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月曜日に有給休暇を取って、1月21日と22日の2日間を利用して1泊2日で鹿児島旅行してきましたぁ
で、さっそく、そのレポートとして鹿児島旅行の備忘録を小分けしながらアップしちゃいます
で、なんと今日は西郷隆盛の誕生日
ブログ作りに西郷隆盛を調べたら・・・その偶然に驚きました
まだ入館してなかった維新ふるさと館に行ったら休館だったんで、帰ろうとしたら、、、通り道に、こんな案内板が
これも偶然? せごどんが紹介してくれと頼んだようにも思える
1828年1月23日 鹿児島城下加治屋町で、御勘定方小頭の西郷九郎隆盛(のち吉兵衛隆盛に改名)の第1子として生まれる。
西郷氏の家格は御小姓与であり、下から2番目の下級藩士であった。(Wikipediaから引用)
幕末から明治初期のの政治家、軍人。 幼名は小吉
西郷隆盛といえば・・・
大久保利通・木戸孝充とともに「維新の三傑」と呼ばれ、約260年続いた徳川幕府を終わらせ(戊辰戦争)、明治政府の成立に貢献した新政府軍の人物
明治10年(1877年)年2月、西南戦争において鹿児島城下を出発した薩軍は、九州各地で転戦したのち、8月に解散。 その後西郷隆盛の一行は九州の山間地を越えて鹿児島を目指し、9月1日、再び城下に戻り、城山に立て籠もりました。
で、なんで戊辰戦争で大きな功績を上げ幹部であった西郷どんが、無念な死を迎えることになったのか・・・ こんな洞窟で過ごさなければならなかったのか・・
戊辰戦争後の西郷は、明治政府の要職を務め、廃藩置県や学校制度の整備、徴兵制の導入など、さまざまな改革を実行しました。
しかし、朝鮮への派兵をめぐる政争に敗れ、鹿児島に帰省することに・・・
鹿児島では「私学校」を創設して、士族(元武士)の子弟に軍事などを教える生業になったことが、運命を狂わせることに
そのころ、明治政府の政策に不満をつのらせた士族が、佐賀の乱、秋月の乱など各地で反乱を起こすようになり、西郷の生徒たちの間にも、反乱の機運が日に日に高まることに・・・
江戸幕府もなくなり武士の世は、既に終わっているが、、西郷どんは、生徒たちの訴えと不平士族の暴走を抑えきれず・・・政府軍と戦うことを決意し、「西南戦争」が勃発
西郷どんは、立て籠もりしていたこの地(城山)にて、潔く自刃し 1877年9月24日に 生涯を終えました・・・
さ・・・最高の指揮官として手腕を奮い江戸幕府を破った
い・・・命を掛け作った新政府だったが出る杭は打たれる
ご・・・GO HOMEした鹿児島で士族に教育し慕われた
う・・・有為転変は世の習い!皮肉なことに動きだす運命
た・・・耐えきれないほどの、政府の士族虐めが強くなり
か・・・嘗ては仲間の政府軍も西郷が目の上のたん瘤に
も・・・もう後戻りはできない西郷どんの男気は追込まれ
り・・・理不尽な政府へ、志高く起こした薩摩の革命戦争
今日もお付き合いいただき、愛がとうございました