新月 不二ミナシロの宴 0515の
前哨戦で行ったミッションの話を
わずかしか書いておりませんでした。




キョーレツだったこの旅の
備忘録として書いておきますね。


前日の5月14日、
西湖の龍宮と
伊豆の龍宮を
おつなぎしようと思い立ったわたしは
3人の魂友をお誘いして
いざ!伊豆國のゲートウェイに向かいました。

朝食を食べ損ねたわたしが施設内のコンビニなどでモタモタしてる間に
3人は、すっかりこの新しい道の駅の見学を済ませていた。

運転上手のリリーさんの車で
いざ、出発!となってから
ハロちゃんが
『ここはさー、カッパがマスコットなんだねえ』といい、道の駅で撮った動画を見せてくれた。

へえ〜
全然知らなかった!

だけど、なんでカッパなんだ?

例のループをキャーキャー言いながら堪能して
平均年齢いくつかは考えず
またもや、大人の女子遠足気分だ。


すると、
酒屋さんの看板に、カッパが!

お酒とカッパは、切っても切れないイメージなのかな?

昭和な感じですよねえ、
と、リリーさん。


そういえばさあ、
わたしの友達が、カッパを見た話はしたっけ?
以前、ブログに書いたんだけど…

かなり前の記事なので、ブログ友である3人は、誰も読んでいなかったので、自分が見たわけでもないのに、得意げにその話をした。


いるんだよねえ、カッパ。
極限状況、あるいは何かに没頭している時、あるいは全くの無意識状態のとき
次元の扉が開き、
そこに存在するものと、目があってしまうのかもしれないね。

そんな話に、うんうん、と頷いてくれる魂友たちは、かなりな変わり者だ。
そうとうわたしとは周波数が合うのだろうな。

やがて、河津桜で有名な、河津川に差し掛かると…

『カッパ寺→』
の看板が!

ものすごいタイミング!!!

えええええー!
カッパ寺って、なんだ?


行こう行こう、

寄ろう寄ろう!

入り口が分からずに、かなりグルグル回る。

と、
なあんだ!
『カッパ寺→』の看板を、すぐ右に曲がれば良いのだった。



鬱蒼とした南国の雰囲気。

そうだ、ここは伊豆なんだ。


しかも、すでに夏の雰囲気。


わあい!カッパだ、カッパだ!



キュウリがお供えしてあるよ!

なあに?なあに?
ここはなんなの???


ひゃー!ワンコ、可愛い!おとなしい!
ウチのと交換したい!(本気です)

御朱印を書いているのはご住職のお嬢さまかな?
ワンコはご住職の犬だそう。



ハロちゃんが描いてもらった御朱印のカッパは
下のかなりホラーなカッパ。
もともとは妖怪だからね。



境内に『守りの井戸』があるのを
目ざとく見つけた!


これが井戸?


守り石、『ご自由にお持ちください』と。
黒い石(碁石風)に梵字が彫ってある。


おお、そうだ!
明日集まる22名の方に差し上げようっと!

22個頂きました。

水難避けだそう。

本堂に上がらせて頂くと…



なんと、カッパギャラリーがあり



カッパの手ぬぐいやらなんやら売っている。

そして
なんと!
『日本昔話』にも出たのね。


DVDをみんなで見ちゃった。

そこで初めてわかった、
この土地のカッパ伝説!
(この記事の最後に転載しました。)




最後に見たこちらの絵
(蘭陵亭 子梅さんという妖怪書画家の屏風絵)
が、
今日の私たちを見ごとに象徴していた!

河津のループ橋、
河童(カッパ)に導かれ
龍宮へ。



カッパさん、
龍王さまへの橋渡し
よろしくお願い申し上げます!


『水は異次元の入り口』

すでに私たち四人は、異次元ゲートウェイをくぐり抜けたのかも知れません。




こちらのホームページから転載させて頂きました。
カッパの寺

河童の甕KAPPA'S POT

むかし、栖足寺の裏を流れる河津川の淵に、河童がすんでいました。お寺の裏に位置するここは、大きく蛇行し深い淵をつくる裏門と呼ばれていました。
河童は水あびをしている子どもの足を引っぱるなど、いろいろないたずらをして村人をこまらせていました。そのうち、河童が子どもの尻子玉をぬくとか、生き肝を食らうなどと大げさにつたえられ、村人たちは河童をこわがるようになり、あげくのはてにはにくむようになりました。
ある夏の夕方、村人たちは寺の普請の手伝いをしたあと、裏の川で馬や道具を洗っていました。そのとき一頭の馬が急にいななき、うしろあしを高くけり上げました。そばにいた村人がおどろいて見ると、馬のしっぽになにか黒いものがしがみついていました。よく見ると、それはうわさに聞いていた河童でした。
「河童だ、河童がいるぞ」
だれかがさけぶと、近くにいた村人たちが集まってきました。河童も捕まってしまったら大変と大慌てで逃げ出し、裏門を抜けお寺の井戸にとびこみました。すると、村人たちはてんでに河童に石を投げつけました。河童はバラバラと落ちてくる石にがまんができず、井戸の中からはい出してきました。村人たちは河童をとりかこみ、
「こやつはひどいやつだ。ころしてしまえ」と、さけびながら、棒きれでたたき始めました。
ちょうどそこへ、栖足寺の和尚さんが帰ってきました。和尚さんは村人たちがさわいでいるのを見て、何ごとかと近づいていきました。そして、村人たちのあいだから中を見ると、河童が息もたえだえに倒れていました。それでもなお、村人たちは河童をたたいています。
和尚さんは大きな声で、
「皆の衆、やめられい」と、さけびました。
「今日は寺の普請の日じゃ。殺生は禁物じゃ。寺の縁起にかかわる。この河童はわしがあずかろう」といいました。
村人たちは、寺の縁起にかかわるのではしたかがないと、和尚さんの言葉にしたがって河童を和尚さんにあずけました。和尚さんは村人たちがいなくなると、
「これ河童、助けてやるからどこか遠くへ行きなさい」といって、河童をにがしてやりました。
その晩のこと、和尚さんは何者かが庫裏の戸をたたく音で目をさまし、縁側の雨戸をあけてみました。すると、月あかりの中に昼間の河童が立っていました。河童は、
「昼間は助けていただきありがとうございました。おかげさまで命びろいをしました。このつぼはお礼のしるしです」といって、丸い大きなつぼを縁側におきました。
「このつぼに河津川のせせらぎを封じ込めました。口に耳をあてると、水の流れる音がします。水の音が聞こえたら、わたしがどこかで生きていると思ってください。和尚さまもどうぞお元気で」といって、河童は立ち去りました。
和尚さんは、夢ごこちで聞いていましたが、われに返ると縁側に大きなつぼがあるので、たしかに河童が来たのだと思いました。
それからというもの、河津川に河童がすがたをあらわすことはなくなり、村人たちも、いつしか河童のことはわすれていきました。
けれども、和尚さんはときおりつぼの口に耳をあて、かすかな音を聞いて河童のぶじを思いました。また、河津川に出水があった際、このつぼがゴウゴウとうなりをあげ知らせ、人々が助かった事もあり。当時から寺の宝として大切に御奉りされてきました。
今でも耳をあてると、河津川のせせらぎが不思議と聞こえ、河童の無事を伺えます。人々は水の流れが心を洗うと言い、ありがたく拝聴していきます。
栖足寺裏手の清流には、馬のひづめのあとのついた石があったそうです。

河童の甕