ドタバタ国際結婚日記。その20.社員仲良し大作戦6 | 水谷孝のブログ「つれづれなるままに」

おはようございます!

 

今回も「ドタバタ国際結婚日記」を読んでくださりありがとうございます。

心よりお礼を申し上げます。

 

今回は、兄が社内に「東京○○ホテル野球部」を創部し、さらに兄が音頭を取って8チームからなる「草野球リーグ」を立ち上げるまでのお話しをしたいと思います。

 

兄が高校時代に野球部に所属していたことは、「社員仲良し大作戦2」の中でお話ししましたが、僕が生涯変わることなく、兄を深く敬愛した理由は、たくさんあるのですが、実はその中の一つに、兄が高校の野球部に入部して間もない時に、僕のためにとった行動があります。

 

兄の人間性を知っていただくために、最初にそのお話しをしたいと思います。

 

兄が高校に入学した時、同時に僕は中学に入学しました。

 

それまで僕と兄は、幼い頃からいつも夏休みを一緒に過ごして来ました。

 

しかしその夏は、兄は野球部の練習で忙しくなったので、初めて兄弟で一緒に夏休みを過ごすことが出来なくなりました。(成長していく、ということは、少し淋しいけれど、そういうことなのですね)

 

兄は野球部の厳しい練習で毎日疲れて帰って来ましたが、僕はやることもなく(やることと言えば、夏休みの宿題ぐらいでした。笑)、暇でしょうがなかったので、仕事で忙しい母に「ねえ、どこかに連れてってよー」と言っては、母を困らせていました。

 

そんな僕を見て、兄はかわいそうに思ったのでしょう。

 

兄が突然僕に聞いたのです、、、

 

兄「孝、俺の高校の野球部の練習に一緒に来たいか?」

 

僕はビックリして、、、(そんなことは想像もしていなかったので、、、)

 

僕「エッ、お兄ちゃんの野球部の練習に僕も行けるの!?」

 

と聞き返すと、、、

 

兄「出来るかどうかわからないけど、明日、監督とキャプテンに聞いてやるよ」

 

と言いました。

 

翌日、兄は僕との約束通り、監督とキャプテンに「弟を練習に連れて来てもいいでしょうか?」と聞いてくれたのです。

 

高校の野球部に入部したばかりの1年生が、「弟を練習に連れて行きたい」と考えるのも普通ではありませんし、ましてや、実際に監督とキャプテンに「弟を練習に連れて来てもいいでしょうか?」と聞くことなど、前代未聞のことです。(少なくとも僕は、そういう話しは聞いたことがありません、、、)

 

しかし信じられないことに、当時の監督とキャプテンまでもが、兄に「弟を練習に連れて来ていいよ」と言ってくれたのです。(これはもう奇跡でした、、、)

 

みなさんもご存じのように、高校の野球部というのは、どこでも甲子園を目指して、毎日プロ以上の厳しい練習に明け暮れています。

 

そして野球部内の規則・規律というのも、昔も今も幕末の新選組か(ちょっとオーバー?笑)軍隊並みに厳しいもので(どこの指導者たちも、それぐらいに厳しくしないと、甲子園に行くことなど不可能、と思っているようです)、監督の言うことは絶対で(監督が白いものを黒と言えば黒なのです)、上級生と下級生の関係は、友情や思いやりなど入り込む余地がないほど厳しいものです。(一年生はまるで奴隷扱いです)

 

さらに50年前の高校の野球部には(野球部に限らず運動部全体、、、)、現代の「体罰は悪いこと」と言ったような社会通念などありませんでしたから、監督たちの部員に対する体罰や、上級生たちの下級生に対する体罰は、日常茶飯事だったのです。

 

先輩たちから奴隷扱いされる1年生の立場であったら、どんな兄でも「こんな姿を弟に見せたくない」と思うのが普通ではないかと思うのですが、僕の兄は自分の立場を気にするよりも、「夏休みで退屈している弟を、野球部の練習に連れて行ってあげたい」と、弟を思う気持ちの方が強かったのです。(兄は死ぬ時まで、僕のことをずっと思ってくれていました、、、)

 

53年経った今も、あの時、1年生の兄が僕のために取った行動を思い出すと、兄の深い兄弟愛に感謝の気持ちでいっぱいになるのです。

 

ですから、兄に誘われて「東京○○ホテル」に入社した時、兄が孤立していた姿を見た時も、「兄貴は自分が孤立していても、そんなことはどうでもよくて、とにかく僕と一緒に仕事がしたかったんだなァ」と思ったのでした。

 

兄はいつも自分のことよりも、みんなを楽しませることを考えるのが大好きな人でしたから、もしも会社のみんなが兄を信頼したならば、必ず兄はすぐにでも、みんなのために、いろいろなことを企画することは、僕にはわかっていたので、一日も早く兄とみんなを仲良くさせたかったのです。

 

思った通り、みんなと仲良くなって自信を持った兄は、みんなを楽しませる企画を次から次へと考えて止まりませんでした。(我慢していたエネルギーがいっぺんに爆発したみたいでした。笑)

 

話しを野球部に戻しますと、野球部の練習に参加した僕に、監督とキャプテンは、とても優しくしてくれて(他の部員たちも優しくしてくれました)、練習のレベルを僕のために少し落としてくれたのでした。

 

僕はその時、みんなの優しさに感謝したのですが、同時に「みんながこんなに優しくて、甲子園に行けるのかなぁ?」と心配になってしまいました。(笑)

 

案の定、毎年予選すら突破することが出来ませんでした。(やはり優しすぎると甲子園には行けないようです、、、とは言え必要以上に厳しいのも困りものですが、、、笑)

 

しかし僕にとっては、あの夏の日のことは、一生消えない思い出となっています。

 

以上が、兄が高校の野球部に入部してすぐの時に、僕のためにやってくれたことでした。

 

それでは、兄が創部した「東京○○ホテル野球部」と、兄が音頭を取って立ち上げた、8チームからなるリーグのお話しをいたしましょう。

 

兄は野球部創部を目指して、社内の野球好き一人ひとりに、兄が考えた「リーグ構想」を説明しながら、説得しました。

 

兄が考えた「リーグ構想」というのは、月島地区と晴海地区に存在した、ホテルや消防署や商社などに声をかけて、野球部を作ってもらって、みんなで一緒に「リーグ」を作って、定期的にリーグ戦をやろう、というのが兄が描いた構想でした。

 

兄の構想を聞いた野球好きの同僚たちは、最初の頃は「自分たちのホテルの中に野球部を作るのも簡単ではないのに、他のホテルや消防署や商社に掛け合って、野球部を作ってもらうなんて無理だ」と言っていたのですが、兄が他のホテルや消防署や商社を一生懸命に説得して回って、ついに8チームが出来上がって、「リーグ構想」が現実的になってきたのを見た時に、初めて野球好きの同僚たちも「東京○○ホテル野球部」創部に賛同したのでした。

 

続きは次回のお楽しみに!

 

それでは又来週の金曜日にお会いしましょう!

 

みなさんお元気で!(コロナウイルスに負けないで頑張りましょう!)

 

スペインのイルンより心を込めて、、、

 

水谷孝