もう3日も経ってしまったけど、


4月14日の

足柄峠へ行った日の続きです。




足柄峠

(足柄城跡)に辿り着き、



階段を登り

一の廓を過ぎて

富士山眺望ポイントである

ニの廓にまず向かうと、



なんと!

野焼きの煙が南側に流れた?

あるいは上空に雲が出現した?


富士山は見えない!



残念〜。


箱根連山(手前左)

愛鷹山(右手)は

はっきり見えているのに。



ひときわ高いのが

金時山。



足柄城跡の石碑は、

富士山ビューの象徴で、




ネットでは

こんな画像が現れます。



(こちらより)




一の廓にある

『玉手ヶ池』

名前が気になりますよね。


人生で二回目の

こちらに行ってみると、



『足柄峠の守護神“足柄明神 姫 玉手姫』?



前回(2023年1月4日)には

水が無かったのに、

この日は、



池となっていた…


玉手姫って

乙姫さまなの?


豊玉姫なの?


雨乞いの姫神様なのだと!



椿の花が落ちていて、

ここには

椿が自生しているらしい。



玉手姫さまに

椿の花はなんかリンクする。




こちらの足柄峠には、


『新羅三郎義光吹笙之石』

なるものがあり、



前回に生まれて初めて行った足柄峠の

こちらの記事に詳しく書いています。



さて、

足柄の関所跡

今回も降りて見ます。




この日は

ミツバツツジが素晴らしい!



それにしても

『箱根の関所跡』に比べて

こちらはなんとまあ

地味なことか。




小山町の図書館で

コピーさせていただいたこの地図を思い出します。



箱根の関所がポピュラーになったのは

江戸時代からで、

それ以前は

足柄峠の関所が一般的で、


もちろん、

鎌倉時代には

『いざ鎌倉!』は

こちらの道であったのだと

わたしは何度もこの記述にぶち当たったのね。


ところがところが、

今回は

またまた

新しい発見あり。



んなんなんな…

なんと!


倭建命(ヤマトタケルノミコト)とな???


前回は

まったく気がつかなんだ!



箱根街道よりはるかに昔、

この足柄道は

宮道であり、



ヤマトタケルの『あずまはや』

古事記によると、

足柄峠で発した言葉であった?

とは???


マジ?


 『古事記の中巻、景行天皇条に、ヤマトタケルの東征説話がある。東征を終えて帰る途次、足柄山で「あづまはや」と歎き叫んだからその国を「あづま」というのであるという地名譚が載る。』


えええええ???

聞いてないよ〜





ヤマトタケルと言えば

焼津やら、



走水などが有名で、

オトタチバナヒメに心踊らされている女性たちは

こぞってそこにシンパシーを感じるみたいなのだけど、


まさかまさかの

『足柄峠』!


ヤマトタケルは

古事記では

倭健命

日本書紀では

日本武尊命

と表記され、


遠征した道も

異なっているらしい。



だけど、

どちらにしても

足柄峠を通るし、

甲府盆地の酒折宮は

『返歌発祥の地』として外せないみたい。



(こちらは日本書紀の東征の道)


ヤマトタケルは役職名であり

何人もいて、

その道のりは

大和朝廷が勢力を拡大するための古道、

すなわち、古代の宮道であったことを示すのだと。


この後、

聖天宮に寄らして頂き、



金太郎さんにご挨拶したあと、



戻るんだという友人を無理やり

小田原方面に誘います。



目の前に

矢倉岳がどおん!



現在の国道246号線は

かつての大山街道、


そして

そこから先は



やはりヤマトタケルが

走水へ向かう道。



江戸時代以降は、

『矢倉沢往還』

呼ばれていたのだと。


この道を、


ヤマトタケルも

源頼朝も

日蓮上人も

武田軍も

通ったのだと思うと

感慨深い。


『金時山の北側に位置する足柄峠は、箱根峠よりも古くから交通の要衝でした。そこを通る足柄道は、奈良・平安の時代より官道として利用され、古事記や万葉集にも足柄という地名が残されています。古事記では、倭建命やまとたけるのみこと が東征の際にこの地で、亡き妻、弟橘比売命おとたちばなひめのみことを思い「吾妻あずま はや」という言葉を発したという記述があります。これが「あずま」の語源のひとつと言われ、正に関東の入り口として古代から重要な役割を果たしてきました。800~802(延暦 19~ 21)年の富士山の延暦噴火の際には、足柄道が通行不能となり、迂回路として箱根道が整備され、1年ほど使用されました。

江戸時代、箱根峠を越える東海道が整備されると、足柄道は矢倉沢往還と呼ばれ、東海道の脇往還、そして大雄山最乗寺や伊勢原の大山、富士山への参詣道として利用されてきました。

現在、市内の随所に残るいにしえの道を足柄古道として保存、紹介しているため、多くの人が訪れます。足柄明神からは、箱根の大涌谷をはじめ矢倉岳や足柄平野、相模湾を望むことができます。また、足柄峠付近からは、富士山や愛鷹あしたか 山を臨むことができ、金時山への最短ルート登山口としても知られています。』




そして、

鎌倉から小田原

そして足柄峠を越えて

大御神からヅナ峠を越えて

山中湖へ向かうこの道において


ずっとずっと気になっていた

『ヅナ峠』のヅナ道を

ついに発見することとなったのです!


そのお話は

次の記事にて。


(あー我ながら マイナーだなあ。)