もう十日も経ってしまいましたが、
5月14日のお話の続きです。



河津浜のカッパ寺を後にして
少し走ると…

わあ!

海だ、海だ!!!


静岡県在住のお三方は、
あまり珍しくはないんだろうが
わたしはいちいち感動だ!!!


ここからは
今日は伊豆大島しか見えないけど
晴れていれば、
大島、利島、鵜渡根島、新島、三宅島、御蔵島、式根島、
以上の7島が見えるのね。



河津七滝ループ橋を越え、
河津浜でカッパ寺に寄り道し、
海岸線を走って

現在地は
『尾ケ崎ウィング』


(以前もここに寄った記憶がある。
初めて龍宮窟に行った時だ。)


あとひと頑張りだ。

さらに車を走らせる、と

スマホのナビで出てきたのが

『白濱神社』???

うわっ!
あの時も気になっていたのに
寄り道は出来なかったのだった!

寄って〜〜寄って〜〜!

イコナ姫!!!

なぜか祭神を、わたしは覚えていた。
以前気になって調べたことがあったのだ。

確か、誰とかの奥さんだったよ!
あ、大山祇かな?
(うろ覚えだ)

伊豆諸島と伊豆半島の古代の秘密は
ここにある、と
なぜか確信したんだ。

だけど、ついぞ訪れる機会を失っていた。

今日のこの日!!!


伊豆國 最古の社、だそうだ。
ワクワク…。



御神木は、ビャクシン!
『白龍の御神木』だそう。


『白濱神社』は、通称であって
正式には、
伊古奈比咩命神社(いこなひめのみことじんじゃ)という。




伊古奈比咩(いこなひめ)は、謎の多い姫である。
古事記、日本書紀には登場しない。


伊古奈比命神社
いこなひめのみことじんじゃ

静岡県下田(しもだ)市白浜に鎮座。白浜神社ともよばれる。伊古奈比命を主神に、相殿(あいどの)に三島大神(みしまのおおかみ)(事代主命(ことしろぬしのみこと))、見目(みるめの)大神、若宮大神、剣御子(つるぎのみこ)大神を祀(まつ)る。主神は伊豆国(静岡県)第一の社といわれている三島(みしま)大社の祭神である事代主命の后(きさき)神で、『日本後紀』や『文徳実録(もんとくじつろく)』にもその名がみえる。延喜(えんぎ)の制で名神(みょうじん)大社に列している。火神として、また海上守護神、五穀豊饒(ほうじょう)の神として尊崇されている。例祭は10月29日で、その前後に火達祭(ひたちさい)、御幣流祭(おんべいながしさい)が行われる。29日の三番叟(さんばそう)の舞は市の無形文化財指定。[落合偉洲]
三嶋大神の妃であるという。

もっとも、三嶋大神(みしまのおおかみ)=事代主は、後付けであるとわたしは思う。
三嶋大社には、大山祇と事代主が祭神となっているけど、それもなんだかアヤシイ。




この姫のお姿が中央に刻まれている。
龍を従えているが、眷属は鶏だという。
(上部には鶏が!)




光がキレイ!

(ヨクゾ訪レテクレマシタ…)


いこなひめ

あなたは一体、なにものなの?

イコナとは
大和言葉には思えない。






拝殿の背後には…

溶岩じゃん!!!

わたしは見逃さなかった。
それもそのはず、


ここは、火達山(ひたつやま、ひたちやま)という火山そのものを祀っており
火山がまさに御神体なのだ。

奥宮に上がらせて頂きます。



逸る心が抑えられません。


ひっそりと、荘厳な奥宮。

ああ、だけど行けるのはここまで。

この背後に、古代の祭祀場があり
それが、現在でも続けられているそうな。






古代の祭祀は
どんなことを行なったのだろう。


(途中の小さな石祠。
こういうのがアヤシイんだよね、と
ハロちゃんとわたし、二人とも写真を撮っていた。)




入り口鳥居の脇にあった絵図には、



奥宮の奥の
『古代祭祀場』!!!

御釜って、なに?なあに?


あれ?
この右側の赤い鳥居って?

海に向かってるよ。

そう言えば
そこまで行けるんですよ、と くみちゃん。

そうなの?

行こう行こう!

寄ろう寄ろう‼︎

ああ、
完全なる寄り道だ。

だけれども
もしかしたら、ここが本命なのかも知れない。
その時はまだ、そのことに
誰も気がついてはいなかった。


続きます。



(追記です。
調べていたら、すごいの発見しちゃった!
なんと、祭祀場から三万年前の旧石器時代の
黒曜石が発見されていたみたい。
こちらのブログさんから転載させて頂きました。)


白浜神社の神奈備について調べたら凄いことが分かりました。

白浜神社の裏側(海側)の岩場には祭祀場があって、この岩場が神奈備だと思っていました。

ところが、この祭祀場の近くから旧石器時代(三万年~三万五千年前)の神津島の黒曜石が出土したそうです。
(黒曜石は刃物として利用されていた)

邪馬台国が出来たのが西暦200年位なのでとてつもなく古い時代です。

神津島の黒曜石は日本中の遺跡だけでなくロシアからも発掘されているのです。

旧石器時代の人々は三万年前に白浜神社裏手の岩場の祭祀場で何をしていたのでしょうか。

それは、伊豆大島の噴火を鎮めるために祈祷していたのです。

伊豆七島最大の島である伊豆大島は、今から約三万年前の海底火山の噴火により出現しました。

旧石器時代の人々は突然海から上がる噴煙や火柱を見て祭祀場で祈祷をしたのが白浜神社の始まりなのです。

噴火が何年(何十年?)続いたのか分かりませんが、その間人々は噴火を鎮めるために祈祷したのでしょうか?

旧石器時代の人々は日本人です。

近畿地方を中心に栄えたのは渡来人です。

白浜神社の祭祀遺跡は日本人が感じられるような気がします。
 
白浜神社に祭られている五柱の神のうち、三島大明神は西暦700年の大宝律令で現在の三島大社のある場所に国司を置くことになり、白浜神社から三島大明神を持っていったのです。

『三島』と言うのは大島、利島、新島の三つの島のことなのです。
 
白浜神社の神奈備は伊豆大島だったということが分かったのと、三万年もの歴史があるということが、凄いと思いました。

三万年前ということは古事記や日本書紀の時代とは比べものにならないくらい古い時代ということが凄いと思いました。
 
 
神話では三島大明神は紀元前500年に海を渡って来たことになっていて、その奥さんが伊古奈比咩命ということになってるらしいのですが、そんな人間の想像力を遙かに超えているところが凄いと思いました。