じないようにしていたと思います


 

 

私は(人の悪口を言わない)いい人。

 

 

人に好かれるおりこうさんでいたかった。。と、気付きました

 

 

「嫌いな人がいる自分」が、許せなかったみたいです

 

親を嫌うのも嫌だったんですねー

 

親に感謝できる人間になりたかった。。っていうくらい

親を愛せない自分を許せなかったのだと気付きました

 

親に感謝する人は素晴らしい、という偏見を持っていたり

 

感覚より思考優位で「価値観」を重視していたので

人に対してもその人の価値観で人間性をみていたような

表面上の浅いところで人間関係を保っていた感じです

 

 

価値観は持っていても

感情が左右されるほど固定化してしまうのはよくないなと

どこかで気付いてきました

 

親への恨みや失望も

それだけ親を信じて崇拝していたのだと思います

 

 

世間的にいい人や、おりこうさんが

高評価を得るし、人間関係はうまくいくし

愛されるし、必要とされるし…

 

それが人生が上手くいく手段だと思ってました

 

だってそっちの方が得だから🌟

 

っていう、思考の判断で

 

 

何か資格を持ってたら、得

公務員になったら安定した生活で、得

有名企業に入ったら近所や親戚に自慢出来て、得

優越感を感じて、得

 

 

みたいな…

 

損か得か?を親からも刷り込まれるんですよね

 

 

これが今でもあるあるの地球上の常識だと思います

(でも宇宙的には非常識)

 

 

私は自己否定が強かったので

深層心理では、外に「悪」をつくって

守りの体勢を維持してました

でも表向きはいい人で、会社では言うことをきくおりこうさん

 

これが我慢を溜め込むクセでした

 

これがパターン化すると、他社優先になり

自己犠牲になりやすいのです

 

自分を守りながら周囲を否定しまくっていたので

なかなか傲慢で性格は歪んでいたな、と。。(笑)

我ながら思います

 

それを私の家族は投影してくれていたのだと、、

 

それと同時に

親に対してのこうあるべきという思い込み

親だったら完璧で尊敬できる人であってほしいというエゴが手放せず

 

親は子供のお手本なのだから、、とか

いろんな理想の親の条件を求めたり強要したりと、

親のせいにする言い訳探しをていたんです

 

親に対して幻想が強かったんだな、と感じます

 

完璧な人間はいないのに…

 

 

ここからの時代は

完璧ではない私達が

集合意識で通じ合い補完し合う統合、ワンネスが

必然的に進んでいきますね

 

親への尊敬も崇拝して上に見過ぎていると

自分が下になり、自己価値を下げていきます

 

親への尊敬や感謝は出来ないことは必然的であって、

親への反発で自分を責めずに

 

自分の本音を活かしていけば

親を恨まずに自分が親を超えることができたな、と思います

 

親を超える事を自分に許すかどうか?

これがお金のブロックが外れる、

自分への許可★

 

 

どんなに親が自分の価値基準で他者を嫌っていても

自分が感じた印象と違うな…と、どこかで感じたら

それが自分の感覚で、自分軸です

 

他者の定義で自分の思考や感情が

左右されてないか?

 

内観して、振り返る事が大事ですね

 

 

また今回も長くなりましたが

 

次回、②に続きます

 

 

この内容は、親を「上司」に置き換えても応用できます

 

 

これまで下にいた人が

本領発揮して

上を超えることを許可する

 

 

そういう革命はここから起きてくる流れです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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