19年 | 四季のいろ

四季のいろ

*Something sweet*
恋するように生きていく♪


今日は阪神大震災から19年目。



あの時赤ちゃんだった次女が

春にはハタチになります。






あの日も


寒く

晴れた朝でした。




明け方の大きな大きな揺れ。



あの時の揺れを

まだ背中が覚えています。




怖かった・・・



何もできなかったです。







1時間くらい停電していて。


当時、社宅住まいだった水玉家。


PAPAが外に出て、

ご近所さんとラジオを聴いて。



「震源は神戸みたい」と、帰ってきました。


(↑間違いでしたね。

  震源は淡路島北部沖の明石海峡)




暗闇の中、

「怖かったねぇ・・・・」

「収まってよかったねぇ・・・・」と、


落ち着きを取り戻した頃

電気が通って、



テレビに映し出された神戸の町・・・・・・





あのキレイな街が・・・


よく通ってた阪神高速が・・・・


大阪から

電車で30分も離れていない街が・・・




言葉を失いました。







東北に地震があった時、


「水玉さんも、

 阪神大震災の時は大変だったでしょう?」って、


関西に住んでない方が言って下さることがありました。





でも・・・


大阪の古ーい社宅で

とてつもなく大きな揺れで震えたとはいえ、


被害がお皿数枚だった我が家は

被災したとは絶対に言えません。


ガスも電気も水道も食品も交通も、

何ひとつ困らない生活を送れましたから。





広域に被害が拡大した東北の地震と違って、

まるで神戸をピンポイントで狙い撃ちしたかのような

都市直下型の阪神大震災。



神戸で被災した方がインタビューで


神戸は戦地みたいな状況なのに、

 仕事で大阪に来れば

 いつも通りにネオンが輝き

 普通の日常生活がある。


 電車でたった15分の違いなのに。。。

 地震の被害よりも

 そのことに打ちのめされた


と、おっしゃってました。






どんなに時間が経っても、

「1.17」を忘れない。




娘と私の穏やかな19年が

復興の歳月と重なっていると思うと、

胸が痛みますが・・・




それでも、神戸は

力強く前に進んでいます。




水玉Style


これは

3年前の夏だったかなー。



娘と遊覧クルーズで 海から神戸の街を見た時、

「あの大きな地震から 

 よくここまで・・・・」と、

涙がこぼれました。











漆黒の宇宙に浮かぶ青い地球。




この星は、今生きている星だからこそ、
こんなにも豊かで美しい。

奇跡のように。




私達がこの星の恵みを享受するのであれば、
その激しさも受け止めるしかありません。。。。






これからも私達は

この星で生きていく。




明日を信じて・・・・


小さな工夫を積み重ねて・・・


あきらめないで、ひとつずつ・・・・





ミラクルな座席運なんていらない。


今生きているということは、

奇跡のような幸運のたし算の上に立っている証なのだから。






一緒に

生きていきましょう。


がんばりましょう。









언제나 둘이서 함께부를거에요......

これからもふたりで一緒に歌を歌おう・・・・

  

                      (* チャン・グンソク 「一緒に作ったメロディ」)

















カンシャの明かり。


キボウの光。


灯し続けるクフウ


陽だまりのケンコウ


そして、

人生にコイしていたい。




≪幸せの カキクケコ≫ by 水玉*









P.S.



ご心配いただいた、PAPAのノロウイルス。


おかげさまで回復しましたぁ♪



今のところ、私は発症せずヽ(*´∀`*)ノ


ご心配してくれて

どうもありがとうハート




いつ来るか・・・と、dokidoki。。。。。



(小声で)

来るなら来いや~


かかって来んかい~~




(でも、 ・・・できれば来ないで笑