ドタバタ国際結婚日記。その19.社員仲良し大作戦5 | 水谷孝のブログ「つれづれなるままに」

おはようございます!

 

今回も「ドタバタ国際結婚日記」を読んでくださりありがとうございます。

心よりお礼を申し上げます。

 

今回は前回からの続きです。

 

いよいよ「社員対抗ボーリング大会」の日がやって来ました。

 

当日、大会場所のボーリング場に着いてみると、支配人(支配人はこういうことには一切参加しませんでした)と副支配人(副支配人もこういうことには全く参加しませんでした)とホテルには日曜日も祝日もないので、当日勤務をしていたフロントマン3人とボイラー技士1人を除いて、それ以外の社員は、派閥を越えて全員が来ていました。(兄がとても嬉しそうでした。もちろん僕も、、、)

 

僕は、妻の○ラと息子を連れて行ったのですが、西洋人の○ラが生まれて4ヶ月ぐらいの赤ちゃんを抱いてる姿は、とても目立ったので、すぐにみんなに囲まれて、質問攻めに合い、会話の中心になったのですが、一般的に西洋の女性というのは、日本の女性のように、「知らない人たちの前ではあまり目立たないように、口数少なく奥ゆかしく振る舞う」という性質は全くありませんから(西洋人は日本人の陰の気と違って陽の気が強いので、とにかく自分が目立つのが好きなのです。笑)、なので○ラもみんなに囲まれて、会話の中心になって、とても気分を良くしたので、前夜、夜中まで「絶対に行かない!」とゴネたのが嘘のように、楽しそうに、絶対にやらないと言っていたボーリングまでやったのでした。(散々説得に苦労した僕は、「何なんだこの変わりようは?」と思ってしまいました。笑)

 

僕も初めてのボーリングにチャレンジしましたが、元々自分でスポーツをやるのは好きではないので(見るのは好きなのですが、、、)、案の定、脳がちゃんと働いてくれなかったので(当然、運動神経も良く働いてくれませんでした。笑)、最下位から数えて2番目ぐらいの成績で終わりました。(僕よりさらに下手な人がいたのが驚きでした。笑)

 

その日は家に帰ってからも、○ラが上機嫌で、母とも和気合いあいとしてくれたので、久しぶりで平和な団らんとなりました。(笑)

 

この「第一回社員対抗ボーリング大会」が終わって、2週間もしないうちに、又また兄が新しい企画を考えたのでした。

 

次に兄が考えた企画は「社員隅田川花火大会観賞会」というものでした。

 

これは読んで字のごとく、「毎年7月に隅田川で開かれる、隅田川花火大会を社員みんなで観賞しよう」という企画でした。

 

少し「隅田川花火大会」の歴史をお話ししますと、この「隅田川花火大会」の歴史はとても古く、江戸時代に「両国川開花火大会」という名称で始まったのが最初で、その後名称が「隅田川花火大会」となり、1960年(昭和35年)まで続いていましたが(戦時中は中止)、隅田川の汚染がひどくなったため、1960年を最後に、1961年(昭和36年)に廃止が決定され、1977年(昭和52年)までの16年間「隅田川花火大会」が開かれることはなかったのですが、1970年代に入ってから、隅田川の水も少しずつきれいになり始めていたので、その頃から浅草界隈の人々から「隅田川花火大会」再開を希望する声が上がり始めたのです。

 

そしてついに1978年(昭和53年)から、再び「隅田川花火大会」が再開されることとなったのでした。

 

これが何と、僕がロンドンから帰国した翌年のことだったのです。

 

僕と兄が幼い頃に見たっきりになっていた「隅田川花火大会」が、僕がロンドンから帰って来たら、再開したのですから、兄と僕は大喜びしたのでした。(兄と僕は、幼い頃から隅田川の隣で暮らして来たので、隅田川のことなら、汚染水も含めて何でも好きなのです。笑)

 

そういう経緯があったので、兄は即「社員隅田川花火大会観賞会」を企画したのだと思います。

 

兄が考えたアイデアは、僕たちの実家から50mほど隅田川に近づいた所にある叔父の家(叔父の家も隅田川のすぐ隣にあります)の3階の屋上を使わせてもらって、そこで叔父夫婦もまじえて、みんなで隅田川花火大会を観賞しよう、というものでした。(叔父夫婦も、兄の企画をとても喜んでくれました)

 

社員だけではなく、叔父夫婦にも参加してもらってみんなと一緒に隅田川花火大会を楽しんでもらおう、と考えた兄の優しさを思った時、しみじみと兄が会社で一人孤立していた時は、どれだけ辛く淋しい思いをしたのだろう、と思いました。(前にも言いましたが、兄は孤立していた時も、弟の僕にも一度も弱音を吐いたこともなければ、辛い顔を見せたこともありませんでした。ガチガチの硬派の兄の根性はやっぱり半端ないなぁ、と思いました。笑)

 

「社員隅田川花火大会観賞会」は、天気にも恵まれ大盛況に終わりました。(妻の○ラは、ボーリング大会でみんなからチヤホヤされたことで気分を良くしていたので、花火大会はけっこう素直に参加したのでした。笑)

 

「熱海将棋旅行大会」、「社員対抗ボーリング大会」、「社員隅田川花火大会観賞会」と、立て続けに兄が企画した社内行事が大成功に終わったことで、自信を持った兄は、もう止まらなくなってしまい(笑)、とうとう社内の野球好きを一人ひとり説得して、「東京○○ホテル野球部」を創部したのでした。(僕も兄からこの新設野球部に入ってくれ、と頼まれたのですが、僕はスポーツをやるのが好きではないので断りました、、、)

 

兄は社内の野球好きを集めて「東京○○ホテル野球部」を創部しただけではなく、何と兄が音頭を取って、月島・晴海地区に8チームからなる草野球リーグを立ち上げてしまったのです。

 

次回は、兄が野球部を創部してから、リーグを立ち上げるまでの経緯をお話ししたいと思います。

 

それでは又来週の金曜日にお会いしましょう!

 

みなさんお元気で!(コロナウイルスに負けないで頑張りましょう!)

 

スペインのイルンより心を込めて、、、

 

水谷孝