幾年の難き時代を乗り越えて 和歌の言葉は我に響きぬ

                愛子内親王

 

敬宮愛子内親王は、皇族では外国語ナンバーワンの方であるが、小学校卒業時のレポートが「藤原道長の研究」、大学での卒論が「平安期の和歌」ということが知られている。

語学流暢で、日本文学研究。最高にいい感じ。

 

 

本日の歌会始。愛子さまの御歌である。愛子さまの国史、和歌の深い蓄積と造詣を思う時、和歌の本質を言いえた、その重みを感じる秀歌であると思う。

 

 

外戚政治の頂点たる道長を考える時、私は禎子内親王の姿が浮んできます。

 

道長は、自分の4人の娘を天皇の妻にし、外戚として3人の孫が天皇となります。

長女の彰子は一条天皇后となり子供に後一条天皇、後朱雀天皇をなします。

次女の妍子は、三条天皇の皇后となりますが、男児をなさず。生まれた女児が着目の禎子内親王です。

四女の威子は、後一条天皇の皇后となります。男児を生しませんでした。

六女の嬉子はのちの後朱雀天皇に入侍します。男児が生まれ、のち後冷泉天皇となります。

 

道長の近縁は天皇だらけであり、権勢は盤石にみえました。

 

なかで、道長と鋭く対立する天皇(三条天皇)がおり、その三条天皇は道長の権力の前に退位させられるのです。

しかし三条天皇の皇女である、禎子内親王は嬉子亡き後の後朱雀天皇に嫁し、二人の間には後三条天皇(1034-1073)が生まれます。そして禎子は宮中で大きな力を持つようになります。

 

禎子は母が藤原妍子であり、藤原彰子の子である後朱雀天皇に嫁したのですが、その子後三条天皇は、父母ともに皇族ということになり、170年ぶりに藤原氏を外戚としない天皇となりました。その後、統治体制から藤原氏の影響力が急速に削がれることになります。

 

 

以上、「内親王」「藤原道長」「平安期の和歌」からの連想ゲームでした。

掲題歌を解釈するものではありません。

 

 

和歌については超有名なこの歌参照ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

もとより、愛子さまの歌にある難き時代とは、天皇家を凌駕する藤原氏の権勢を意味するものではないが、そういう時代もふくめあらゆる時代を含むでありましょう。

 

難しき時代を乗り越えた和歌ということでは、全ての和歌がそうでありましょう。和歌は詠み手によって作られたのち、改ざんされていない生の声として時代を乗り越えてきた第一級資料ともいうことができます。近年では昭和天皇の和歌を参照するのがよかろうと思います。

 

 

おまけ 歌会始 一般の部の好きな歌は

 

和菓子屋をなりはひとして五十年 寒紅梅に蕊をさす朝

           香川県 岩倉由枝